福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

真田幸村の最期の地 と伝えられる“安居神社” 境内に真田幸村の銅像があり、石碑もある!!!

2017-12-22 11:00:00 | ★気儘にぶらり 再発見😲 面白いなぁ?
市営地下鉄 恵美須町駅から徒歩 10分ぐらいかなぁ
分かり易い。一心寺の北側 の国道25号線を挟んでいる。
境内に真田幸村戦死跡碑がある。大坂夏の陣(元和元年-1615)のとき、茶臼山に布陣した幸村は、徳川家康の本陣を急襲、窮地に陥れたが戦い利あらずついにここで戦死したという
真田幸村終焉の地・・マア、所縁の史跡。チョット訪ねてみた。
この時期、パラパラの人です。 松屋町筋からは裏門です。
25号線沿い正門















さなだ松 2代目


境内に古い石碑など歴史を感じる


面白い・・・




こじんまりとした境内、おみくじの花

猫ちゃんも

ガラス越しに会話??


松屋町筋筋から



チョットウオーキング です。

●余談 1

本の抜粋だけど

★大阪夏の陣、5月7日 最後の決戦で真田幸村を誰に首を取られたか??
影武者だったのか?本人だったのか?
薩摩落ちの異説も???(秀頼と共に?)
諸説色々
真相は通説の通り
この地で
越前藩主松平忠直隊の足軽頭 西尾久作に首を取られたと伝えられる。

古文書には
★押し寄せた西尾に対して幸村は『我は真田幸村也、御辺の相手に不足なし、今さら戦うべきにあらず』と、兜を脱いで首を差し出したという。

★西尾が幸村の首とともに獲た幸村所用の采配、薙刀は今も福井市市立博物館されいる。

★戦いに疲れて腰を下ろしていた幸村の首を西尾が取ったというのが真相だろう

と・・・本には記されていた。

★首実検の際、家康と西尾のやりとりを伝える史料もあるらしい。
➡︎家康は、『勝負をして首を取ったわけではないようだ』と側近語ったと・・・・
他の記録
➡︎西尾が力戦のうえ首を取ったと報告・・・これを聞いて家康はたいそう機嫌が悪くなった。
『幸村ほどの武将が、西尾ごときと一騎打ちをするはずがない。武道不案内のものがいい加減なことをいう』と不快感を示したという。


●余談 2
コピー
安居神社について
創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為にその名がついたという伝承がある。
明治に書かれた『大阪けんぶつ』では、当社は菅原道真ではなく少彦名神を祀る神社であり、道真が休んだから「安居」となり、近くに天王寺三名水の井戸があることから「安井」となったと伝えられるが、考証がないため信じられない、としている。境内には桜や萩などがあり、茶店もあって見晴らしよく、遊客も多かったという。摂津名所図会、浪速名所図絵でも花見の名所として選ばれている。

大丸の創業者の下村彦右衛門正啓がよく信仰していたので大丸天神と称されることがある。
➡︎また、大坂夏の陣で真田信繁(幸村)が当神社境内で戦死したと伝えられ、境内に戦死跡之碑が、他に古来、名水特に七名水として名を馳せた安居の清水(別名:かんしずめの井)の址などがある。



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