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SIDEWALK TALK

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トルコへ

2007-01-23 08:47:18 | 国際・政治
Istanbul唐突ですが、今秋(11月)、トルコへ行くつもり。
まだ先の話で気が早いんですが、旅行好きとはいえない僕。
今から宣言しとかないと心が折れるかもしれないんで、
敢えてブログにアップロードした次第です。

で、なんでトルコに行くかというと、JC の世界会議に参加するためです。
といっても、2005年に無事 JC を卒業した僕。
今や門外漢なんですが、ことし卒業する H 田君へのご恩返しです。
 
前述のとおり、僕の JC 卒業は2005年。
その年の JCI 世界会議は、ウィーン@オーストリアで開催されました。
卒業旅行を兼ねてウィーンに行くことにした僕ですが、同行者がいませんでした。
「独りじゃさびしいな」、と途方に暮れてたとき、
手をさしのべてくれたのが、当時理事長だった H 田君でした。
H 田君のお陰でたのしい旅行になり、いい思い出がたくさんできました。
 
で、今年、その H 田君がいよいよ卒業。
JCI 世界会議は、アンタルヤ@トルコ。
どうやらH田君も、同行者がいないみたい。
てことで、卒業してる身にもかかわらず、お返しに、のこのこトルコくんだりまで行こうっていうわけです。

とはいえ、トルコに関しても、開催都市アンタルヤに関しても、僕は(たぶん H 田君も)知識ゼロ。
コースもまったく決まってなく、イスタンブールやカッパドキア、トロイ遺跡などを観光するかどうかも不明。
また、行ったところで、それら世界遺産の知識もゼロ。
今から多少なりともスタディしとかなきゃ、と思ってる今日この頃です。
  


特攻隊

2006-08-15 09:19:00 | 国際・政治
Kamikazeきょうも戦争と平和について考えてみる。
特攻のことである。


この恐るべき作戦は、いったいだれの発案だったのか?
勉強不足のためブログに書くのには怯みをおぼえるが、
海軍として最初の組織的な航空機特攻作戦は、
大西瀧治郎海軍中将により提唱されたとされている。


僕はこの説をとらない。
大西のフィリピン赴任前の時点で
すでに「神風(しんぷう)特別攻撃隊」の各隊の名称が決まって
軍令部から現地に指示されていたことや、
大西自ら「特効は統率(統帥)の外道である」と発言していたことから察すると、
発案者は軍令部参謀のだれかだったのではないか。


今となっては、真実は闇の中である。
大西がいっさいを語らず、敗戦を見届けた8月16日に自決したからだ。
大西は発案者じゃなくても発令者だったことにはまちがいがなく、
その責任をとったと思われる。


その死は割腹自決だったのだが、介錯人をあえてつけず、
彼が見送った614人の特攻隊員に詫びつつ
数時間苦しみながら息を引き取った。
後生の僕が軽々しく特攻隊について語るのは気がひけるけど、
特攻兵も発令者も悲しみにあふれていたと思う。


当時の士官や兵士は、原理主義者でもナショナリストでもなく、
ふつうの日本国民だった。
ただ、参謀本部や軍令部に悪魔が棲んでいた。


戦争や敗戦の原因はひとつじゃない。
でも僕は、先の大戦の最大の戦争犯罪人は官僚化した参謀たちだと思う。
だれだって平和がいいに決まってる。
でも、彼らはそうは思わなかった。
その理由は、悲しいけれど、僕にはわからない。

陸さんと王さん

2006-06-01 08:54:52 | 国際・政治
China_business中国のビジネス・パートナーの陸維明さんと王宏魁さんが来日し、
弊社まで訪ねてくれた。
  
僕が訪中して商談するのがいつものパターンだけど、
今回、ひさしぶりに来日された。
生粋の大陸育ち(河南省)のおふたりは、ビザなどの関係で、
僕らのように気やすく、国外はおろか、今や国内である香港にすらいけないのが現状のようだ。
 
