秋から年末に向けて、関西圏のアート関係の諸々が過密になっているところ、隙間に東京と海外の予定を埋めて行ってます。逆にスケジュールが合わずに、断念した地方と海外も有りましたが、それは来年の幸せの為に置く事にします。
最近、気圧のせいかなんだか分かりませんが、よーーく考えたら分かるのに、よーーく考えないので、自分で自分を振り回している人や、鬱憤を周囲にまき散らしている人からの相談が絶えません。
結果を先に言うと、脳の特徴を利用した計画と言動で、人格と未来を作れたりすると言う事もあったりなかったりするわけだったりしてみたいな系があったりします。
自分の愚かさ、卑しき妬み、恨みつらみに負け、周囲に毒を吐き散らす事を愚痴と言い、過剰になると八つ当たりと言います。
「愚痴」の語源は、サンスクリット語のmohaで、心性が愚かで、真理に暗く、無知な事を言う事を意味します。言っても仕方が無い事を言うのが愚痴。愚か だから言うのか、言うから愚かなのか分かりませんが、愚痴を言わずに、愚痴の根本を解決する事が建設的にも健康的にも良いわけです。
「八つ当たり」の語源の「八つ」は「八方」、「あらゆる方向・方角」と言う意味です。 「八百万の神」や「嘘八百」などの「八」も「数が多い」と言う事を示します。つまり、八つ当たりとは、自分の愚かさや妬みに自分を守る為に、全方向の無 関係の人に向けて無責任に発射して、一時的な現実逃避をすると言う身勝手なワガママを言うわけです。
で、んな毒をですな、放たれた方はスルー出来ても、発した当人はスルー出来ないのです。
「愚痴」も「八つ当たり」も「悪口」も、諸悪の根源である自分自身の毒を一時的に紛らわせるだけで、脳の“癖”である「主語が曖昧で誰の事を言っているのか識別できない」と言う機能が、唯一、脳が知っている自分に跳ね返り、更に事態を悪化させるのです。
これが太古からある「呪い返し」システムで、呪いを行う人の脳の機能「主語が曖昧で誰の事を言っているのか識別できない」が作り出しているのです。呪えば呪う程、呪いを行う本人が堕ちて行くシステムだったわけで、呪われた人の力でも何でも無かったわけです。
ってことは、やはり、どんな状況でも、どんなに微弱な進展でも、素直に前向きな努力をして、周囲に感謝の気持ちを持てば、脳内から先に得るものが必ずあるはずだと思います。偉そうに言ったのでスッキリして眠たくなってきました。んじゃ、おやすみなさい。