ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

『ばかやろう!

2009年04月28日 12時38分04秒 | Weblog

そんなことを考えている時間があったら、
自分は今、何に感動しているんだろうって考えろ。
いつも俺はそう言ってきたじゃないか!』

 夢の中で先輩から、叱られてしまった。

 夢の中で、私は10代の見習いカメラマンだった。
 その見習い期間が、今日の仕事を最後に明ける。
 早朝の事務所で機材の点検をしながら、“今日の仕事が終わって帰ってきたら、一人前のカメラマンだ”という思いで私の胸はいっぱいだったが、ひとつの悩みも抱えていた。
 「見習いが明けたら、先輩に何かお礼をするんだろうか?」
 一緒に作業を続ける同僚の見習生に聞く。 
 「今夜、焼肉でもおごろうかと思ってるんだ」
 そう言うと、そこに、もう一人が加わり、仕事だからそんなことは必要ない、いや、ちゃんと食事を予約して、そこでお礼ぐらい言わなくちゃ、などと、とりとめない会話が続く。 
 だが、結論は出ない。
 で、
 「先輩、ちょっと相談したいことがあるんです~」
 今まさに出かけようとバイクにまたがった最年長の先輩に向かって、私は2階の窓から叫んだ。
 しかし、約束の時間に焦っていたのだろう。こちらの声を無視して、バイクを発進させてしまった。
 「じゃあ、あとで携帯に電話しま~す」
 去って行くバイクに向かって叫ぶ。 
 と、その声に反応してバイクが止まった。Uターンして戻ってきてくれた。
 「すいません。急いでいるときに」
 謝罪して、くだんの疑問をぶつける。
 「今日で見習いが明けるんです」
 「おお、そうらしいな」
 「これまで担当でついてくれた先輩には、皆さん、何か御礼をするんでしょうか? 先輩はどうでした? 食事をおごるとか、ビールとか・・・」
 そのとき、突然、そこにはいないはずの私の面倒をみてくれていたK先輩が出てきて、怒鳴ったのが先の言葉だったのだ。
 そして、目が覚めた。

 「ばかやろう! そんなことを考えている時間があったら、自分は今、何に感動しているんだろうって考えろ。
 いつも俺はそう言ってきたじゃないか!
 ファインダーをのぞいているときも、機材を整備しているときも同じだぞ。
 今、何に感動できているかって考えて、その感動できているものが見つかったら、それがシャッターチャンスなんだ。考えるのは、それだけでいいんだよ」

 カメラマンとして仕事をしたこともあったけれど、私には先輩について修行した経験はない。どうしてこんな夢を見たのだろう? 
 どんなときも“自分は編集者だ”と言い聞かせて仕事をしてきた。大学時代に読んだ大江健三郎の『持続する志』という本のタイトルが忘れられなかった。いつも“志の持続”ということを自分に言い聞かせた。
 『人間は、何が自分の仕事であるかを決め、それに固執すべきです』
 ウォルター・リップマンの言葉も好きだった。
 今でも自分は死ぬまで編集者だ、と思っている。

 お蔭で、自分の時間はなかったのかもしれない。後半はフレックスタイムも導入されて、出社時間も退社時間も自分で決められるようになったけれど、それでも一日の大半は仕事の時間で消えていった。
 午後6時過ぎに、一日の取材を済ませて現場から社に戻る電車に乗り込むと、帰宅を急ぐサラリーマンでいっぱいだった。新聞を読んだりマンガを読んだりしているそうした人たちの姿を見ながら、“いいなあ”と思ったものだ。
 自分には、それからが本当の仕事が待っており、社の近くのタクシー運転手のたまり場になっている食堂で夕食をかっこんでから、テープ起こしにかかり、原稿書きが始まるのだった。頑張って頑張って(自分で言うのも変だけれど)、終電で帰るために社を出る同僚に合わせて退社するのを目標にしていた。それでも間に合わずに、一人残る日もあった。深夜になると警備会社からの電話が必ずかかってきた。「すいません。今日は●時には退社しますから」と答える日々が結構あった。
 そんな深夜にもかかわらず、「今、どこ? 会社? じゃあ、焼肉にでも行かない?」などと電話してくるカメラマンがいたりして、やっと仕事を切り上げる気持になり、焼肉店や24時間営業のファミレスでビールを付き合う、などという日もあった。
 フリーランスとなって田舎に引っ込んだ今も、睡眠時間が5時間で済んでいるのは、そのお蔭さまである。まあ、済んでいるというよりも、愛犬の散歩のために起こされてしまうのだけれど・・・。

 八十八夜が迫る茶畑の間の道を、わが愛犬はぐんぐんと進んだ。進んでは、何か匂いを嗅いでは立ち止まる。
 見ると、エビネの花が開いていた。根の形が海で獲れる海老の背に似ているところから名づけられたというその小さな花が朝露に濡れていた。隣の空き地では去年こぼれた種から芽生えたのだろう、コスモスやしそが芽を出し、きゅうりとひまわりらしい双葉が大きな葉を広げていた。
 竹の子が黒い皮に覆われて伸び始めた竹やぶを進む。その背後の雑木林に入ると、顔も手も染まってしまいそうな若葉の緑。いつものことながら、驚くほどの色の多さ。

