流れゆく雲に

風に季節を聞きながら、日々の出来事をつづります。

麗しのジルベール(風と木の詩) 作者に逢いに行く その1

2016-05-20 17:36:29 | 日記

昨日(2016年5月19日)、京都精華大学で行われた竹宮惠子氏の講演会に参加した。

竹宮惠子氏の自伝ともいうべき著書「少年の名はジルベール」を購入していた。

しかし、話題になり早いうちに購入していたにもかかわらず、読んではいなかった。

5月19日には読み終えなくてはとあわてて読み始めた。

知らないことが多く、興味を惹くことばかりだった。もう少し若ければ徹夜して一気に読めただろう。

講演会が待ち遠しくなった。

スクールバスというものに初めて乗った。

行きは女性の運転手だった。

車内は空いていて、学生の話し声がとてもなつかしくうらやましく感じられた。

 

 

バスはどこへ向かうのか(京都精華大学だというのはわかっている)。

わくわくしてくる。山道のカーブはたいへんだ。

 

やっとバスは、目的地京都精華大学に着いた。

立て看板がある。会場はここなのだろうか?

あまり参加の人を見かけない、不安になって、大学の方と思われる人に聞いてみる。

会場はまだ向こうで、すでに参加者が並んでいるとのことだった。

しばらく歩くと見えてきた。ゆうに100人は並んでいるのだろうか。時間は15時40分。

開始は16時20分だ。多分入れると思う。早めに来てよかった。

友愛館多目的ホールAgoraは収容人数500人。

 

会場は満席だった。

司会(大学の方)の方が竹宮恵子氏に質問して進めて行く方式。

私が驚いたことは、「風と木の詩」は1971年にはすでに考案されていたということ。

完成した作品ではないにしろ、設定や登場人物はできていた。

ただタイトルはあとになってからだと著書に記されている。

この作品が世に出るまでの苦労を私は知らなかった。

もちろん少年愛がテーマでセンセーショナルだったから、こんな絵が掲載されていいのかとは

思っていた。

長い間、温められて構築されて、研ぎ澄まされて、そして、世に出た、「風と木の詩」。

ミレー作の「ダフニスとクロエ」を見た時、彼女の中にジルベールが現れた(と私は解釈した)。

思いつき、インスピレーション、降臨(昨今、もてはやされる言葉だが)。

「ダフニスとクロエ」が見たくなった。ネット検索すると多くの人が描いている、音楽もある。

 

こんな話をされていた。

この絵を見た時、否定される人物もそこにいるのならばそれは意味があるはずだ。

 

いつか機会があれば見に出かけよう。そこにジルベールが見えるかもしれないと思うから。

私のジルベールが。

 

大泉サロンの話はおもしろかった。

竹宮惠子氏と萩尾望都氏と増山法恵氏の三人の同居生活。

中央のスクリーンにイラストが映し出された。

間取りを意外とよく覚えていました。と話されていた。

 

ヨーロッパ旅行の話。

72年、竹宮惠子、萩尾望都、増山法恵、山岸涼子の4名はヨーロッパへと旅に出る。

竹宮氏は鉄道に興味があり(鉄子さん)ヨーロッパの鉄道の時刻表を取り寄せて

(取り寄せに三ヶ月かかった)旅の日程を組んでいた。

今は日本語もでているが当時は英語だった。

 

旅行からしばらくして竹宮氏は、大泉サロンを出る。

 

「風と木の詩」を世に出すために描きはじめたのは「ファラオの墓」だった。

その2へ続く。