ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

1月30日(水)のつぶやき

2013年01月31日 01時23分05秒 | Weblog

指導というのは、国語辞典が間違っていて、教え導くのではない、教え導かれること。”なでしこの父”と言われる阿部由晴(常盤木学園高校サッカー部監督)



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1月24日(木)のつぶやき

2013年01月25日 01時23分26秒 | Weblog

雨が降らなければ、虹は出ない。(ハワイの言い伝え)


ごちゃごちゃ考えるよりは、まずやってみる。(山中伸弥)


薬に頼らず食べるものから変えてみると、1年くらいで、とても気持のいい身体になりました。(落合恵子)


人の為と書いて何と読むか。



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1月19日(土)のつぶやき

2013年01月20日 01時23分22秒 | Weblog

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『朝食の前の真珠』

2013年01月19日 21時30分17秒 | Weblog
2007年1月12日金曜日午前7時51分、ラッシュアワーの米ワシントンDCの地下鉄。駅構内で、ジーンズに野球帽を被った一人の青年がヴァイオリンを弾きはじめた・・・。(ワシントンポスト紙が伝えた有名なお話)


首都ワシントンの地下鉄のランファン・プラザ駅。
エスカレーターと出口の間にあるスペース。
壁に背を向け、ゴミ箱のそばで、ジーンズ、Tシャツでワシントンナショナルズの野球帽をかぶった若い白人の男性がなにやら小さなケースを開けてヴァイオリンを取り出します。

開いたケースを足元に置き、種銭として1ドル札数枚と小銭を投げ入れます。

ラッシュアワーに行き交う人たちに向かって演奏を始めます。
時間は朝の7:51、1月12日金曜日。
このヴァイオリニストは43分の間、6曲のクラシック音楽を弾きます。
その間行き交う人は1097人。ほとんどが職場に向かう人たちで、ほとんどは政府関係の職に従事しています。
政策分析、プロジェクトマネジャー、財政審議官、その他専門家などの、政府の中級官僚達がほとんどです。

ストリートミュージシャンはワシントンではよく見かけられる光景です。
喧騒の中で通行人は様々な選択肢に直面することになります。

立ち止まって音楽を聴くでしょうか?
後ろ髪を引かれながらも仕事に遅れたくない、お金を無駄に使いたくないと思ってただ通り過ぎるでしょうか?
気の毒なので1ドル札を恵むでしょうか?
もし演奏がとても上手かったらどうするでしょうか?

美しいものを楽しむ時間はあるでしょうか?
楽しむべきではないでしょうか?
心理的にどんな計算が繰り広げられるのでしょうか?

ジョシュア・ベル氏はクリスマス前に、我々のこうしたプロジェクトを持ちかけられました。
ちょうど彼は、フリッツ・クライスラーの所有していた楽器を試し弾きするために国会図書館を訪れていました。

「どうかな、このヴァイオリンでクライスラーの曲を引っさげてツアーをするというのは」
そんなことを我々と話していたところでした。

「普段着でラッシュアワーの通行人に向かって弾くことは可能でしょうか?」
という質問に・・・、

「つまり、(ストリートミュージシャンの)フリをするってこと?」

「そうです。ちょっと不可能でしょうかね」

「面白そうじゃない」


ベル氏はプロジェクトに参加することに合意してくれました。



●●レナード・スラトキン氏の予測●●

「ワシントンポストのプロジェクトーーもし世界的なヴァイオリニストが地下鉄の駅で演奏をしたらラッシュアワーで行き交う1000人以上の大衆はどう反応するでしょうか?」

指揮者レナード・スラトキン氏は、我々の質問に答えました。

「音楽が素晴らしいことに気づいた人達がちらほら立ち止まるに違いない、ベルだと気づいた人たちで人だかりができるかもね。
そうだね、大衆が単なるストリートミュージシャンだと思ったら・・・それでも、彼がものすごく上手かったら、みんな気づかないはずないと思うよ。
ヨーロッパでやったら凄い聴衆の数になると思うが・・・、
そうさね、1000人の大衆がいるとしたら、35人から40人ぐらいが音楽のレベルが高いことに気づくと思う。多分75人から100人が立ち止まって聞くんじゃないかな」

