ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

物語

2021年07月11日 16時11分05秒 | Weblog

人生には2つか3つの物語しかない。
しかしそれは何度も繰り返されるのだ。
その度ごとに初めての時のような残酷さで。
(ウィラ・キャザー/米・作家)

■記憶に刻まれたスポーツシーン(3)

 2019年7月12日、ロサンジェルス・エンゼルスの選手全員が背番号「45」と「SKAGGS」と名前が記されたユニフォームを着用し、試合に臨んだ。そして、この試合でエンゼルスは継投によるノーヒット・ノーランを達成。試合後、選手たちはマウンドへ足を運ぶと、次々と着ていたユニフォームを脱いで盛り上がった場所に並べていった・・・。11日前の7月1日午後、テキサス・レンジャーズ戦に向けた遠征の際に宿泊先ホテルで意識不明状態で発見され、急逝したエース、タイラー・スカッグス(享年27歳)の死後初めてとなった本拠地での追悼試合後のことだった。

 


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ハートがあるかどうか

2021年07月11日 15時59分10秒 | Weblog

人は負けながら、勝つこともできる。
勇敢に闘いさえすれば、敗北は恥ではない。
ハートがあるかどうかだ。
(アーネスト・ヘミングウェイ)

■記憶に刻まれたスポーツシーン(2)

 2018年サッカーのワールドカップ・ロシア大会決勝トーナメント1回戦で、ベルギーに敗れた日本代表のロッカールーム。ベルギーに敗れてベスト8進出を逃した直後、日本チームのロッカールームに入ったFIFAのジェネラルディレクター、プリシラ・ジェンセンズは、「入口側の棚の上にはロシア語で「スパシーバ(ありがとう)」のメッセージが書かれた紙が残されていた」とのコメントとともに、この写真をTwitterに投稿した。


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誰かに倒されたあと、

2021年07月11日 15時47分02秒 | Weblog

「リストンは臆病者かな?」
「まだわからないな」パターソンは言った。
「誰かに倒されたあと、彼がどうするか見てみないと。
(ゲイ・タリーズ『敗者』)

■記憶に刻まれたスポーツシーン(1)

 女子マラソンが競技種目に新たに加わった1984年のロサンゼルス五輪。優勝記録は、ジョーン・ベノイト(米)の2時間24分52秒。そのベノイトのゴールから約20分後、競技場の観客が目にしたものは・・・、ふらつきながらゴールに向かい歩み続けている一人の選手の姿だった。その様子から熱中症にかかっていることは誰の目にも明らかだったが、トラックサイドの係員に対しアンデルセンはゴールする意思表示をし、歩みを止めようとしなかった。トラックサイドの医師のほうもアンデルセンがまだ汗をかいていたことから、身体の恒常性が保たれていると判断、ゴールラインを割るまで競技を続けさせた。
 アンデルセンの右足はほとんど動いておらず、右手はぶらつき夢遊病者のような中、競技場の大観衆の声援の後押しを受けて、競技場に入ってから5分44秒後、2時間48分42秒の37位で完走を果たした。

 


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運を拾って・・・

2021年07月11日 09時49分31秒 | Weblog

他人が、ポイと捨てた運を拾っているんです。

 

(大谷翔平/ロサンゼルス・エンジェルス・・・マウンドを降り際に、気がついたゴミを拾ってポケットに入れたことについて問われて・・・)


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「mRNAワクチン」で人類を救ったカタリン・カリコ博士の物語

2021年07月11日 00時33分19秒 | Weblog

「知っているということは、危険なことでもある。知らなかったからこそ、できてしまったということがある」

(Yahoo!ニュース/山田順 2021/07/05 17:37 )

 日本でいま接種されている新型コロナウイルスのワクチンは、ファイザー/ビオンテックとモデルナの2種類。どちらも「m(メッセンジャー)RNAワクチン」で、このタイプのワクチンは人類史上初めてつくられたものだ。そして、その生みの親と言われるのが、ハンガリー出身の生化学者カタリン・カリコ(Katalin Karikó)博士。
彼女がいなければ、「mRNAワクチン」は誕生しなかった。

■半世紀前に確認されたmRNAの存在

 mRNA(メッセンジャー・アールエヌエー)の存在は、半世紀前から知られていました。最初にその存在を指摘したのは、フランス人の生物学者ジャック・モノーとフランソワ・ジャコブで、この2人は1965年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。その後、この研究を引き継いで、アメリカの遺伝生物学者のマシュー・メルセンが、mRNAの存在を実証しました。
 彼らの功績は、DNAに書かれた情報がmRNAを介してタンパク質の合成にいたるという分子レベルの仕組みを解析したことです。

 東欧の小国ハンガリーの女性生化学者カタリン・カリコ博士は、この仕組みに注目しました。mRNAがタンパク質を合成するという仕組みを利用すれば、将来必ず医療に貢献できると考えたのです。当初、彼女は、がん治療にmRNAが利用できればと思っていたと言います。

■900ポンドをぬいぐるみに隠して渡米

 カリコ博士は、1955年生まれ、今年で66歳。
 ハンガリーの首都ブダペストから東におよそ150キロ離れた地方都市ソルノクで生まれ、近隣のキシュウーイーサーラシュ市で育ちました。実家は貧しく、父親は精肉業を営んでいました。
 小さいころから非常に優秀で、大学は最難関校の国立セゲト大学に進み、卒業後はハンガリー科学アカデミーの奨学金を得て、地元の研究機関の研究員となりました。その間、RNA(リボ核酸)の研究で博士号を取りました。
 ところが突如、政府からの研究資金が打ち切られることになり、アメリカ行きを決意します。1985年、カリコ博士は夫と幼い2歳の娘とともに渡米します。

