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八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

噂の5月15日がきたぁ~

2011年05月15日 06時14分43秒 | 体重・血圧
【体重、体脂肪率】
  71.6kg、26.2%  → 先週=70.8kg、2週前=71.4kg、3週前=71.9kg、1月前=71.7kg
                2011年=72.3kg、10年=76.8kg、09年=76.9kg、08年=77.9kg、07年=79.7kg

【血圧(収縮―拡張mmHg)】
  68-106   → 先週=なし、2週前=なし、3週前=なし、1月前=なし

【ネット囲碁】
 (1)今週の戦績    3勝   2敗 
 (2)今年の通算   81勝   68敗  (先週までの通算=78勝 66敗)
 (3)最新の級位    2級       (持ち点=24640) 

【特記】
 ◇昨日は朝から暖かかったし、娘も休みだったので、朝食後に朝風呂に入った。
   両足を広げて立てない体重計の上にふらつかないように乗るのは、ホント至難の業。
   昨日は多少ふらつきがあったので、娘は私の腰に手をあてて静止の「おまじない」をした。

   先週からちょっとリカバーして71.6kgだった。(ほっ)
   前夜のイベリコ豚とんかつが、多少利いたかな?
 
   ヘルシーに目覚めてスリムになったのは好いけど、体重が以前に比べて激減したものだから、
   まるで私にちゃんと食べさせていないようで・・・と、娘に余計な心の負担もかけているようだ。
   スリムだと足踏みや筋トレが楽だから、腹8分のヘルシー食生活路線はジツに私の意思なのだけどね。

 ◇今晩娘は夜勤だから、夕食とデザートを大いに期待しようかな。

 ◇今日は5月15日かぁ・・・。
   この日に宮城県沖地震が発生するという噂があってね、、、疑心暗鬼かも知れないけど、まぁ用心するに越したことはないし、ね。
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ネット囲碁の段級―持ち点

2011年05月15日 05時59分23秒 | 囲碁

      持ち点・・・段・級位  

      1000~1999・・25級
      2000~2999・・24級
        ・・・・
     18000~18999・・8級←最低到達点(2007年3月)
     19000~19999・・7級
     20000~20999・・6級
     21000~21999・・5級
     22000~22999・・4級
     23000~23999・・3級⇔2013年の今は、実力はこのあたりと思う
     24000~24999・・2級
     25000~25999・・1級
     26000~26999・・初段←最高到達点(2011年12月、嬉しかったなぁ、夢にみた初段だもの)
     27000~27999・・二段
       ・・・・ 
     33000~33999・・八段
     34000~    ・・プロ

                初段よりもっと上を目指してみたいけど、歩くより大変だろうなあ
                でも、チャレンジしよう
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4ヶ月ぶりの眼科

2011年05月14日 06時06分44秒 | 病院・診察
待ちに待った眼科の診察を受けに、昨日夕方エアリ(複合SC)に行ってきた。

眼科は今まで隔月で診察を受けてきたけど、さきの大地震の影響で4ヶ月ぶりになっていた。
この間マヒ眼の充血やエコリシン軟膏が切れる等の困った事もあったけど、なんとか凌いできた。

しかし、昨日の検査、診察の結果はOK、全然問題無しだった。
大きな余震で不測の事態もあり得るので、エコリシン軟膏は過剰投与にならない範囲で多目に処方して貰った。

久しぶりのエアリだったので、眼科のあとスタバでストロベリーフラペチーノして、
その後さぼてんでイベリコ豚とんかつとエビフライの夕ご飯を食べて、8時過ぎに帰ってきた。

外出はガスト以来だけど、玄関からクルマに乗るまでの身のこなしが、自分で驚くほど軽やかになった。
壁伝い歩きにしても、オランウータンからチンパンジーくらいの進歩(?)になっていた。
気温が暖かくなった? 足踏み連続10分の効果? いずれにしても今後が楽しみ楽しみ。

 参考:眼の後遺症について=まぶた閉じれず、視力低下、映像の左右ズレ、眼の振動の4つ

   (1) 平成10年2月
      ・マヒ目のゴースト程度=白いシルエット映像(視力測定は不可)
      ・映像ズレの程度=10数m離れた50インチTV画面が重ることなく2つ見える。
      ・眼振の程度=左右どちらも鼓動と同じ調子で振動。文字は全然見えない(振幅大)。        

   (2) 平成19年4月
      ・マヒ目のゴースト程度=半透明のスモークガラス越し映像のよう。
                    視力は0.1以下(距離半分で最上部が分かる程度)

      ・映像ズレの程度=3m離れた32インチTV画面の70%~80%がダブって見える。
                  10秒くらい目を凝らして見ると、ズレが無くなる時もある。
                  しかし焦点を外し他を見ると、再びズレる。
 