「大衆は集まるとお考えに?」

「もちろんだよ」

「では、これでどのくらいお金が集まるでしょう?」


「150ドルぐらいかな」

「マエストロ、有難うございました。これは仮想ではなく実際に起こったのです。もう事実行われました」

「で、僕の予想はどう?」

「ちょっとお待ちを、今お答えします」

「で、誰だったのそのヴァイオリニストは?」

「ジョシュア・ベルです」

「まさか!!!」



●●ベル氏のヴァイオリン●●

ベル氏のヴァイオリンは、ストラディヴァリウス黄金時代1713年製、推定3.5億ドル。

ベル氏はホテルからタクシーでわずか3ブロック先の地下鉄駅まで出掛けました。別に具合が悪いわけではないのです。これは1713年という高価な楽器のためなのです。いわゆるストラディヴァリ黄金時代の作品。

「アコースティックに対する知識はまだまだ判ってませんね。でもストラディヴァリは知っていたのです。
ヴァイオリンを作る木はどこもアコースティックのために完璧な厚さでできているので、僅か1ミリでも木版を削ったら音は台無しになってしまいます」


1710年代のストラディヴァリウスが未だに最高とされています。

「僕の楽器はニスを塗り替えたことが一度も無いのです。このニスもオリジナルのままです。美しい音の理由がニスにあるとも言われています。
ヴァイオリン作りのために製作者は色々と秘密のニスを考えるのですよ」

ストラディヴァリは蜂蜜、卵白、サハラに生えているゴムの樹脂などを調合してニスを作ったとされています。


ベル氏のヴァイオリンは数年前にそれまで持っていたストラディヴァリウス製の楽器を売ってさらに借金をして手に入れたもので推定350万ドル(約3.8億円)と言われています。



●●当日の模様●●

ベル氏はまずバッハのシャコンヌから弾き始めます。これは14分にもおよぶ大曲で、最も素晴らしいクラシック名曲のひとつとされています。

あのブラームスも、
「無伴奏の、小さな楽器のための曲にこれほど人の心の深層と強い感情を描き出している。こんな素晴らしい曲を書けたら、いや、頭の中に思い浮かべることすらできたとしたら、喜びで気が狂ってしまうでしょう」とクララ・シューマンへの手紙に書いているほどの歴史に残る名曲です。

ベル氏は満身の力を込めて熱演。

3分後・・・、

63人が既に通り過ぎ、やっと変化が・・・。

1人の中年男性がちょっと方向転換をして、何かを弾いてる男性に気づきます。
でもそのまま歩いて立ち去りました。

30秒後。
初めての寄付金1ドルが入ります。女性がお金を投げ入れたと思ったらスタスタ通り過ぎました。

ようやく6分後に誰かが立ち止まって聴いていました。

スラトキン氏の予想は大はずれで、人だかりは全く無し。
僅かの1秒でも起こりませんでした。

この一部始終は隠しカメラで撮影されました。
何度ビデオを見てもお分かりですが、携帯、コーヒーを片手の通行人が腰に身分証をぶらぶら下げて歩く様子は非常に忙しく、非常に雑然とした映像になっています。

どれだけ曲が速くなってもパフォーマンスが熱演でも、雑踏の聴衆にとって、ベル氏は-見えない、聞こえない、実存しない、まるで幽霊のようなものだったのです。

幽霊。
でもこの映像を見ると、ベル氏だけが血の通った人間で、残りの通行人たちこそが幽霊のように思えてきます。


●●芸術の存在価値●●

素晴らしい音楽家が素晴らしい演奏をしても誰も聞かないとしたら・・・、
本当にその演奏家の価値はあるのでしょうか?

