![OZAKI-50 Letter](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9f/640ff6a4f2afed81ccc0115eb1be9ae3.jpg)
豪華なボックスセットが発売されるらしい。
購入する気はないのだけど、バンダイのガンダム商法みたいで、
このニュースに僕は少し辟易した。
相も変わらず「十代の代弁者」「若者の教祖」として、
オザキを祭り上げていたからだ。
僕はオザキとタメ年だから、リアルタイムで彼の音楽に触れた。
佐野元春や浜田省吾をルーツとする
真っ直ぐな彼のロックンロールには、
同じ音楽を聴いて育った同世代として、
シンパシー以上の何ごとかを感じていた。
けれど僕は、オザキを「カリスマ」とか「教祖」などと崇めたことはない。
むしろ、狂信的に、盲目的に、彼に熱狂する当時のファンを苦々しくみていた。
オザキは、校舎の窓ガラスを壊してまわったりしてないし、
盗んだバイクで走り出したこともない。
これらのリリックは、オザキの、詩人としての、ストーリーテラーとしての、
理由なき若い焦燥感を伝えるための卓越した表現法に他ならない。
これは、彼が優れたソングライターだったことを意味する。
僕は、純粋にオザキのソングライターとしての、パフォーマーとしての才能を愛した。
「もしオザキが今も生きていたなら」と想像することは詮無いことだが、
恐らくろくなことになっていないと思う。
歌うことをやめているか、
少なくともシーンからは消えているんじゃないだろうか?
ティーンエイジャーの焦燥感や苛立ちを歌ったシンガーは、
オザキの他にも幾らでもいる。
オザキの凄みは、当事者の十代でそれについて歌ったことに尽きる。
だから自然、リリックがストレートな表現にならざるを得なかったし、
僕ら同世代の聞き手もすぐに共振できた。
生前のオザキの苦悩は、オザキの死の遠因は、
実像以上に「十代の代弁者」と祭り上げられたことだったと思う。
オザキが亡くなって20年以上の歳月が流れた。
そろそろ尾崎豊というシンガーソングライターを冷静に評価する時期だと思う。
終わらない狂想曲のようなバカ騒ぎは、泉下のオザキも望んでないにちがいない。