やっと鍵を探し出して、急いで部屋に入った。内鍵を閉めて、チェーンを
かけて、暗がりの中、覗き穴に目を当てた。いつも忌み嫌っている部屋に
この時ほど入りたいと思ったことはない。着替える事を忘れるくらいに。
大家さんは本当にゴミの分別をしているのか? 各家庭から出るゴミは
個人情報のかたまり。明細書から出る生活感、何を食べているか、何を
飲んでいるか、友達はいるのか、恋人はいるのか、1週間のうち部屋に
何日いるのか……。疑れば疑るほど、怪しく思えて来た。マンションの
全部屋の鍵を持っている大家さんは、当然の如く、どの部屋にも入れる。
エレベーターのドア横にある光る数字は「1」まで辿り着いた。
しばらく緊張しながら覗いていたのだが、それからエレベーターが動く
事はなかった。ワタシは脳裏の隅にあった事実を思い出した。注射器が
落ちていたはず。玄関内に放置していた注射器を探し出す為に灯りを
付けた。あの時は寝ぼけていたのと、恐ろしい結末を否定したいが為に
脳が“なんにもなかった”事にしていた。ワタシは靴で溢れかえった
玄関で注射器を探しながら、妹に電話をかけた。奥歯洗浄用の注射器を
落として行ってないか? その問いに妹は呆れて「いつの話をして
いるの。そんな1年前の事」と言う。適当に話を流して、電話を切った。
無い。
注射器が見つからない!!!!
今や、玄関に繋がる廊下まで探し漁っている。あの時、確かに注射器を
見たはず。ワタシは寝ぼけたまま、捨てたのだろうか。記憶が定かで
ない。少し落ち着かせる為にもシャワーを浴びる事にした。濡れた身体は
芯から冷えており、熱めのシャワーが痛く心地よかった。しかし、脳は
フル回転していた。適当な部屋着に着替えて、自分で荒らしたリビングへ
行く。冷蔵庫の中から、缶ビールを取り出して、一連の考えをまとめよう
とした。シャワーと疲労の為、目線はうつろだったと思う。いくら考えても
思考はぼやけて答えは出なかった。ただの被害妄想なのかもしれない。
恐怖心や疑心がおぼろげになるほどの睡魔が襲って来た。ワタシは寝る前に
歯を磨こうとして洗面台に向かった。目の隈が酷い。鏡に写る自分の顔の
酷さにため息をつく。歯を磨きながら、荒れに荒れている周囲を視線が
なぞる。あぁ、早くかたづけないと……。トイレのドアも半開きだ……。
このままじゃ人間失格だな、と思い、自分のルーズさに鼻で笑いながら
トイレのドアを閉めに行った。チラッと見えた暗がりのトイレの室内に
違和感を感じた。「違いますように…」と願いながら、ドアを開けた。
便座が上がっている……
1人住まいの女性がトイレの便座を上げる時は、掃除する時くらいだ。
男が入った形跡。血の気が一気に下がった。この部屋に侵入者がいる!?
いや、侵入者があの大家さんであったとしたら違う。しかし、最悪、今
現在に誰だか解らない男がこの部屋にいるかもしれない。この部屋に
入ってもう既に40分が過ぎようとしている。侵入者にとって避けたい
のは発見される事だ。リビングにある携帯電話やキーを取らずに、この
まま部屋着で外に出て行ったら、侵入者に気づいた証拠になり、追い
かけられて捕まるかもしれない。しかし、リビングに引き返した時に
ワタシを捕らえる絶好のタイミングを侵入者に与えるかもしれない。
無音の時間が長ければ長いほど、侵入者は焦るだろう。ワタシは何も無い
様に振る舞うことが最適な選択だと思い、「仕事中、部屋に一旦シャワーを
浴びに戻った人」を演じる事にした。動揺が現れないようにしないと思う
ほどに緊張していく身体を感じる。部屋に侵入者が潜んでいない確率を
考えれば、馬鹿馬鹿しい行為なのだが、それはこの部屋から出て行けた時に
笑えば良い。部屋着はかろうじて外に出れる格好。侵入者がいるとしたら
リビングの奥の部屋の寝室とその部屋のベランダしか無い。その部屋さえ
入らなければどうって事ない。ワタシは普通の足どりでリビングへ向かった。
タイヘンです。 ボスヒコ