これは「美」という観念を廻る哲学的な議論になります。

「仕事」から戻ったベル氏、ホテルのレストランで朝食をつまみながら感想を語ります。

「弾き始めはただ自分の音楽に集中していましたよ。周りで何が起こっているか全く気にならなかった」

ヴァイオリンを弾くことには全身全霊の集中が必要です。
ヴェテランのベル氏にとってはもう演奏自体は体にとってごく自然となっています。

「サーカスのジャグラーと同じですね、観衆の反応を見ながらボールを操るようにね」
ベル氏は演奏する際に聴衆の心を語り手として掴むことを一番心掛けると言います。

「ヴァイオリンを弾くということは、語り部になるということです」


でも・・・と、ベル氏の表情は険しくなります。


「でも妙な感じでしたねぇ。あの雑踏の人たちは・・・」

次の言葉がなかなか出てきません。

「・・・僕を無視してましたから」

ベル氏は自分の姿を思い出して笑います。

「コンサートホールでは誰かが咳をしたり、携帯が鳴ったりしたら頭にきますね。
でもあの状況では何も期待できない、とまず思いましたね。
チラッとでもこちらを見てくれたら、それこそ感謝しましたね。
それに誰かが小銭で無く1ドル札を投げ入れたときに、自分でもびっくりするほど感激しましたよ」

その才能で1分間1000ドルも稼ぐことのできる演奏家の言葉です。

このプロジェクトを始める前には何が起こるのか予測もできなかったが、ある種の緊張があったとベル氏。

「舞台で《アガる》といった感覚ではなかったですが、どきどきしました」

ベル氏はヨーロッパの大衆の前で弾いたことがあります。
ではなぜワシントンの地下鉄で弾くことにこうした緊張感があったのでしょう?

「僕の演奏会のチケットを買ってくれた人達の前で弾くということは、既に僕という演奏家は認めてもらっているということなんです。認めてもらわなくちゃ、という気持は全く無い、既に受け入れてもらっているのですからね。
でもこの場合は、『若し通行人が自分を受け入れてくれなかったらどうしよう? もし自分の存在を不快に思ったらどうしよう・・』なんて考えてしまったわけです」

つまり、ベル氏は、地下鉄駅ではフレームの無い芸術品だったわけです。


●●芸術には鑑賞するのに相応しい設定がが必要●●

ベル氏の体験に関して、美術品の専門家マーク・ライトハウザー氏が解説をくれました。
ライトハウザー氏はナショナル・ギャラリーの支配人で数々の美術品を取り寄せてフレームに入れる段階から監督し展示しています。

「ちょっとこの抽象画の名作、エルスワース・ケリーの作品をフレームからはずしたとしますね。このギャラリーの階段を52段も下りてレストランに持ち込んだとしましょう。
これは500万ドル(約5.3億円)の作品です。
レストランの壁にはこの近辺の学校の学生が書いた作品が掲げられていて値札がついています。その中にまぎれてこのケリーの作品を150ドルの値をつけたとしても誰も気づかないでしょうね。
もちろん、美術鑑定士なら『ちょっと、あの絵、エルスワース・ケリーに似てない?
ま、いいか。 ちょっと、その塩こっちによこして』なんて話をするかもしれませんね」
ライトハウザー氏の見解では、この地下鉄通行人が全くの教養を介さない人達だと思ってはいけないということなのです。

ドイツの哲学者カントは、「審美眼はその人物の倫理観の高さと関係する」と語りました。
しかし、ペンシルヴェニア大学のカントの専門家ポール・ガイヤー教授いわく、
「ただし、その芸術品は最高の状態で鑑賞されなくてはならない、とカントは考えました。仕事のことで頭が一杯の状況で急いで歩く状態は、決して芸術鑑賞するために『最高の状態』とは言えませんねぇ。
カントが通行人に全く無視されながらも弾いていたベル氏を見たとしても何も思わないでしょうね」

そういうことです。

でも、ベル氏の音楽が全くクラシックを知らない人の心を捉えた瞬間もあったのです。
ジョン=デイヴィッド・モーテンセン氏は政府エネルギー部門の課長。予算を立てるのに大忙しです。
ちょうど、シャコンヌが重厚な短調から長調のまるで信仰的な救いを表すメロディーに変った時です。
モーテンセン氏は立ち止まり、3分ほど音楽を聴きます。
そして、生まれて初めてストリートミュージシャンにお金を恵みました。
もちろんモーテンセン氏は短調、長調など何のことやら判りません。

