流れゆく雲に

風に季節を聞きながら、日々の出来事をつづります。

2015年を振り返って

2015-12-31 18:57:38 | 日記

 

 2015年を振り返ったら、やっぱり5月から6月にかけて川西市と和歌山市で開催した作品展

(写真・詩・陶芸)です。

なんだか、随分前のような気がします。

 

川西市 画廊シャノワール

 

和歌山市 ギャラリー半田

 タイトルにした「めぐりあわせ」は出会った人たち、いきもの、風景、出来事すべてに感謝を込めて

考えたものです。

これからも、出会いを大切にしていきたいと思っています。

2015年ありがとう

来たる2016年が佳き年でありますように

皆様、良い年をお迎えください。

<m(__)m>

 

 


映画「杉原千畝」を見る

2015-12-23 16:14:47 | 映画

杉原千畝をどうして知ったのかは覚えていない。

しかし、学校の教科書ではないと思う。社会人になってからです。

(検索してみると最近の教科書には載るようになったようです。)

 

最初に記憶にあるのはテレビドラマだった、と思います。

杉原千畝を演じていた反町隆史。

戦後60年ドラマスペシャルだったようです。

 

そして、2013年「ミュージカルSENPO」として、ミュージカルになっています。

杉原千畝を演じたのは吉川晃司。音楽は中島みゆき。

残念ながら私は観ることが叶いませんでした。

HPをみることができました。

杉原千弘氏(杉原千畝の孫)がコメントを寄せています。

ロマンチストでピアノが好きで宝塚も好き、

でも、自分がミュージカルになるとは考えなかったと思います。

(「ミュージカルSENPO」HPイントロダクション抜粋)

 

今年は終戦70年、映画になりました。

「終戦70年特別企画」とパンフレットに印字されています。

杉原千畝は唐沢寿明が演じています。

 

 

 

教科書には大切なことが書かれているとは限らない。(時にはあるけれど)

大切なことや自分の知りたいことは自分で探しに行かなければならない。

そのきっかけがテレビドラマやミュージカルや映画かもしれない。

きっかけがなんであっても、自分で確かめよう。改めてそう感じました。

 

「海難1890」でも思ったことですが、知らないことが多すぎる。

知らなくていいことがあふれているからだろうか。私のアンテナの調子が悪いのか。

 

 

 

 

 

 

 


稲田浩  アート・アクセサリー展

2015-12-23 15:43:05 | アート

宝塚の六軒茶屋ギャラリーで開催されている稲田浩のアート・アクセサリー展に行ってきました。

今日が最終日です。間に合った。

 

先日受賞した「東久邇宮文化褒賞」の賞状が飾ってありました。

 

 

素敵なアクセサリーを身に付けても似合うようになれたらなぁ。まだまだな自分です。

(^^ゞ

 

 


中島みゆきコンサート 一会(いちえ)12月17日

2015-12-18 22:43:23 | 音楽

14日は、3列目、17日は3階11列目(後ろから2列目)帳尻はきちんと合わせてくれるものだ。

3列目はスピーカーの前だったので少しうるさかった。3階席はちょっと高くて怖かった。

なんせ、エレベーターでは5階表示だもの。

 

オリックス劇場でコンサートをした人のサインが展示していると聞いていた。

3階としか記憶になく、見つからないと思っていたら、FBの友人より中3階と教えてもらった。

休憩時間に見に行ったものの、これまたたくさんあってわからない。

あたりにいる人に聞く。若い男性はわからない、女性もわからない。

みんなわかっていて来ているんじゃないのか。と思っていた。

先程の女性が見つけてくれて私に教えてくれた。おお、ありがとう。

これです。

今日は、みゆきさん、飛ばしているなと思ったが、そこがまたよかった。

 

『友情』のドスの効いた声が怖かったけど、こんな歌い方実は好きです。

さらりとほのぼのとした声もいいけれど

『命の別名』や『Why&No』のようなメッセージ性の強い歌、好きです。

 

スタンプは忘れずに

図案は同じだが今日は緑だ。

心にずしんと来る歌が歌われて

いろいろ考えます。

何も変わっていない世の中っていいのか、悪いのか。

変わるべきことが変わらないならいいわけないですね。

 

最後に歌った『ジョークにしないか』

なんか意味あるのかな。

そう、みゆきファンは考えるのです。

 

 

 

 


映画「海難1890」を見る

2015-12-16 22:20:14 | 映画

海難1890は、どうしても見たい映画でした。

解説はこちら→海難1890

1890年台風に遭遇し、串本沖で座礁して沈没したトルコの船エルトゥールル号。

その時村人は総出で救出に向かった。

多くの人を助けることは出来なかったが、救助した人たちを看護し、食料を提供した。

1985年イランイラク戦争のさなか、外国人は国外退去の状況になる。

救援機がその国の人たちを乗せて飛び立つなか、日本人だけが取り残されていく。

日本人が日本人を助けに来ない。

日本大使・野村は、トルコの救援機に乗れるように頼んでみることに。

トルコの首相は、周りの反対を押し切って日本人を救出のため追加便を出すことを決断する。

 

1985年の登場人物が1890年の登場人物の子孫であることが想像できる。

 

1890年は日本の村人がトルコの遭難者を救助した。

1985年はトルコの首相が日本人の救助を決断した。

私の知らない時に、知らないところで、時を超えて人の真心が受け継がれていく。

我が故郷和歌山県で起きた出来事をもっと多くの県民が知るべきだと思う。

私も学生の頃は知らなかった。社会人になった頃に知ったことだ。

 

1985年空港で母にすがって泣いてる日本の子供をトルコの子供が手を差し伸べる場面に目頭が熱くなる。

1890年の場面、「どこのもんでもかまわん、助けなあかんのや」みんな自分のできることをしている。村人の思いが胸に迫ってくる。

 

帰りにパンフレットを買おうとしたら完売だった。早すぎる。どこか他で購入できるだろうか。

 

次は「杉原千畝」を見たい。