      ・眼振の程度=左右どちらの映像も、鼓動と同じ調子で振動(揺れる)する。
               揺れ幅は小さくなり、時刻の文字も地震等のテロップ文字も、
               TV画面ではほとんど皆、読み取れるようになった。

   (3)平成20年4月25日
      ・マヒ目の視力=常時0.1。
                頬を持ち上げて手で瞬きさせると、白い霞状のくもりが晴れたように、
                かなり綺麗な色模様のテレビ画面が見える事が多くなってきた。

      ・映像ズレの程度=去年と変わらないように見える。
                  テレビの色模様が綺麗だから、ズレが若干小さくなっているのかも。

      ・眼振の程度=振動はしているが、振幅が去年よりはガ然小さくなっているので、
                細かい絵・模様などを見ていても、目や頭が疲れる程度が激減。
                ネット囲碁の好調の理由かも・・・。

  目の後遺症程度は自分だけにしか分からないけど、文章化すると客観・定量的に思えるから不思議だ。
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1日のスケジュール

2011年05月13日 06時21分21秒 | リハビリ・ADL
ADLリハビリの紹介を兼ねて、最近の生活をスケジュールと生活行動で輪切りにしてみる。

1.スケジュール
  娘の仕事の都合で、多少ズレることはあるけどね。

   4:30~ 起床、ブログ、ネット散策
   6:00~ 朝食
   6:30~ 着替、歯磨、仏壇、点眼
   8:00~ テレビ、ネット散策
   9:30~ リハビリ(足踏+筋トレ+体幹ツイスト)
   10:30~ お茶、ネット散策
   12:00~ 昼食、歯磨
   14:00~ リハビリ(足踏み+筋トレ+体幹ツイスト)
   15:00~ お茶、ネット散策
   18:30~ 夕食、ネット散策、テレビ
   21:00~ 入浴
   22:00~ 仏壇、就寝、点眼、目パッチ

       参考:水分補給は『2』リットル/日が目安。ADL=Activity in Daily Living :日常生活を通じたリハビリ

2.生活行動
  個々の生活行動を箇条書きにしてみる。

   ・生活場所 → リビング
   ・移動手段1→ いざり(食事、布団敷き&たたみ、カーテン開閉、仏壇):この写真と同じ。
   ・移動手段2→ 手摺の伝い歩き(トイレ、歯磨き)
   ・食事   → 飲食料、箸・スプーン、薬、目パッチ、電気カミソリ、手鏡などが、座卓上に並べてある。
   ・パソコン → 床→ソファ→パソコン椅子への2段階移乗で、パソコンデスク席に座る。
   ・布団   → 娘が夜勤の時にはリビングに重ね置いた布団を敷き広げて寝る。朝起床後には布団をたたみ重ね置く。
             娘が日勤の時には、和室においたベッドで寝ている。
   ・着替え  → 着替えはソファに座って行い、脱いだ物はソファ端にたたみ置く。
   ・歯磨き  → 朝昼夜の3回。起床時はうがい+コップ2杯の水を飲む(血を薄める)。
   ・洗面   → 娘に蒸しタオル等で拭いて貰う(まぶたマヒ、失調、冷水で硬直するので、自力洗面は難)
   ・深夜トイレ→ 冬は防寒ガウンを羽織り、自力トイレで0~1回。
   ・照明テレビ゛→ リモコン操作
   ・暖房   → 石油ストーブは手動(給油は事前に娘が)、エアコンはリモコン操作
   ・戸締り  → セコム・ホームセキュリティ、1階ガラスに侵入防止&飛散防止シールを貼付済
   ・通信   → 娘達とは朝夜パソコンメール、電話は常時留守電モード
   ・余震対策 → 枕もとに防災予防で、乾電池式のランプ+ラジオを必ず置いている。

      参考:難しいベスト3
          第3位ートイレで立ったままのズボン上げ → 今(2014年秋)では、楽勝になった。
          第2位ー風呂場での移動全て → 滑って転ばないように、スローなオランウータン動作になる。
          第1位ー体重測定 → 意外かも知れないけど、狭い体重計の上にふらつかずに立つことは至難のワザ!
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大震災後のサバイバル

2011年05月12日 06時05分08秒 | 東日本大震災・地震
◇昨日も真冬並みに寒く、ここ名取でも死者を悼むように雪が降った。
  今朝も、庭がうっすら雪化粧している。
  テレビ画面の被災地も雪で覆われて、瓦礫が一時的に隠されるので悲惨さが小さく見えるかもしれないが、
  避難所で厳しい寒さに震えながら、眠れぬ夜を過ごした多くの被災者を思うと胸が痛い。
  震災と津波の悲惨な映像を、これでもかとばかりに繰り返し流すテレビはもう見たくない。
  今日も、もう地元TBCラジオ放送に切替えた。