「なんか知らないが、音楽で平安な気持になったんですよ」



●●ベル氏にとって辛かった6回の瞬間ーー曲を弾き終えた後の完璧な静寂、無関心、無反応●●

ベル氏は合計7曲を弾きました。つまり、その間に6回、耐え難い沈黙、あるいは黙殺の時と空間があったわけです。
彼にとってそれが一番きつかったそうです。


「シャコンヌを弾き終えたとき、全く反応が無かったのはやり辛かったですね。まるで何も無かったかのようで」

シャコンヌの後、シューベルトの有名なアヴェマリアに進みました。

2~3分後、何か起こりました。

幼児を連れたお母さん。シェロン・パーカーさんと息子のエヴァン君3歳。

エヴァン君はベル氏の演奏に興味を持ちます。聞きたそうにして立ち止まりますが、忙しい母親のシェロンさんは子供の手を取って連れ出します。

2人が駅のドアを出たところで、我々が事情を説明すると
「まあ!エヴァンは凄いということですね」と驚き。


詩人のビリー・コリンズは、
「人間は母親の胎内で心音を聞いて育ち、詩の美しさを生まれる以前から知っている。成長するに従ってその《詩心》を体外に押し出してしまう」と語っていました。


忙しすぎたのでベル氏の音楽を聴けなかった人はいたのでしょうか?

いました。ジョージ・ティンドリーさん。その時に実際勤務中でした。
ベル氏が演奏していた場所のすぐ近く、オウ・ボヌ・パンというフレンチカフェで働くティンドリーさん。ボスの目もあり、なかなか店の外に出て演奏を聴けませんでした。
ボスが場をはずすと、店の敷居まで出て行き演奏を聴いていました。

「ちょっと聴いただけでこの男性が上手い、プロだってわかりますよ。
ほとんどの音楽家達は音楽を演奏するだけで《感じる》ことはできない。ベル氏は感じていました。心が動いていて、彼自身が音楽になっていた」
自分でもギターを弾き音楽好きのティンドリーさんは、ただ機械的に演奏する音楽家には全く敬意を感じないそうです。

ティンドリーさんの店よりももっと演奏が聴きやすかったのは宝くじ売り場に列を作っていた人たちでしたが・・・。
賞金に夢中で43分間の間ただの一人も注意を払いませんでした。

その列の中にいた1人、J.T.ティルマンさんは政府住宅・都市問題関係部のコンピューター専門家。
その日、2ドルの宝くじを10枚、計20ドル分買いました。宝くじの番号全て10枚分を記憶していました。
でも・・・、その日にヴァイオリニストが何を弾いていたのか覚えていません。

「一般的なクラシック音楽のようだと思いました。
映画のタイタニックで船が氷山の前に差し掛かったとき船上のバンドが弾いていた曲かな。
あの光景を見て何も特別感じませんでしたね。誰かがちょっとお金を稼ごうとしているな、ぐらいで」

我々が、あれは世界的演奏家、ジョシュア・ベル氏だと言ったところ、
「エッ! またこの辺で彼弾きますかね?」

「もちろん、でも演奏会のチケットは結構高いですよ」

「それは残念!」

ティルマン氏の宝くじも全てはずれだったようです。


ベル氏はアヴェマリアを弾き終えます。
全くの沈黙。無反応。

続いてはマニュエル・ポンセのエストレリータ、マスネーの作品、バッハのガヴォット。

「不思議ですよね。まるで僕が透明人間か何かのようにみんな無視したのは。
だって、あんなに大きな音を出してたのにね!
ひょっとしたら、お金を恵まないことに罪悪感を感じないで済むように、意図的に無視したのかなぁ」