 当時はまだ冷戦時代。ハンガリーは、西側への通貨の持ち出しを厳重に制限していました。しかし、アメリカにツテがないカリコ一家は、生活費を持ち出さなければ暮らしていけません。そこで彼女は、娘が大事にしていたクマのぬいぐるみのテディベアの中に、全財産の900ポンドを隠したのです。 
 渡米後、彼女はペンシルベニア州のテンプル大学で研究員となり、その後ユーペン(U.Penn:ペンシルベニア大学)に移って、助教授となり、mRNAの研究に没頭しました。

 しかし、彼女の研究は評価されませんでした。
 そのため、研究費もしばしば削られたと言います。そんななか、HIVのワクチン開発の研究をしていたドリュー・ワイスマン教授と知り合い、彼と共同で、2005年、今回のワクチン開発に道をひらく画期的な研究成果を発表したのです。しかし、これもほとんど注目されませんでした。
 こうして、2010年にはmRNAの関連特許を大学が企業に売却してしまったため、彼女の研究は事実上、頓挫してしまいました。

■ドイツのビオンテックが研究に着目

 失意の彼女を救ったのが、ドイツのバイオ企業ビオンテックでした。2011年、ビオンテックは、彼女をドイツに招き、研究を続ける契約を結びました。
 ビオンテックの創業者のウール・シャヒン博士と妻のエズレム・テュレジ博士は、ともにトルコ系ドイツ人。2人とも医師で最先端医療の研究者だったので、彼女の研究の価値を見抜けたのです。

 mRNAは、体内で炎症反応を引き起こしてしまうため、長年、薬などの材料として使うのは難しいと考えられていました。しかし、カリコ博士とワイスマン教授の共同論文は、mRNAを構成する物質の1つ「ウリジン」を「シュードウリジン」に置き換えると炎症反応が抑えられることを指摘していたのです。
 ここに、ビオンテックのシャヒン博士は着目したのです。

■いまやビオンテックの株価は天井知らず

 新型コロナウイルスの表面には「スパイクたんぱく質」(spike protein)と呼ばれる突起があり、ウイルスはここを足がかりとして細胞に感染します。mRNAは、この突起の部分のいわば「設計図」にあたり、ワクチンを接種すると、これをもとに細胞の中でウイルスの突起の部分だけが体内でつくられます。
 そして、この突起によって免疫の仕組みが働き、ウイルスを攻撃する「抗体」がつくられるのです。

 2020年3月、ビオンテックはアメリカの製薬大手ファイザーとmRNAを用いた新型コロナウイルスワクチンの開発を開始すると発表し、世界を驚かせました。新型コロナウイルスの感染が全世界的に拡大する前のことです。当時、日本では、クルーズ船の感染で大騒ぎでした。 
 アメリカ政府は、多額の補助金を出し、mRNAワクチンの開発に賭けました。ビオンテックは2019年にナスダックに上場していましたが、いまやその株価はワクチン開発の成功で天井知らずになっています。

■モデルナもまたカリコ博士の研究に注目

 モデルナのワクチンも、カリコ博士の研究に基づいてつくられています。
 モデルナは、2010年にハーバード大学の生化学者デリック・ロッシ博士によって、ボストンで創業されました。ロッシ博士は、カリコ博士の2005年の論文を読んで、即座に「これはノーベル賞に値する」と直感したと言います。

 ロッシ博士はカリコ博士と同じく、早くからmRNAの医療への応用を考えており、MIT(マサーチューセッツ工科大学)のロバート・ランガー博士を引き入れて研究を開始しながら、資金集めに奔走しました。クラウドファンディングの技法を使いましたが、資金集めと経営に大きな貢献をしたのは、フランスからCEOとして招いたビジネスマンのステファン・バンセル氏です。

 アメリカ政府は、国防省傘下の「DARPA」(防衛先端技術研究計画局)をとおして、2013年からモデルナに資金援助をしてきました。また、今回は、保健福祉省傘下の「BARDA」(生物医学先端研究開発局)をとおして、いきなり9億5500万ドルの補助金を出しました。

 モデルナも、2018年にナスダックに上場しています。まだワクチンを1つもつくっていないにもかかわらず、「ユニコーン」(スタートアップしてからの10年以内で企業価値が10億ドル以上になる企業)となり、いまやその株価の時価総額は9000億ドル(約9兆9000億円)に迫っています。

■今年か来年のノーベル賞の最有力候補

 イギリスの「ガーディアン」紙は、「研究者としての環境を求めてクマのぬいぐるみにわずかなお金を隠してアメリカに渡った研究者が、いまではノーベル賞の有力候補と言われている」と、賞賛しました。

 NHKのインタビューで、カリコ博士はこう語っています。
「物事が期待どおりに進まないときでも、周囲の声に振り回されず、自分ができることに集中してきました。私を『ヒーローだ』と言う人もいますが、本当のヒーローは私ではなく、医療従事者や清掃作業にあたる人たちなど感染のおそれがある最前線で働く人たちです」

 


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