◇震災後のリハビリ
  ・第2日(土):全面的に休み(気力おきず)
  ・第3、4日 :足踏みを20分程度したけど、無暖房なのでマヒ側の強張りが相当強かった。
           また、手摺を握る手がかなり冷たかった。
  ・第5日(火):停電中で真冬並みに寒かったので、全面的に休み(毛布+布団にくるまっていた)
  ・第6、7日 :体幹ツイスト5分、スロー腹筋15秒×4、背筋2分、股関節1分×2、
           足踏み6分×3のフルセットで1回やってみたが、結構きつかった。
  ・今日    :午前中は3インターバルとも連続で足踏みができたので、
           知らない間にかなり進歩したと思った。午後はどうだろうか?

◇今晩は娘が夜勤。
  日中も夜間も余震は時々あるけど、M9地震を経験して腹が座ったのか、
  もう矢でも鉄砲でも持って来いの心境で、夜ひとりの不安等は全然ない。
  サバイバル生活中とはいえ、秘かにスイーツを期待しても罰はあたるまい。
   →熱いフレーバーティにストロベリーチョコが3つも、、、、くくくっ、ありがとう!

◇死者・行方不明者数が2万人を超える大震災になりそうだけど、
  こうして無事に元気でいられるのも、お銀さんはじめマイホトケ様のご加護のおかげと思う。
  あらためて感謝と御礼の気持ちを込めて、かげろうのお銀さんをおもちゃ箱に復活することにする。

◇その後、時間も過ぎて、、、今日(5月12日)に至る。
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東日本大地震の発生

2011年05月12日 05時56分50秒 | 東日本大震災・地震
◇3月11日午後2時46分、あの大地震が発生した。

◇無事です、元気です!

  電気は昨日(3月15日)復旧、光フレッツは今日(3月16日)午後復旧したので、とりあえず。
  ガス、水道、家は、奇跡的に無事でした。
  家族、親戚、友人達も、みんな無事でした。
  それもこれも、お銀さん達ホトケ様のご加護と思っています。

  皆様からたくさんの安否確認&激励メールを頂戴しました。
  どうもありがとうございました。
  まことに勝手ながら、本日記に代えて返信は省略させて頂きます。

◇ラジオは絶対必要だね、音のでるものがないと不安で不安で。
  それからLED懐中電灯も絶対必要、人間暗くなると淋しくなって気が弱くなりがちだし。
  白色だったけどLED懐中電灯は低消費電力だし、今までのより2倍明るいし。
  浴槽への水の貯め置きも、停電時の水洗トイレに絶対必要。

◇食糧事情が悪いのは仕方なく、それでも娘はやりくりして日に3度の食事を欠かさず用意してくれている。
  食パン1枚+野菜ジュースだったり、小おにぎり1個だったりしているけど、、、、案外スリムになるかも。
  
  サバイバル生活中は、日記は日中に書くことになると思います。
   八兵衛流サバイバル終わりの定義=GSでガソリンが買えて、コンビニで弁当類を買えるようになる。


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昼食会

2011年05月12日 05時49分10秒 | サラリーマン時代
「感無量」繋がりになるけど、長女結婚式の1週間あと、しかも場所も同じ仙台国際ホテルで、
もと上司の杉本さん(数年後に社長に)が私とお銀のために、わざわざ昼食会を開いてくれた。

杉本さんを上司に私が仕えたのは平成7年、その後私の所属はいろいろ変わったけれど、
平成18年3月に退職するまでの10年間、私の心情としてはずーっと杉本さんの部下だったと思う。

平成10年1月に脳幹(橋)出血に倒れ、99%会社復帰が危ぶまれた時も、
『八兵衛くんの人件費くらいなんとかする。死んだつもりでリハビリを頑張ってみろ!』と激励してくれ、
そしてその後の復帰に際しても、多大なる御尽力を戴いた。
杉本さんからは、どんな山よりも高く、どんな海よりも深くて大きい御恩を戴いた。

仙台は東京から新幹線で2時間とはいえ、仙台で昼食会をするには丸1日のスケジュールになる。
娘の結婚した記念の場所で、杉本さんから退職をねぎらって戴き、まさに感無量の昼食会だった。

 ps:杉本さんの部下でいられて、本当に幸せだった。
   陰ながら、末長いご健勝と会社のご発展を祈る。
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温度感覚が蘇り始めた

2011年05月12日 05時34分22秒 | 脳幹出血
倒れてから3年目になっていたが、この年、実に嬉しいことがあった。

1つ目は平成12年6月、会社でのこと。
出張で来仙していた三原社長が、私を激励し別れる際に両手を包み込むように握手をしてくれた。
握手をした瞬間に、三原さんはびっくりして大声で私に言った。
「あんなに冷たかった八つぁんの手が、暖かくなってきたじゃないか!」

