ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

未来につなぐ転機か、

2021年07月24日 00時19分50秒 | Weblog

終わりの始まりか、東京五輪開幕

(2021年7月23日 20:31 日本経済新聞WEB)

 緊急事態宣言下の東京で、新型コロナウイルスの感染が急拡大する最悪のタイミングで五輪は開幕を迎えた。1年延期された末に、ほとんどの会場が無観客で開催される異例ずくめの「平和の祭典」は、日本のスポーツや五輪の未来に何を残すのだろう。

 コロナ下での開催を目指して迷走を続ける中で、五輪ブランドは失墜した。国際オリンピック委員会(IOC)の相次ぐ独善的な言動に日本国民は反感を募らせ、大会組織委員会は失態続き。開会式前日の22日にも、ショーの演出担当者が解任に追い込まれた。

 最大の痛手は、世界平和への貢献という崇高な理念を掲げる五輪が、その実態は特権を享受するIOC委員とスポンサー企業のための商業イベントにすぎないと思われてしまったことだろう。

 東京大会の組織委には国内68のスポンサー企業から3700億円を超える協賛金が集まった。2012年ロンドン大会の3倍以上と破格の金額。五輪はそれほど国民の支持率の高いイベントだった。だが、スポンサー各社の大半は、トップの開会式への出席を取りやめた。IOCのスポンサーであるトヨタ自動車、パナソニック、ブリヂストンも同様だ。トヨタは五輪関連CMも取りやめた。

 巨額の資金を提供しながら、大会を支援していることが逆に企業イメージを傷つける。こんな状況を招いたことが、世界的にもこれからの五輪に悪影響をもたらすことは避けられない。

 スポーツ界の責任も重い。本来なら開催都市のパートナーとして自国での五輪開催の意義を国民に丁寧に説明すべき日本オリンピック委員会(JOC)は、まったく存在感がない。大会を政治的に利用する思惑ばかりが目立つ状況を招いた。

 

 結局、五輪を歓迎できないムードを変えるのは、無観客のスタジアムやアリーナで戦う選手たちの姿となるのだろう。人生をかけて準備してきた舞台。テレビを通じての観戦でも、必死で勝利を目指す彼らのプレーが生むスリリングなゲームは、それだけの力を持つと思っている。

 開催国である日本の選手たちは、コロナ下での大会開催に、申し訳ないと負い目も感じているはずだ。だが、今は余計なことに心を乱さず、ただ目の前の目標に集中すればそれでいい。そして戦いを終えた後、感謝とともに、考えることを忘れないでほしい。五輪の開催がコロナに苦しむ社会の負荷になるのは否定できない。金メダルを取っても、それは帳消しにはならない。

 ならばスポーツを通じてこれから社会に何を返せるのか。一人ひとりがその問いかけを常に意識すれば、この国のスポーツの未来は必ず良い方向に向かうはずだ。

 1984年のロサンゼルス大会で商業主義にかじを切った五輪は、理念とビジネスの両立という矛盾を抱えたまま巨大化を続け、そのひずみは限界に達していた。そしてコロナ禍はその実態を浮き彫りにした。

 感染症のパンデミックは今後もやってくると予想される。いや応なく簡素化を迫られる東京大会には、原点に回帰して五輪を未来にリレーする転機となってほしい。だが、五輪の「終わりの始まり」となるのかもしれない。


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