 “でもなぜ、あんな夢を見たのだろう? なぜ、あんなに鮮明に覚えているのか?”
 昨夜読み終えた『幕末史』(半藤一利/新潮社)の中で、「五箇条のご誓文」の草案を書き上げたのが当時39歳だった由利公正だということ、日本という新しい国家作りがスタートした明治元年に大久保利通39歳、江藤新平35歳、大隈重信31歳、伊藤博文28歳だったことを知って、感動したけれど、それとこれとが結びつく理由がわからない。
 日本国憲法の人権条項の起草に当たったベアテ・シロタ・ゴードンが当時22歳の女性だったことを知ったのも昨日だが、それもこの夢とのつながりには成りえない。
 日本という国の基本を作る作業が、共にこうした若者たちの手に委ねられた、ということにただ感動したのだ。

 「広く会議を興し万機公論に決すべし」で始まる『五箇条のご誓文』は、徳川家が大政奉還をしても、次は薩摩か長州のどちらかが将軍になるのだろうと思っていた人々に、いいか、将軍など作らないんだぞ、という国家作りの基本の宣言であった。
 いいか、これからは誰もが法の下では平等なのだぞ(憲法第14条一項)。
 いいか、これからは男性も女性も平等なのだぞ(憲法第24条)
 これらの条項が日本国憲法の中に組み入れられるまでの過程は、ベアテ女史の著書『1945年のクリスマス』(柏書房)に詳しい。
 1945年の12月24日にGHQ民間要員として日本に赴任してきた22歳のベアテ女史は、翌1946年の2月4日から9日間をかけて、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして、3名で構成された人権小委員会の中で、社会保障と女性の権利についての条項を書き上げる。それは母国アメリカにも存在しないような急進的な人権保護規定であり、そのほとんどは上司の反対で削除されるのだが、その一部が第24条、25条、27条となって現日本国憲法に生かされたのだ。
 最終日、午前10時に始まった日本側との最終調整の会議は延々と続き翌日の朝になっても終わらず、結局すべてが終わったのは午後6時だったと書かれている。
 誰にでもあるという“星の時間”(ツヴァイク『人類の星の時間』みすず書房)。
 22歳のアメリカ人女性の夢の星屑によって、私たちはたくさんの権利を手にしているのだ。



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『少年よ大志を抱け。

2009年04月09日 08時52分36秒 | Weblog

金のためでなく、
私欲のためでもなく、
名声という空虚な志のためでもなく、
人はいかにあるべきか、
その道をまっとうするために
大志を抱け。』

スティーブ・ラーソンの『ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女』(早川書房)を読みながら、札幌農学校の初代校長W.S.クラークが帰米時(1877年)に第一期生16人に残した馬上の訓言を思い出した。

『ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女』(早川書房)は、経済小説としても政治小説としても読めるミステリー小説だが、一貫して流れているのは、ジャーナリストの気骨、使命ということである。そして、人はいかにあるべきか? と問い続ける。
 自らも反ファシズム雑誌の編集に携わり、人道主義的な政治雑誌を創刊して編集長も務めたというスティーブ・ラーソンには、経済ジャーナリストというものの俗物性が我慢ならなかったにちがいない。公正な経済ジャーナリストというものは。どういうものか。その姿というものを、この処女作の中で示したかったのだろう。
『経済ジャーナリストの使命は、庶民の貯金をばかげたITベンチャーへの投資に費やして金融危機を引き起こすような連中を監視し、その正体を暴くことであり、政治記者が閣僚や議員の失策に目を光らせるのと同じ姿勢で、企業トップの動きを容赦なく調べ上げることである』
主人公に、こう語らせている。
『この国を担う有力メディアの経済記者たちは、なぜ揃いも揃って金融界の若い俗物どもをまるでロックスターのように扱うのか?』

 そして結論。
『この二十年の間に経済ジャーナリストが自らの任務をまっとうしていたら、いまのような状況に立ちいたることはなかったでしょう』
『スウェーデン経済とスウェーデンの株式市場とを混同してはいけません。スウェーデン経済とは、この国で日々生産されている商品とサービスの総量です。それはエリクソンの携帯電話であり、ボルボの自動車であり、スカン社の鶏肉であり、キルナとシェーヴデを結ぶ交通です。これこそがスウェーデン経済であって、その活力は一週間前から何も変わっていません』
『株式市場は、これとはまったく別物です。そこには経済もなければ、商品やサービスの生産もない。あるのは幻想だけです。企業の価値を時々刻々、十億単位で勝手に決め付けているだけなんです』

 物語は、そんな主人公が、ある経済界の有力者の悪事をスクープしたはずが、がせねたをつかまされ、名誉毀損で訴えられ有罪判決が下るところから始まる。自らの記者生命も公正さで知られた自ら発行責任者を務める雑誌も、存亡の危機――。主人公は責任者の地位を退き、しばらくジャーナリズムの世界を離れようと決意するのだが・・・。
そんな彼を密かに調べている女性調査員がいたのだ。
極端に短い髪、鼻と眉にピアスを付け、拒食症のようにやせた青白い肌の背中にドラゴンのタトゥーを入れ、赤毛の髪を漆黒に染めた、まるで15、6歳と見まごうような童顔の女だった。

訳者あとがきによると、この『ドラゴンタトゥーの女』は、『ミレニアム』と名づけられた三部作の第一部で、第二部『火遊びをした女』、第三部『爆破された空中楼閣』と続く。
スウェーデンでは刊行から3年で、合計290万部以上を売り上げるベストセラーとなり、フランスでも200万部を記録、すでに映画化も進行中だそうである。
著者のスティーブ・ラーソンは、スウェーデンでの初版発行(2005年)の前年にこれらの成功を知らずに50歳で心筋梗塞で他界している。だが、悲しんではいないだろう。これだけの作品を世に知らしめることで、使命は十分に果たしたと思っているはずだ。第二部、第三部の翻訳出版が待ち遠しい。

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