【7月14日の市場概況】日経平均終値:11,764(+104円)
日経平均株価が大幅に反発。終値で1万1700円台を回復し、4月8日以来の高値となった。
前日13日に4~6月期の好決算を発表したアップルコンピュータとアドバンスト・マイクロ・デバイス(AMD)が時間外取引で堅調に推移し、東京市場でも値がさハイテク株に買いが集まった。代表的な半導体関連株であるアドテストや東エレクの上げ幅が200円を上回る場面があった。
TDK、京セラなど電子部品関連が高く、松下やファナック、コマツ、武田が年初来高値更新。NTTは4月に付けた年初来高値を更新した。半面、イオン、旭硝子、中外薬が安い。
【株式投資の記録:7月14日】
①ヤクルト(06/24買建@2,025*2,000株))
@2,550で全部返済しました。5万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
②松下電器産業
@1,760-で3,000株買建しました。
【司馬遼太郎:日韓断想⑥⑤(文春文庫「以下、無用のことながら」より)】
昨日の続きです。
『』が原文です。
『話は、この文章の最初のくだりにもどる。
私どもウラル・アルタイ語族というのは、まことにさびしい語族なのである。とくにアルタイ語族で近代国家を成立させているのは、韓国と日本のほかいくつかの国があるだけである。モンゴル人民共和国はソ連の系列にあってなんとなく影が薄い。それでも。一九七三年だったが、シベリアからモンゴル高原にのぼり、首都ウランバートルに入ったときは、気分の昂りをおさえかねた。近代的な官庁や大学をみて見て、兄弟!と叫びたいほどうれしかった。』
『私どものウラル・アルタイ語族という、助詞が膠(にかわ)のようになって単語と単語をくっつける言語は、シベリアで発生したらしい。
はるかな古代、シベリアが暖かかった時期がある。
ここで、紀元前一五〇〇年から前二〇〇年ごろ、農業と牧畜で暮らしているひとびとがいて、高い青銅冶金の文化をもっていた。中国とは別個と考えていい文化である。シベリアの風土が、モンゴロイドとよばれる私どもの顔つきをつくった。紀元前数百年に西方から遊牧という便利なくらし方が入ってきて、それに参加するひとびとは、遊牧の適地であるモンゴル高原などにのぼって、中国古代史でいうところの匈奴になり、農業と袂別(べいべつ)した。』
『「モンゴロイドの南下運動」という、古代世界の一現象を表現する言葉があるが、シベリアのひとびとの一派は、現在の中国東北地方に南下し、現在の遼寧省の地下に独自の青銅器文化を遺した。
そのころの日本列島には、南方的な母音の多いことばを話すひとびとが住んでいたが、やがてウラル・アルタイ語族をもつ人達が南下して倭人を形成した。稲作は、揚子江下流からも、人間とともにやってきた。半島南部と北九州にそれらが混在するうちに日本語が形成される。紀元前五〇〇年から前三〇〇年ぐらいのことだったろうか。』
『私が、民国の韓国や共和国の朝鮮、または日本を思うとき、はるかな背後に、遠景として、当時まだ沃野だったシベリアの野や湖がひろがるのである。
私どもが、中景としての文明や文化を持ったときから、互いの小異にこだわるようになった。とくに現代の人類を不幸にしていることは、イデオロギーによって異を立てあっていることである。』
『「同じ顔の兄弟」と思うとき、シベリアの古代風景を脳裏に展(ひろ)げるべきである。わずか数千年の時間の前には、ソウルも平壌も東京も、じつに小さな存在にすぎない。むろん、遠景ばかりを思うのは、私がそうであるように一種の馬鹿である。近景はいよいよ精密に研究され、描きつづけられねばならない。しかし近景だけしか見えないのもこまる。』
『近景だけしか見えない大脳群が、何千万個、何億個も、それぞれの国境の内側に山盛りになってひしめきあっているのは、悲惨で滑稽で、それ以上に危険なことではあるまいか。』
本文はここまでで、あとは文庫本で三ページ弱の"付記"があります。明日"付記"を書き写して終わりです。
