ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

『朝起きて、本屋に行って、

2008年12月19日 12時44分49秒 | Weblog
1冊の本を買い、喫茶店で5時間をかけて読む。
こんな幸せなことがあるのに、人はなぜ、他人が薦める旅行や食事やイベントに金を使うことが幸せだと勘違いしているのだろう』(北野武)

 そんなふうに時間を忘れて読書に没頭する時間を与えてくれるような作品に、今年(2008年)は、幾つ巡り会えたのだろう?
 不思議なもので、どうしても終わらせなくてはならない仕事を抱えているときに限って、あと1時間、あと30分と言い聞かせて読み進み、そのうちに窓の外が白々と明けてきてしまうというようなことが多いのに、時間がたくさんあると反対に、いつでも読めるという意識からか本に向かう時間が減ってしまう。集中力も持続しなくなってしまうように感じるのはどうしたものだろうか。

 それはさておき、思い出す作品をあげてみる。

■タイブレーク(ジャック・M・ビッカム/至誠堂)
 ガンで闘病中だった大先輩に読んでいただきたいと思いお贈りした1冊。「読むわよ」と言っていただけたが、結局読むには至らなかったと聞いた。
元ウィンブルドン・チャンピオンで現在はジャーナリストとして活動する主人公が、東西冷戦下のベオグラード(ユーゴスラビア)に潜入し、西側に亡命を求める未来の世界チャンピオンと期待される美貌の女子プレーヤーを救出するというスポーツ・サスペンス。
 テニスシーンを舞台にした作品としては、ラッセル・ブラッドンの『ウィンブルドン』(新潮社)やアーウィン・ショーの『混合ダブルス』(王国社)といった記憶に残る作品があるのだが、これはそれらにも増してテニスシーンが克明に描かれている。マッケンロー、レンドル、エバート、ナブラチロワ、シュライバー、マンドリコワといった80年代に活躍した実在のテニスプレーヤーのプレーシーンが描かれているだけでなく、名物記者バド・コリンズも登場するなど、取材で現場を踏んだ者には懐かしい人物が描かれているのもうれしかった。

■帰郷(ウィリアム・マックスウェル/早川書房『ニューヨーカー短編集Ⅰ』所収)
 早川書房から出されている『ニューヨーカー短編集』3巻の中の第1巻に収められている短編。以前読んだものだが、帰郷したこともあって、もう一度買い求めた。ページ数7ページという超短編だが、1行ずつ噛みしめながら時間をかけて読みたい作品だ。
 主人公ジョーダン・スミスは3年ぶりに故郷ウォータータウンに帰ってきた。父母と二人の弟とクリスマスを過ごすために。でも、本当に会いたかったのは親友のトムだったのだ。彼と会わずにニューヨークに帰るわけにはいかない。だが、なかなか会いにはいけなかった。町のどこかでばったりと出会えたら・・・、それがいちばんいいと思っていたのだ。しかし、ある夕刻、意を決して懐かしい親友の家の玄関に立った。ザクッ、ザクッと雪を踏みしめて・・・。
書かれているのは、それから数時間の物語である。

■チャイルド44(トム・ロブ・スミス/新潮文庫)
 29歳のイギリス新鋭作家のデビュー作。スターリン体制下の旧ソビエトを舞台としたサスペンス・スリラー。上下巻合わせて800ページ弱の長編だが、久しぶりに夜が明けるのも忘れてしまった。
 テーマ(主題)は最初から5行目に出てくる以下の言葉に集約されている。
『生き続けるには、自ら守る何か、愛せる何か、心の支えとなる何かが必要だった』

 マリアは自らの死を悟ったとき、愛する猫を森に逃がすことにした。野ネズミも家ネズミも村人に捕らえられ、食べられてしまい、家畜やペットが姿を消した村で、自らは台所の椅子の脚をかじりながらも手をかけずにきた猫だった。
 だから、薪拾いをしていた少年は自分の眼が信じられなかった。この村にまだ猫が生きていたなんて! 家に駆け戻ると、息を切らして叫んだ。
「母さん、猫を見た」。
そして悲劇の物語が始まる・・・。

■ハラスのいた日々(中野孝次/文春文庫)
ベストセラーとなった『清貧の思想』(文春文庫)の著者が愛犬ハラスとの13年の日々を綴ったエッセイ集。たまたま我が家に2匹目の飼い犬チョコ(ミニチュア・ダックスフンド)がやってきた時期に手に取ったこともあって、「うん、うん」とうなずきながら読み進んでいたのだが、終章では今年11歳になるコロ(シェルティー=シェットランドシープドッグ)との日々と重なって涙をこぼしてしまった。
我が家の老犬も寄る年波には勝てないのだろう。今年の夏は、いつもすたすたとこちらを引っ張る勢いで登っていた山道の途中まで来ると、いつの間にか、後ろのほうを歩いていることが多くなった。「どうした?」と声をかけると、立ち止まって、来た道を振り返り、下ろうとするかのように綱をひっぱる。
当然ながら犬にも老後があり、氏が経験したように介護の日々がやってくるのだろう。

■シズコさん(佐野陽子/新潮社)
『私は母さんがこんなに呆けてしまうまで、手にさわった事がない。四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった。私はその時、二度と手をつながないと決意した』と語る著者は今、自分が誰かもわからなくなってしまった母のベッドに潜り込んで、その手をさする。『私は母さんを捨てたから、優しい気持にも時々なれるのだ』と思いながら・・・。
『100万回生きたねこ』で知られる絵本作家が痴呆の母との愛憎の日々を綴ったエッセイ。
母が痴呆になって初めて心を開くことができた娘の哀しみ。老人ホームに入れたことで消えない“母を捨てた”という自責の念。だが著者は、小さくなってしまった母の手をみながら思うのだった。
『九十年間、この小さくなってしまった手で母さんは、生きる事の全てをなしとげて来た』のだと。その手がたどった愛憎溢れる人生を赤裸々に描きながらも、夏の北海道の風のようにカラリとさわやかな気持にさせてくれる1冊だった。




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