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SIDEWALK TALK

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せんしゃ

2015-04-27 11:32:50 | 国際・政治
Letter僕は、世の中のしがらみで、
選挙活動をまがいなりにもお手伝いしたことが何回かある。
今般、大恩ある先輩が一念発起して市会議員に立候補した。
結果は見事当選!
関わってくださった皆さま、ありがとうございました。


その筋の人は、選挙カーのことを「せんしゃ」と呼ぶ。
「選車」なのか?「宣車」なのか?はたまた「戦車」なのか?
いずれにしても選挙は戦いだから、
勇ましく響いた方がテンションも上がるということだろう。


今回の選挙期間中、久しぶりに選挙カーに乗った。
僕はかねがね、候補者の名前を連呼するだけの選挙カーに疑問を抱いていたし、
候補者にとっても、選挙民にとっても、ほとんど意味がないと感じていた。
悪態をつけば、ある種の騒音公害だとも思っていた。


けれど今回乗ってみて、その認識が少し改まった。
僕が乗車した日のコースは、
僕の会社の周辺や子供時分の学校区がメインだった。
当然わが庭的な気持ちがあったんだけど、
これはしたり!知らない道路や建物がわんさかあった。


選挙カーが投票数にどれだけ影響があるかは別にして、
立候補者が自分の「まち」のことを知るいい機会だと思った。
市井の隅々までとはいわないまでも、
自分の知らなかったわが「まち」を再認識することは、
当選後の議員活動にわずかながらでもプラスになると思う。


今回当選した先輩は、後輩の僕の目からみても、
贔屓目なしに議員向きだと思う。
活躍を期待したい!

終わらない祭り

2015-04-25 08:54:14 | 音楽
Letter尾崎豊の生誕50周年を記念して、
豪華なボックスセットが発売されるらしい。
購入する気はないのだけど、バンダイのガンダム商法みたいで、
このニュースに僕は少し辟易した。
相も変わらず「十代の代弁者」「若者の教祖」として、
オザキを祭り上げていたからだ。


僕はオザキとタメ年だから、リアルタイムで彼の音楽に触れた。
佐野元春や浜田省吾をルーツとする
真っ直ぐな彼のロックンロールには、
同じ音楽を聴いて育った同世代として、
シンパシー以上の何ごとかを感じていた。
けれど僕は、オザキを「カリスマ」とか「教祖」などと崇めたことはない。
むしろ、狂信的に、盲目的に、彼に熱狂する当時のファンを苦々しくみていた。


オザキは、校舎の窓ガラスを壊してまわったりしてないし、
盗んだバイクで走り出したこともない。
これらのリリックは、オザキの、詩人としての、ストーリーテラーとしての、
理由なき若い焦燥感を伝えるための卓越した表現法に他ならない。
これは、彼が優れたソングライターだったことを意味する。
僕は、純粋にオザキのソングライターとしての、パフォーマーとしての才能を愛した。


「もしオザキが今も生きていたなら」と想像することは詮無いことだが、
恐らくろくなことになっていないと思う。
歌うことをやめているか、
少なくともシーンからは消えているんじゃないだろうか?


ティーンエイジャーの焦燥感や苛立ちを歌ったシンガーは、
オザキの他にも幾らでもいる。
オザキの凄みは、当事者の十代でそれについて歌ったことに尽きる。
だから自然、リリックがストレートな表現にならざるを得なかったし、
僕ら同世代の聞き手もすぐに共振できた。


生前のオザキの苦悩は、オザキの死の遠因は、
実像以上に「十代の代弁者」と祭り上げられたことだったと思う。
オザキが亡くなって20年以上の歳月が流れた。
そろそろ尾崎豊というシンガーソングライターを冷静に評価する時期だと思う。
終わらない狂想曲のようなバカ騒ぎは、泉下のオザキも望んでないにちがいない。

I'm in blue

2015-04-18 15:01:16 | 桐箱ブログ
Letter木曜の夜、突然の訃報に酔いが覚めた。
愚弟からの電話で、
陶芸家の青木清高先生が急逝されたことを知った。
亡くなられたのは火曜日の夕方ということらしいが、
その日の午前中、僕は清高先生の面晤を得ていた。


火曜日の10時すぎ、先生のご自宅兼展示場にお伺いした。
奥様とお話ししていると、めずらしく先生がお見えになった。
いつもはすぐにお暇するのだけど、その日は特殊なオーダーがあって、
展示場に上がって採寸し、
短い時間ながら少しお話をする機会があった。
それが僕にとって先生との最期の会話だったし、
先生も奥様以外で最期に会話したのは僕だったということらしい。