カルヴァン・マイントさんも完全無視の例。
政府の総務課で働いています。エスカレーターの上まで行き、右に回りそのまま扉を開けて出て行きました。

数時間後、そこに音楽家がいたことも覚えていませんでした。

「えっ? どこにいたの、その人?」
「4フィート(約1.5m)離れたところです」
「ヘぇー」

それもそのはず、彼はiPodでへヴィメタルを聴いていたのです。



中でじっと立ち止まってベル氏を見ていたかのように思えた女性がいました。

「ええ、ヴァイオリンを弾いている人を見ましたよ」と覚えていたのはジャッキー・へシアンさん。

「でも、取り立てて何も気に留めませんでしたね。
ただ、この人一体何をしてるんだろう、お金を稼いでるのかしら、儲かるのかしら、それだったら始めから空のケースにしといたほうが、みんな気の毒がってお金を入れるんじゃないかな、なんて思ってましたね。経済的観点から考えていたわけですよ。
えっ? 私ですか? 
私は連邦郵便局の弁護士で、今雇用契約の交渉中なんです」
なるほど。
彼女はビデオカメラの映像ではベル氏をジーッと見ていたように写ったのですが、音楽に関して全く何も気づかなかったということです。


その日の生演奏の最上席は靴磨き店の椅子です。
上部からベル氏の演奏が見えたはず。
ここで、5ドルも出せば靴磨きには充分。

その日、その時刻に靴磨きに立ち寄ったのはたった一人。
客のテレンス・ホームズさんは、政府の運輸局のコンサルタントです。
スーツを着る日には必ず靴磨きをしてもらいます。

オーナーのエドナ・スーザさんはブラジル出身。
携帯にはちゃんとショッピングセンターの警察と地下鉄警察の番号が記憶されてあります。

「音楽がうるさいとお客さんの声が聞こえないので、すぐに電話をかけることにしているのです。ですから音楽家達もほんの僅かしか弾けないんです。あたしが警察に連絡して追い払ってもらうから」

で、ベル氏の音楽は?

「うるさすぎましたね。でも彼随分良かったわ。初めてよ、警察に電話かけなかったのは」

ベル氏が演奏していた事ことを聴いて、
「へえ、人垣ができなかったのは驚きですね。ブラジルだったら絶対そうなった。でもここはダメね。みな仕事で忙しくて疲れてるんですよ」

スーザさんの常客のホームズさんは、その朝スーザさんの愚痴を聞いてあげていました。
ベル氏の音楽で更に頭にきたスーザさんをなだめました。

「彼の音はちょっと大きすぎたですね。イライラした彼女を、まあまあといってなだめましたけど」


●●心のゆとりを失った現代●●

著名なウェールズ出身の詩人、W.H.デイヴィーズが1911年に出版した短い詩にこんなのがあります。

What is this life if, full of care,
We have no time to stand and stare.
-詩集《ゆとり》より

もしあくせくする毎日で、立ち止まってじっと考える時間が無いとしたら、
そんな人生って何なのだろう。


カントが言ったように、ベル氏が弾いた1月12日の朝の事件は、せっかくの芸術も然るべき舞台設定が欠けていたために人の心に響かなかったとしましょう。
人が美を楽しむ能力が有るか否かは、議論しないことにしましょう。

でも、人生を楽しむ能力はどうなんでしょう?

私達アメリカ人はずっと忙しく暮らしています。
1831年にフランス人の社会学者アレクシス・ドゥ トクェヴィルがアメリカを訪れたときに、人々が一生懸命働くのに感心したと同時に、富を得るために何もかも捨てて突っ走る人々の生活にちょっとがっかりしたようです。
あれからあまり社会は変っていません。

アメリカインディアンのホビ語で「バランスを失った人生」という意味の《コヤアニスクァツィ》という名前のフィルムが1982年に作られました。
サウンドトラックはミニマリストのフィリップ・グラスの音楽で、ディレクターはゴッドフリー・レッジオ。アメリカ人のせわしい日常を捉え、早送りにしてまるで、工場の組み立て機械のように見えるように仕立てた風刺映画です。
ランファン・プラザのビデオを見るとまるでその映画のようです。


2003年、イギリスの作家、ジョン・レインは、現代社会に失われた美を楽しむ心に関して《時間を越えた美:芸術と日常》という本を書いています。
あのベル氏の演奏に起こったことは、このレインの嘆いていることとちょうど重なります。
人々が美を感じることができなくなったのではない、単に美が人々にとってどうでもよいものになっているということなのです。

「つまり、美は現代人の生活にとって場違いのものだということだ」とレインは言います。

忙しいために素晴らしい演奏家の素晴らしい音楽を楽しめないとしたら、一体私達の生活は何なのでしょう?




