【7月19日の市場概況】日経平均終値:11,764(+6円)
日経平均株価は小反発。米国株の上昇一服を受けた売りが出る半面、景況感の改善期待から押し目買いの動きが継続し、相場を下支えした。
【株式投資の記録:7月19日】
①ブリジストン(07/11購入@2,125*2,000株)
@2,160-で全部返済しました。6万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
②アサヒビール
@1,276-で3,000株買建しました。
【戯文:さくらさんのパイパンを愛でし詩(うた)】
さくらさん、コメント有り難うございます。
さくらさんのアドバイスを肝に銘じて、今度彼女が出来た時は慎重に事を進めます。
もともと、札束で相手のほっぺた引っぱたいて、パイパンにするようなことは苦手で、あくまで積極的な合意の上でやるのが私の主義と云うか、スタイルです。もっとも、悪代官ごっこも面白いかも。(アッハー )
さくらさんをご存知ない方は、「おじさん大好き さくらの就活日記☆」(http://blog.goo.ne.jp/7-cherry-7)を訪問してみてください。
きょうは、三度にわたるさくらさんのパイパンが生み出した日本文学の宝とも言える詩(うた)を、いくつか思いつくままに紹介します。
一回目のパイパンで生まれた詩(うた)
吉野山 さくらにかかる 夕がすみ 花もおぼろの 色はありけり
これは後鳥羽院が現代にタイムスリップしてきて、パイパンになる前のさくらさんを愛でて詠んだ詩(うた)です。
そして、後鳥羽院にせがまれて、半分イヤイヤながらもパイパンになったさくらさんを、後鳥羽院が愛でて詠んだ詩(うた)がこちらです。
み吉野の 高嶺のさくら 散にけり 嵐もしろき 春の明けぼの
渡る世間は鬼ばかりのせちがらい現代に、さくらさんをひとり残して後鳥羽院が隠岐に帰るときに詠んだのが、史上有名なこの詩(うた)です。
われこそは 新島守よ 隠岐の海の あらき波かぜ 心してふけ
ニ回目のパイパンで生まれた詩(うた)
後鳥羽院の和歌のライバル藤原定家もタイムスリップしてきて、後鳥羽院に負けじと、さくらさんのパイパンを詠んでいます。
おほ空は 梅のにほひに かすみつつ 曇りもはてぬ 春の夜の月
さくらさんがパイパンになる前となった後を一首に詠みこんだ定家らしい技巧にすぐれた作品です。「天皇振り」と云ってもいいような、おおらかでひろがりの或るリズムが気持良く、正に声に出して読みたい日本語ですよね。
見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦のとま屋の 秋の夕暮
定家が、海辺の苫葺きの粗末な家で、裸エプロン姿のパイパンさくらさんを愛でて詠んだのがこの詩(うた)です。さくらさんのパイパンと裸エプロンのコラボレートというなんとも贅沢で羨ましいプレイは、「紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾ガ事ニ非ズ」の定家ならではと感嘆せずにはいられません。
私のような詩(うた)の才の無い者が詠めば、「見渡せば ヘアもショーツも なかりけり 浦の苫屋の 裸エプロン」という俗臭フンプンの駄作しか生まれないのに、定家が詠めばこんな名作が生まれる。才能ある者とない者の差を痛感します。
ちなみに、「紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾ガ事ニ非ズ」という記述は、定家の日記(明月記)の治承四年九月、定家が十九歳の年のところに出てくるそうですが、この言葉は定家が七十歳の年に加筆したものと云う説があります。
この治承四年とは源三位頼政が似仁王を奉じて挙兵し敗れた年、平清盛による福原遷都が強行されるなか、源頼朝が伊豆で挙兵する年です。この頃の定家は紅旗すなわち朝廷からは、全然お呼びじゃない存在だったそうです。
そして後年、承久の変(1221年)がおきて、敗れた後鳥羽院は隠岐に流され、武士の覇権が確立することになります。
さくらさんとの別れの日、さくらさんのパイパンを主旋律に、貴族の世から武士の世へと転換しつつある世の動き、その中での自分(定家)や後鳥羽院の生き様、そういった様々な思い・「わかれ」を巧緻をつくして詠み上げたのが、新古今を代表する次の詩(うた)です。
春の夜の 夢のうき橋 とだえして 峰にわかるる 横雲の空
調子にのってダラダラと長くなったので、三回目のパイパンで生まれた詩の紹介は省略します。
七五調の名作ですよ。(ウッフッ)
パイパンさくらさんは偉大なり!
