ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

『結局のところ人間と人間の関係には

2008年07月29日 16時04分45秒 | Weblog


我々が一般的にそう思っているよりずっと多くの謎が潜んでいるのではないだろうか?

 誰か他人のことをきちんとわかっているなどと本気で言える人間はどこにもいない。それがたとえ何年も起居を共にしている相手であったとしてもである。
 我々の内なる人生を構成するものについては、我々はもっとも親しい相手にさえその断片しか伝えることができないのである。その全体像は伝えることができないし、相手も理解することはできないだろう。
 我々は隣人の姿さえはっきりと見極めることのできないこのような薄暗がりの如き人生をともに手探りでふらふらと進んでいる。
 ただときおり、我々がその道連れとともにした何かの経験とか、相手が口にしたふとした発言とかによって、まるでパッと閃光に照らし出された如く、その相手と我々がぴったりとくっつくようにして立っていることを一瞬知ることがある。
 そのようなときに、我々は相手のあるがままの姿を見るのだ。 
 そのあと、我々は再びともに暗闇の中を歩いていく・・・。
 おそらく長い時間。
 そして、その仲間の旅人の姿を見極めようと努めるのだが、その思いが果たされることはない』(アルベルト・シュヴァイツァー)

 帯に書かれた「こんなに読書にのめりこんだのは、『嵐が丘』を読んで以来です」の文章は嘘ではなかった。重いテーマだし、それによって元気が出るとか、さあ明日も仕事に頑張るぞと励まされたわけではないが、『メモリー・キーパーの娘』(NHK出版)は、まさに一気呵成に読ませる長編だった。一気呵成とは言っても3日間かけてしまったけれども、私にしてみれば、こんなに根を詰めて、本に向き合ったのは、久しぶりのことだった。
 たったひとつの嘘によって、それに関わった人々の人生がどう変わってしまったのか? “フィービ”と名付けられた一人の女の子を巡る25年の物語が綴られた546ページをめくりながら、上のシュヴァイツァーの言葉を何度反芻したことだろう。

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『弾いたメロディは弾かない。

2008年07月26日 09時21分54秒 | Weblog
通った道は通らない』(ピアニスト・上原ひろみ)

日本で初めての本格的なテニススクール校長として、
日本で初めての本格的なテニスショップの店長として、
日本で初めての本格的なテニス専門誌の編集長として、
日本で初めての女子テニス団体戦(フェドカップ)監督として、

 戦後の日本テニス界で道なき道を切り開き、この6月1日に逝った宮城黎子さんを“偲ぶ会”が25日(金)に緒方貞子さんが発起人となって東京帝国ホテルで開かれた。

 縁あって、その下で9年間働いた。
テニスと、編集と取材のいろはを教わった。
緒方さんや正田美智子さま(現皇后陛下)のコーチをされ、シングルスとダブルスを合わせて30個の全日本タイトルを獲得、テニス界の大御所といえる立場にもかかわらず、常に相手の目線までおりてきて物事に向き合う人だった。
ネットを挟んで行き交うのは、単なる黄色いボールではなく、勇気とガッツなのだ、ということを教えていただいた。
弱気になる自分の心に打ち勝って、まずは土俵に上がっていかなければ、何事も始まらない、ということを無言のうちに教えられた。
縁あって口述筆記することになり遺本となった『宮城黎子の昭和テニス史』(日本文化出版 5月1日刊)の完成を見届けて逝かれたことが、せめてもの慰めである。

「テニス、やってるの? やらきゃだめよ!」
 その声が今も聞こえる。





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『いつも青空だけを見つめて

2008年07月17日 10時35分21秒 | Weblog


暮らしなさい』
(小笠原の父島で暮らすサトウ・ハチローのもとに届いた母親からの手紙の一節)

 まだ梅雨明け宣言が出されないが、窓からのぞくと真っ青な青空が広がっている。気温は今日も30度を超すという予報だが、やっぱり夏は青空がいい。

 青空はいいけれど、新聞をのぞくと、ろくなニュースはない。
 親に怒られたという理由でバスを乗っ取った少年、防衛省の裏帳簿破棄、教員汚職と、相変わらずのガソリン代高騰。
 新聞は、なぜ、もっと人間のよい面を拾わないのだろう?

『人生において重要なのは、いかに進歩すべきかを知ることではなくて、
辛抱強く働き、気高く堪え忍び、そして
幸福な生活ができるように、吾々の人生をいかに整理すべきかを知ることである。
・・・金銭や名誉のためのあらゆる空しき闘いの後には、
人生は主として実のある或る事柄に還元される。例えば
うまいもの、
良き家族、
苦労のない平和な心、
寒い朝の一杯の粥。
 その余は空の空なるものにすぎない』(『支那のユーモア』の著者・林語堂)
 


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