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五味康祐「柳生武芸帳」

2006年09月07日 17時03分37秒 | 本・その他
 五味康祐の「柳生武芸帳」(文春文庫)の上巻を読んでいるときから、8月のトルコ旅行には下巻を持っていこうと決めていたので、上巻は割と計画的に読み進めました。

 その「解説」を文芸評論家の秋山駿さんが書いています。上巻だけで688ページ、下巻は684ページもある「柳生武芸帳」を読んでみようと思ったのは、秋山さんの「解説」に魅かれたからです。

 五味康祐という作家の名前もその風貌も知っていましたし、「柳生武芸帳」という作品の存在も知識として持っていましたが、五味康祐の作品はそれまで一度も読んだことがありませんでした。 

 解説の冒頭部分をご紹介します。下巻686ページ
 《三島由紀夫さんから、「時代小説では、何が一番好いものですか」と問われたことがある。言下にわたしは「五味康祐の『柳生武芸帳』です」と答えた。すると、すぐ「吉川英治の『宮本武蔵』と比べて、どうですか」と追求された。「『柳生武芸帳』の方が上です」とわたし。
 あいまいなことの嫌いな三島さんは、さらに問う「なぜ、そう思うのですか」。「文体が、上です」とわたし。すると三島さんは、いつも明晰にものを追うあの眼でわたしを見据えながら、「わたしも、そう思います」と断定するように言った。

 ここで「文体」というのは、簡単なものだ。わたしは時代小説では、剣の決闘や、剣の精神の輝く作品を好むが、そして無数に書かれる時代小説から沢山の剣法の達人がぞろぞろ出てくるが、その剣の達人を、本当の達人らしく描いて、達人らしさを証明するもの、つまり達人の凄さを生きいきとわれわれに感じさせてくれるもの、それは、小説の「文体」に他ならないのである。
 わたしはある理科系大学の教授会の席上で、小説における文体とは、精緻な実験における精度を一度か二度上げる、そういう精緻の目盛のことだ、と説明したことがある。

 これは私事であるが、つい最近も、ある雑誌で、時代小説の魅力について語る機会のあったとき、ついでに時代小説のベスト5を挙げてくれ、と要求され、その第一位に『柳生武芸帳』を推した。》

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