●●審美眼を持ったヒーロー現れる●●

その日の「カルチャー・ヒーロー」が遂に現れたのは、演奏の最後のほうです。

全く目立たないこのヒーローは、ジョン・ピカレッロさん。小柄でちょっと髪が薄くなっています。

ピカレッロさんがエスカレーターの上まで来た時にちょうどベル氏が再びシャコンヌを弾き始めたばかりでした。
始め音楽がどこから来るのかキョロキョロ探し、靴磨き屋をちょっと過ぎた宝くじ売り場のちょうど向かいに場所を陣取って、ピカレッロさんは9分じっとその場で音楽を聴きます。


ピカレッロさんは、ここに名前の出た人たち同様に、ビルを出たところで当社のリポーターに呼び止められ、「電話を教えてください。通勤に関する記事のためにインタビューをしていますので後でご連絡差し上げます」と話しかけられました。

後に我々は電話した際、他の方たちと同様に「当日何か変ったことが無かったでしょうか?」と聞きました。

40人以上にインタビューした結果、「ヴァイオリン弾きがいた」と答えたのはピカレッロさんがただ1人でした。

「ランファン・プラザのエスカレーターを上がったところに音楽家が演奏してました」

「これまでにも音楽家を見かけたことがあるのでは?」

「こんな演奏家は無かったね」

「どういう意味で?」

「この人は優秀なヴァイオリニストだね。このクラスの演奏は聴いたことが無い。
彼は技術的に素晴らしく、フレーズも良かった。良い楽器も持っていた、大きな音でまろやかな音だったな。遠巻きに歩きながら聴こうと思ったよ。邪魔したくなかったのでね」

「本当ですか?」

「そうですよ。稀な経験ですね。得したな、と感じました。あんな風に一日を始めるなんて素晴らしい、信じられませんよ」

ピカレッロさんはクラシック音楽を知っています。
実際ベル氏のファンですが、ベル氏の最近の写真を見ていないそうで、本人だと判らなかったそうです。それに遠くでで聞いていたので顔をよく見ることもできなかったのです。
でも、これはただならぬ演奏家だと感じたのです。

ビデオではピカレッロさんは周囲を見渡して当惑したような表情をしています。

「そりゃそうですよ。他の人たちは全く何も判っちゃいないんだから。まるで見えない、聞こえないんですよ。それでこっちが当惑しましたね」

ピカレッロさんはニューヨークで育ち、ヴァイオリンを勉強していました。プロの演奏家になろうと思っていましたが18歳のときに才能が足りないと感じ諦めました。
現在はアメリカ郵便局の監督官をしています。ヴァイオリンはもう弾きません。

その日立ち去り際に、ピカレッロさんは5ドル札を投げ入れました。恥ずかしそうにお金を投げ入れて足早に立ち去っています。

「ヴァイオリンを諦めたことを後悔してますか?」

「いや。もし何かを好きでやっていて、それを職業の道と選ばなくても何の無駄も無いですよ。だって、音楽が好きだという気持はまだありますからね。それは死ぬまでありますから」


ベル氏は最後に弾いたシャコンヌの最後の数分間が一番良い仕事をしたと感じました。
その時、初めて1人以上の人が立ち止まって聞いてくれました。

先述のピカレッロさん、その前にジャニス・オルさんが現れてベル氏の僅か3フィート(約1m)前に立ちじっと聴き入っていました。


オルさんは住宅・都市関係部の会計課で勤務、子供の頃ヴァイオリンを弾いていました。
ベル氏の弾いていた曲の題名は知らないものの、ベル氏が才能ある演奏家だとは判りました。

立ち去り際に、たまたま隣にいたワシントンポストのリポーターに「ここを離れたくないんだけどもう行かなくちゃ」と言いました。ちょうどコーヒーブレイクで立ち寄ったそうです。