陶芸の門外漢の僕が先生の作風について語ることは憚れるので、
ここでは多くは触れない。
生前、先生は中国の南宋官窯を研究し、
特に青磁に格別の思いをお持ちになっておられたように思う。
人間国宝の中島宏先生が、弔辞で「青木のブルー」という単語を用いて、
その功績をたたえていた。


僕の先生に対するイメージは、
ひと言でいうと「Grace」という単語に尽きる。
いつも柔和な態度で他者に接し、奢りなど微塵もない。
なのに何か凜然としたオーラを解き放っておられた。


享年57歳。
これからが作家としてのピークをお迎えになられることを思うと本当に残念だし、
ご遺族の、とりわけ奥様のご心情は察するに余りある。


祭壇にはグレイスブルーの青磁花瓶を手に微笑む清高先生の写真が飾られ、
先生のお気に入りだったのだろうか?ビートルズが静かに流れていた。
僕はご遺影にお礼とお別れを述べ、斎場を後にした。
葬儀当日は、先生のお人柄同様、穏やかな春うららかな陽気で、
青々とした有田の緑がいつも以上に美しかった。
久しぶりに僕は泣いた。

夏草の誘い

2015-04-11 09:38:52 | 佐野元春
Letterヘルニアの治療(リハビリ)で朝ウォーキング。
今朝も、おととい聴いた余韻が脳裏に残っていて、
佐野元春のセルフカバー作品『月と専制君主』アルバムで、
口笛を吹きながら春の朝を歩いてゆく。


80年代、90年代の作品をアダルト・コンテンポラリーな解釈でリテイク。
円熟したプレイヤービリティーが、
オーガニックなサウンドと都会的な要素が絡まったような演奏を可能にしている。
もし10代の僕がこの作品を聴いたとしたら、ピンとこなかったかもしれない。


今回フィーチャーしたいのは「夏草の誘い」。
オリジナルは80年代にシングルとしてリリースされ、
後に『Café Bohemia』アルバムに収録された。
当時から邦題としてこの呼称はあったものの、
一般には「シーズン・イン・ザ・サン」として親しまれていた。


オリジナルはRomyとのデュエットが印象的なポップなダンス・チューンで、
僕は東京マンスリーでこの曲をオリジナル・アレンジで初めて聴いた。
時を経て、Plug & Play '02 ツアーではフォークロックの解釈での演奏を楽しんだ。
このセルフカバーでは、フォーキーなサウンドに仕立てられている。
演奏にホルンが複数採用されていて、
この楽曲がもともと備えている牧歌的なニュアンスがより強調された。


この曲を聴くと、僕にはあるシーンが頭の中に浮かぶ。
ある湖畔の木製ベンチに切なげな顔をしてたたずむ女の子。
彼女の笑顔、白いワンピース、ハートのイヤリング。
実体験そのものではないのだけど、鮮明な景色として80年代からあった。


ともかく「佐野元春と歩く日」散歩は、
僕が失いかけていた様々な記憶と切ない気持ちを思い出させてくれる。
いい習慣にしたい。
本来の目的は、筋力麻痺の回復ですが...

佐野元春と歩く日

2015-04-04 09:41:46 | 佐野元春
Letter先週、腰をやっちまった。
単なる腰痛かと思ってたんだけど、
痛みが腰からお尻へと移動。
ついには左足首まで痛みだした。
診察を受けると脊柱管狭窄症。
とりあえず手術は回避して、
投薬と運動リハビリでの治療となった。


左足の筋肉の一部が麻痺していて、
その回復ためにはある程度の運動が必要らしい。
10年ちかく続けてきたアーリーワーク、
ボート漕ぎは腰への負担が重いということでNG。
ということで、今朝からウォーキングをすることにした。


話は変わるが、僕はいわゆるウォークマン世代。
けれど移動中にイヤフォンを付けて音楽を聴くのは、
むかしからどうも苦手だった。
若いころ、好きなミュージシャンのアルバムは
オーディオの前で正座して聴いていた。
そんなガキだった。


今般、ウォーキングを開始するにあたり、
思い立ってスマホの音楽アプリを使ってみることにした。
とはいえ、なんせ今までまったく使ってなかったので、
メモリーにデータ保存してるのは佐野元春の『ZOOEY』アルバムのみ。
てことで、図らずも今朝は「佐野元春と歩く日」になった。


うん、楽しかった!
左足の麻痺が少しあるから歩き方は不格好だし、痛みも走る。
それでもアルバムを通しで聴く機会があまりなくなった昨今、
これはいい習慣になるんじゃないかな?
早速、佐野さんのアルバムを数作データ保存してみようと思う。

散歩しよう 風に寄りそって♪