日経平均株価は小反発。米国株の上昇一服を受けた売りが出る半面、景況感の改善期待から押し目買いの動きが継続し、相場を下支えした。
【株式投資の記録:7月19日】
①ブリジストン(07/11購入@2,125*2,000株)
@2,160-で全部返済しました。6万円チョットの儲けです。(神様に感謝!)
②アサヒビール
@1,276-で3,000株買建しました。
【戯文:さくらさんのパイパンを愛でし詩(うた)】
さくらさん、コメント有り難うございます。
さくらさんのアドバイスを肝に銘じて、今度彼女が出来た時は慎重に事を進めます。
もともと、札束で相手のほっぺた引っぱたいて、パイパンにするようなことは苦手で、あくまで積極的な合意の上でやるのが私の主義と云うか、スタイルです。もっとも、悪代官ごっこも面白いかも。(アッハー )
さくらさんをご存知ない方は、「おじさん大好き さくらの就活日記☆」(http://blog.goo.ne.jp/7-cherry-7)を訪問してみてください。
きょうは、三度にわたるさくらさんのパイパンが生み出した日本文学の宝とも言える詩(うた)を、いくつか思いつくままに紹介します。
一回目のパイパンで生まれた詩(うた)
吉野山 さくらにかかる 夕がすみ 花もおぼろの 色はありけり
これは後鳥羽院が現代にタイムスリップしてきて、パイパンになる前のさくらさんを愛でて詠んだ詩(うた)です。
そして、後鳥羽院にせがまれて、半分イヤイヤながらもパイパンになったさくらさんを、後鳥羽院が愛でて詠んだ詩(うた)がこちらです。
み吉野の 高嶺のさくら 散にけり 嵐もしろき 春の明けぼの
渡る世間は鬼ばかりのせちがらい現代に、さくらさんをひとり残して後鳥羽院が隠岐に帰るときに詠んだのが、史上有名なこの詩(うた)です。
われこそは 新島守よ 隠岐の海の あらき波かぜ 心してふけ
ニ回目のパイパンで生まれた詩(うた)
後鳥羽院の和歌のライバル藤原定家もタイムスリップしてきて、後鳥羽院に負けじと、さくらさんのパイパンを詠んでいます。
おほ空は 梅のにほひに かすみつつ 曇りもはてぬ 春の夜の月
さくらさんがパイパンになる前となった後を一首に詠みこんだ定家らしい技巧にすぐれた作品です。「天皇振り」と云ってもいいような、おおらかでひろがりの或るリズムが気持良く、正に声に出して読みたい日本語ですよね。
見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦のとま屋の 秋の夕暮
定家が、海辺の苫葺きの粗末な家で、裸エプロン姿のパイパンさくらさんを愛でて詠んだのがこの詩(うた)です。さくらさんのパイパンと裸エプロンのコラボレートというなんとも贅沢で羨ましいプレイは、「紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾ガ事ニ非ズ」の定家ならではと感嘆せずにはいられません。
私のような詩(うた)の才の無い者が詠めば、「見渡せば ヘアもショーツも なかりけり 浦の苫屋の 裸エプロン」という俗臭フンプンの駄作しか生まれないのに、定家が詠めばこんな名作が生まれる。才能ある者とない者の差を痛感します。
ちなみに、「紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾ガ事ニ非ズ」という記述は、定家の日記(明月記)の治承四年九月、定家が十九歳の年のところに出てくるそうですが、この言葉は定家が七十歳の年に加筆したものと云う説があります。
この治承四年とは源三位頼政が似仁王を奉じて挙兵し敗れた年、平清盛による福原遷都が強行されるなか、源頼朝が伊豆で挙兵する年です。この頃の定家は紅旗すなわち朝廷からは、全然お呼びじゃない存在だったそうです。
そして後年、承久の変(1221年)がおきて、敗れた後鳥羽院は隠岐に流され、武士の覇権が確立することになります。
さくらさんとの別れの日、さくらさんのパイパンを主旋律に、貴族の世から武士の世へと転換しつつある世の動き、その中での自分(定家)や後鳥羽院の生き様、そういった様々な思い・「わかれ」を巧緻をつくして詠み上げたのが、新古今を代表する次の詩(うた)です。
春の夜の 夢のうき橋 とだえして 峰にわかるる 横雲の空
調子にのってダラダラと長くなったので、三回目のパイパンで生まれた詩の紹介は省略します。
七五調の名作ですよ。(ウッフッ)
パイパンさくらさんは偉大なり!