●●ジョシュア・ベルがジョシュア・ベルに戻った時●●

このプロジェクトを準備する際に色々な状況を想定しました。
一番恐れていたのが、群衆が集まって収拾がつかなくなった場合。
ジョシュア・ベルだと気づいた人達がワーッと押し寄せて、人垣ができて、写真をバチバチ撮られたりして騒ぎになったら・・・。そうなったら、軍隊を呼んで催涙ガスやゴムの弾丸を放って・・・。


予想していたとおり、たった一人の女性がベル氏だと気づきました。彼女がやってきたのは演奏の終焉近く。

ステイシー・フルカワさんは政府商業局の統計課で働いています。
音楽のことはよく判らないものの、3週間前に国会図書館で開催されたベル氏の無料コンサートに足を運びました。

この国際的なヴァイオリニストが路上で一生懸命弾いて物乞いをしている、こんな光景を見てびっくり仰天でした。

フルカワさんは10フィート(約3m)離れて立ち、満面に笑顔を浮かべてじっとベル氏を見入っていました。

「こんな事ってワシントンで見たこと無いわ。あのジョシュア・ベルがラッシュアワー時にそこに立って一生懸命弾いているのに誰も立ち止まって見る人もいない。中には25セント硬貨を投げ入れる人がいるなんて!
私だったらそんなことできないわよ。一体なんてとんでもない世の中に住んでいるんでしょう?!」

演奏後にフルカワさんはベル氏に話しかけて20ドルを寄付。

彼女はベル氏だと判って寄付したのでこれをカウントに入れないと、収入は合計で32ドル17セント。

そうなんです、中には1セント硬貨を入れた人もいたのです。

「まあ、考えてみればそれほど悪くは無いね。1時間に40ドルの収入だったら、まあそこそこの生活ができるよね。それにマネジャーにコミッションを払わなくて済むしね」
ベル氏は笑います。


ベル氏はこのプロジェクトの後ヨーロッパに向かいました。
しかし、今週火曜日に名誉あるエイヴェリー・フィッシャー大賞を受賞する為にアメリカに戻ってきます。
あの、ランファン・プラザのストリートミュージシャンがアメリカ最高の音楽家だと認められるわけです。

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1月14日(月)のつぶやき

2013年01月15日 01時23分58秒 | Weblog

自然環境を破壊してダムを建設すればGDPは増える。その過程で出た廃棄物を処理すれば、さらに大きくなる。天然の林があるだけではGDPには何の貢献もしないが、森林を伐採して木材を売ればGDPは増える。(静岡新聞『核心核論』「GDP信仰」を脱する時/2013年1月14日朝刊)



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1月8日(火)のつぶやき

2013年01月09日 01時23分44秒 | Weblog

何にも拘束されない自由な時間が大事だということに初めて気づかされると、あらゆる問いのなかで最も根源的な、「なぜ働くのか」という問いにぶつかることになる。(アンドレ・シフリン『出版と政治の戦後史』トランスビュー)


アメリカの労働者の給与は今や、1970年代前半の水準を10%も下回っている。その一方で、最上位1%が総国民所得の5分の1を手にし、富の3分の1近くを所有している。上位5%で全米の富のほぼ半分を所有している。(『ニューヨーク・タイムズ』2006年10月15日付け)


(英国の)労働者の下から5分の1を、それ以外の労働者と比較すると、百年前よりも、実際にはいっそう貧困化している。(エリック・ホブズボーム『20世紀の歴史ー極端な時代』)



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1月6日(日)のつぶやき

2013年01月07日 01時22分19秒 | Weblog

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貧乏な人とは、

2013年01月06日 09時59分17秒 | Weblog
ウルグアイ・ムヒカ大統領のリオ+20でのスピーチ(訳:打村 明)


会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか? 可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1,300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1,000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか? バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか? 私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。
(2012年6月/リオ+20 国連持続可能な開発会議において国連加盟193か国の最後に演壇に立ったウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ=77歳のスピーチ)

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