起きて半畳 寝て一畳

株式投資の記録を中心に、日々感じた事や考えたこと、読んだ本のことなどなど

資生堂 松下電器 日韓断想⑦(付記)

2005年07月15日 22時15分51秒 | 本・司馬遼太郎
【7月15日の市場概況】日経平均終値:11,758(-5円
 日経平均株価は小反落。取引時間中で4月11日以来、約3カ月ぶりに1万1800円台を回復する場面もあった。もっとも3連休を控えた週末とあって、朝高後は戻り待ちの売りに上値を抑えられた。
 シャープやキヤノン、ファナックなどが年初来高値を更新した。液化天然ガス(LNG)プロジェクトの負担増を嫌気して三菱商、三井物、千代建、東洋エンジが売られた。

【株式投資の記録:7月15日】
 ①資生堂(03/08購入@1,420*3,000株)
  @1,433-で全部売却しました。3万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
 ②松下電器産業(07/14買建@1,760*3,000株)
  @1,768-で全部返済しました。2万円程の儲けです。(神様に感謝!) 
 ③資生堂
  @1,434-で3,000株売建(空売り)しました。 


【司馬遼太郎:日韓断想⑦(文春文庫「以下、無用のことながら」より)】
 昨日の続きです。
 三ページ弱の"付記"が書かれていますが、前半部分だけを書き写します。
  『』が原文です。

  『付記――この稿は、ソウルに本社をもつ「中央日報」の一九八五年元旦用の紙面のために書いたものである。
 私は生来の怠け者でだから、日常の原則として、連載を義務付けられている仕事以外のことはしない。そこへ同紙の東京駐在の記者・申成淳(シンソンスン)氏がやってきて、なにか書け、という。私は右の原則を話したが、申氏はひたすら聴き入る姿のままでいる。仕立てのいい薄茶の背広をきたこの人は四十歳前後で、温容清雅というのはこういう人のことをいうのだろうとこちらが感じ入ってしまった。』

  『申氏は日本語の読解力はよほどのものと思われたが、会話はたどたどしい。それがまた人柄の風韻を増す感じで、このひとのために何かしたいという思いが募った。時間が経ち、私がタバコを五本以上も吸ったころ、申氏は思い余ったような表情で、
「タバコを吸っていいでしょうか」
 ときいた。朝鮮特有の礼教がなお生きていることを思い知らされたばかりか、自分の思いやりのなさにあわて、どうぞ、と大声で叫んでしまった。私の負けであった。同時に、自分の年齢を思い知らされもした。』

  『韓国の知識層の四十代が層も厚く、すぐれているということを聞いていたが、話すうち申氏においてその実例を見る思いであったし、また韓国の将来の輝きまで感ずる思いもした。このことを感じておこる愉悦を、ソウルのひとびとがどの程度理解してくれるだろうか。』

 "韓国の知識層の四十代が層も厚く、すぐれている"というのは初めて知りました。この小論は20年前にかかれたものですから、今では60代になっているわけです。その間、韓国は目覚しい経済発展を遂げました。司馬さんが感じた"韓国の将来の輝き"は間違っていなかったわけです。さらに、現在では経済的輝きだけでなく、韓流ブームとして文化的にも輝きつつあります。
 司馬さんの心に湧いた"愉悦"は、モンゴルの首都"ウランバートルに入ったときは、気分の昂りをおさえかねた。近代的な官庁や大学を見て、兄弟!と叫びたいほどうれしかった"と同種のものではないかと想像します。

  『はじめて会った者同士は、たがいに共通の友人がいないかと思って、その名を挙げあうものだが、私もその慣習にならい、申氏の同国人の名をいくつか挙げるうちに、姜在彦(カンジェオン)氏の名を言った。そのとたん、申氏の表情が大きくひらけて、
「姜在彦先生は、私の新聞社の客員コラムニストです」
 といった。このことは意外だった。』

  『やがて元旦が過ぎ、掲載紙を送ってきた。そのころ姜在彦氏からハガキがきて、感想が書かれていた。原文を知らないが、訳文はあなたの文体をみごとに朝鮮語に移しています、という意味の事が書かれていて、安堵した。おそらく社内にすぐれた言語能力をもつひとがいるのであろう。』(「季刊三千里」第四十二号、一九八五年五月一日刊)

 付記は未だ一ページほど続きますが省略します。
 ちなみに申維翰の「海游録」は姜在彦さんの訳注で平凡社・東洋文庫から出版されているそうです。司馬さんは一読をすすめていますが、どうも食欲がわきません。

 今月の四日から今日まで司馬さんの「李朝と明治維新」と「日韓断想」を文章の訓練を兼ねて書き写しましたが、明日はその読書感想文を書いてみたいと思います。
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