◇今朝も5時に元気(体温=36.3度)に起床した、感謝感謝。
今日は月曜日で在宅日、今週のリハスタートだ。
午後2時46分、
犠牲者への鎮魂の念を込めて私も黙祷をささげた。
◇ふぅ、東日本大震災のあの日から13年も過ぎたか。
あの時はまだ私も59歳、若かったなァ
脳幹出血から13年目で、自己流リハビリと称して自宅に引き籠っていた。
漬物が絶対ダメで、野菜の好き嫌いも激しいから、
私の好き嫌いを知らない他人が作った食事や弁当は、
堪らなく嫌で嫌でしかたなかった。(←デイを利用しなかった理由)
ちょうどあの日あの時は、
私がリビング内の手すりを掴んで足踏みをしていた時で、
病院宿直明けで寝室で寝ていたはずの娘がリビングに飛び込んで来て、
『お父さん、大変、大地震が来る!!!』
あとは地球が割れるのかと思うくらいの激しい揺れが非常に長く続いて、
いつ家の柱が『バキッ』と折れて家に潰されるのか、
『娘と一緒だからそれでも好いかな』と、内心では覚悟したっけなァ
10分以上続いた震度7の大地震でも、瓦が一部落ちたけど家は無事だった。
地震が発生した瞬間は、私は手すりを掴んで足踏みしていた時だっだので、
きっと妻のお銀(震災3年前に他界)が護ってくれたのだと思っている。
でも、あのような経験はもうコリゴリ、二度とご免こうむりたいね。
◇東日本大震災当時は59歳、ふり返ってみて思った。
・脳幹出血したけどまだ40代は血気盛んだったのか、
家族を路頭に迷わせてはいけないと会社復帰の一念で、
それ以外のことはコレっぽちも考えていなかった。
・50代半ばに妻に先立たれて人生最大のストレスを味わうとともに、
ひょっとして将来でも歩くことは無理なのかも・・。
そして、歩くことよりも1年でも長く長生きしたいと思い始めた。
・60代は老境期に入ったにも関わらず、
頭の中から『老』を追い払うように、
加齢という言葉を意識的に使用していた気がする。
・70代に入り特に去年後半あたりからは、
否応なく『老化』してきた自分の心身を感じている。
最近ではまあ好いいかと割りきって、
自伝を書いてるつもりでブログを書くことが多くなった。
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