日経平均株価が大幅に反発。終値で1万1700円台を回復し、4月8日以来の高値となった。
前日13日に4~6月期の好決算を発表したアップルコンピュータとアドバンスト・マイクロ・デバイス(AMD)が時間外取引で堅調に推移し、東京市場でも値がさハイテク株に買いが集まった。代表的な半導体関連株であるアドテストや東エレクの上げ幅が200円を上回る場面があった。
TDK、京セラなど電子部品関連が高く、松下やファナック、コマツ、武田が年初来高値更新。NTTは4月に付けた年初来高値を更新した。半面、イオン、旭硝子、中外薬が安い。
【株式投資の記録:7月14日】
①ヤクルト(06/24買建@2,025*2,000株))
@2,550で全部返済しました。5万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
②松下電器産業
@1,760-で3,000株買建しました。
【司馬遼太郎:日韓断想⑥⑤(文春文庫「以下、無用のことながら」より)】
昨日の続きです。
『』が原文です。
『話は、この文章の最初のくだりにもどる。
私どもウラル・アルタイ語族というのは、まことにさびしい語族なのである。とくにアルタイ語族で近代国家を成立させているのは、韓国と日本のほかいくつかの国があるだけである。モンゴル人民共和国はソ連の系列にあってなんとなく影が薄い。それでも。一九七三年だったが、シベリアからモンゴル高原にのぼり、首都ウランバートルに入ったときは、気分の昂りをおさえかねた。近代的な官庁や大学をみて見て、兄弟!と叫びたいほどうれしかった。』
『私どものウラル・アルタイ語族という、助詞が膠(にかわ)のようになって単語と単語をくっつける言語は、シベリアで発生したらしい。
はるかな古代、シベリアが暖かかった時期がある。
ここで、紀元前一五〇〇年から前二〇〇年ごろ、農業と牧畜で暮らしているひとびとがいて、高い青銅冶金の文化をもっていた。中国とは別個と考えていい文化である。シベリアの風土が、モンゴロイドとよばれる私どもの顔つきをつくった。紀元前数百年に西方から遊牧という便利なくらし方が入ってきて、それに参加するひとびとは、遊牧の適地であるモンゴル高原などにのぼって、中国古代史でいうところの匈奴になり、農業と袂別(べいべつ)した。』
『「モンゴロイドの南下運動」という、古代世界の一現象を表現する言葉があるが、シベリアのひとびとの一派は、現在の中国東北地方に南下し、現在の遼寧省の地下に独自の青銅器文化を遺した。
そのころの日本列島には、南方的な母音の多いことばを話すひとびとが住んでいたが、やがてウラル・アルタイ語族をもつ人達が南下して倭人を形成した。稲作は、揚子江下流からも、人間とともにやってきた。半島南部と北九州にそれらが混在するうちに日本語が形成される。紀元前五〇〇年から前三〇〇年ぐらいのことだったろうか。』
『私が、民国の韓国や共和国の朝鮮、または日本を思うとき、はるかな背後に、遠景として、当時まだ沃野だったシベリアの野や湖がひろがるのである。
私どもが、中景としての文明や文化を持ったときから、互いの小異にこだわるようになった。とくに現代の人類を不幸にしていることは、イデオロギーによって異を立てあっていることである。』
『「同じ顔の兄弟」と思うとき、シベリアの古代風景を脳裏に展(ひろ)げるべきである。わずか数千年の時間の前には、ソウルも平壌も東京も、じつに小さな存在にすぎない。むろん、遠景ばかりを思うのは、私がそうであるように一種の馬鹿である。近景はいよいよ精密に研究され、描きつづけられねばならない。しかし近景だけしか見えないのもこまる。』
『近景だけしか見えない大脳群が、何千万個、何億個も、それぞれの国境の内側に山盛りになってひしめきあっているのは、悲惨で滑稽で、それ以上に危険なことではあるまいか。』
本文はここまでで、あとは文庫本で三ページ弱の"付記"があります。明日"付記"を書き写して終わりです。