三原さんのお母さんはかつて脳梗塞を患っていたことがあり、
お母さんのマヒ手が氷のように冷たかった、その記憶が強くあったとの事。
三原さんは私が倒れた時に氷川神社に安全祈願してくれていたり、
半年ごとに激励に来てくれてその都度握手してくれていたから、それで直ぐに分かったというのだ。
自分でもうすうす感じてはいたが、
三原さんがいち早く気がつき喜んで教えてくれたので嬉しさもひとしおだった。

2つ目は平成12年10月、自宅で入浴中のこと。

両半身とも温度感覚が未だ無かったので、湯船に浸っていてもお湯の温かさは一向に感じなかった。
非常にぬるいぬるま湯に浸っている感じでしかなかった。

「これはお湯だ、温かさは感じないけど、ほら湯気が出ている。」
仕方ないから目でお風呂のお湯を感じ取り、
湯船に浸っている自分を目で確認をして、そして自己満足するしかない。
そんなお風呂だった。

いつものように身体をシャンプーし終わって、湯船に浸っている時だった。
マヒ側の右半身に感じていたぬるさが、急に氷水のように冷たく感じた。

次の瞬間、マヒの軽いほうの左半身が、「もあぁ~」っと急に温かくなった。
「おぉお~い、お銀、お風呂の暖かさが分かったぞ~っ!」
思わず大声で歓声を上げてしまった。
お銀も、娘達も、何事が起きたとばかりに素っ飛んできた。

歩くなど運動系の改善ではないが、6ヶ月以降の慢性期に入っているからといって、
脳神経の改善は決してストップしている訳ではない。
この年の2つの出来事から、
脳細胞は迂回路ネットワークの再構築を24時間絶え間なく営んでいることを実感し、非常に嬉しく思った。
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初めての外国出張

2011年05月12日 05時28分36秒 | サラリーマン時代
一人旅と言うと気楽な響きがあるが、カタコト英語をチョコっとしか話せない悲しき身であるも、
ロンドン、パリ、ベルン(スイス)、ダルムシュタット(西ドイツ、フランクフルトの近く)、4ヶ国への一人での外国出張だった。

昭和60年当時だからヨーロッパへはアンカレッジ経由が一般的で、時間もほぼ丸一日18,19時間もかかった。
行きの機内でワインを呑み酔って寝ようとしたけど、緊張で全然酔えないし、眠ることも出来なかった。
ボーッとした頭で北極海の白一色の氷を眺めていたら、
そのうち夜明け前のスキポールに着いたので、ブラックコーヒーを立て続け2杯飲み眠気を醒ました。

帰国はフランクフルト発のアンカレッジ経由だったが、
出張を終えた安堵感からかワイン2,3杯で眠りこけ、アンカレッジで起こされたほどだった。
だから北極海どころかKLMのスチュワーデスが美人だったか否か、全然記憶に残っていない。

出張収支が約40万円の大赤字だったので、のちにお銀から大目玉を喰らうことになった。
セカンドバッグ1つくらいじゃ、ゼッタイに誤魔化されない!、ってね。
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インターネット囲碁

2011年05月12日 05時08分11秒 | 囲碁
長年勤めた会社を去年の春にリタイアしたので、それを機会にインタネット囲碁を始めてみた。
サラリーマン時代は昼休み囲碁だったから、スジ悪、ザル、ケンカ碁好きの縁台囲碁の見本で、
キャリアが長いわりにはさっぱり上達しない、いわゆる八つぁんクマさんの囲碁だった。

脳出血したとはいえ囲碁を打つからには、相手には同情&手加減などをして欲しくもない。
それに第一、歩けないから行きたくとも町の碁会所には行けないし、
どうせなら名実ともバリアフリーで、対局者とは先入観無しで向え合える囲碁が好い。

そんな気持ちが強くあって、月2100円の有料だが日本棋院のネット囲碁会員に入った。
そこは希望していた通りの完全バリアフリー道場で、しかも幽玄深奥な世界だった。

以前は会社では初段格と大風呂敷を広げていたが、謙遜のつもりで2級と申告し加入した。
ところがあれよあれよと言う間に、1ヶ月後には8級に転落していた、あぁ、無残!
鼻っ柱は強いほうだけど、この時には全く自信を失いかけたね。

去年は年間1500局試合したから、朝から晩まで毎日4局は打っていた勘定になる。
実力は3か4級がいい線だが、数多く試合するためには、若干余裕を持つのも大事。
で、実際には2~8級の間を行ったり来たりしながら、常連さんと対局して楽しんでいる。
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