東アジア諸国(といっても、中国・韓国・北朝鮮だけだけど)とは、政治レヴェルでなかなかうまくつきあえてない。
まぁ、世界的にみても隣国同士ってのは、歴史認識のズレや領土問題などがあり、うまくいかないのが当たり前らしいけど。
  
弊社のようなチョー零細企業でも、中国のと関係を無視して経営をすることは考えられない。
ある意味、経済は政治から独立してるんでしょう。
政冷経熱っていうんでしたっけ?
こんな日中外交状態でも、なんの支障もないし、
むしろ僕らの関係は Getting better っていう印象。
 
8月の下旬に、こんどは僕が訪中して商談することに。
陸さんはすこし年長だけど、王さんとはトシもちかい。
末永いおつき合いになればいいと思った、今回の商談でした。
再会楽!
  


韓日親善協会歓迎会

2006-01-28 10:05:56 | 国際・政治
Kannichisinzenkyokai僕はなぜか、日韓親善協会の理事なんていうガラにもない役を、いつの間にか拝命してまして、
きのうは韓国の韓日親善協会役員さんたちの歓迎会。
韓国晋州(チンジュ)市から、5名のかたに来津していただきました。
  
日本側の出席者は、
在日本大韓民国民団、サッカー協会、ロータリークラブ、JC とその OB 、商工会議所、そしてわが日韓親善協会
といった面子。
 
僕は司会を命じられて、正直かったるいと思いながら出かけたんですが、
協会でダントツ1番若造の僕を差しおいて、親子ほどもトシの差がある先輩がたが準備に精をだしてるのをみて、遅まきながら反省しました。
しかも、アジェンダをはじめ、司会に必要な準備もすべて整えていただいてて、
ただただ恐縮の極みです。
 
昨年は「竹島問題」、「靖国問題」などがあり、日韓交流に多少の支障もありましたが、
政治的問題があるときほど、民間交流が重要なんだって再認識しましたね。
中国・韓国とは「政冷経熱」の間柄なんていわれてますが、
人と人との交流なんてのは、政治を置き去りにしてるくらいがちょうどいいのかも。
JC 時代、姉妹交流してる韓国晋州 JC のメンバーと北朝鮮問題などを話したときも、
温度差は感じませんでした。
とにかく、仲よくすることはいいことですよね。
  


独墺紀行〈12〉 国際青年会議所

2005-12-13 09:00:00 | 国際・政治
この旅の本来の目的は、
ウィーンで開催される国際青年会議所(JCI)の世界会議に出席することである。
かなり寄り道をしてきたが、ともかくもウィーンにたどり着いた。
JC 関係者以外には無用なことながら、
この稿では JCI 、もしくは世界会議についてふれてみたい。


austria_centerJCI は、次世代を担う世界規模の若きリーダーたちの集まりである。
世界105ヵ国の5千をこえる地域に、
約20万人の現役会員と、数百万人を数える卒業生に支えられ、
各種 JC 活動、そして例会や事業をおこなっている。


会員は、18歳から40歳までの限られた時期に各地の青年会議所(LOM)に所属して、
JC 活動を通じてさまざまな人や事業と「出会い」、出会うことにより「学び」、学ぶことにより「成長」する。
JC 活動に懸命に取り組むことにより、自らの「ポジティヴ・チェンジ(積極的な変革、飛躍)」を実現し、
組織や地域社会において優れたリーダーとなるべく修練をしている。
そして活気あるビジネス、優秀な人づくり、豊かなまちづくり、
そして地域の垣根を越えた国際的な活動を中心に取り組んでいる。


JCI 世界会議とは、毎年1回、開催地を替えて開催される、JCI にとってもっとも重要な会議である。
開催期間中は、各エリア国家青年会議所(NOM)会頭会議、JCI 役員理事会、総会といった
JCI の組織運営に関する会議や、
世界会議のテーマに基づくセミナー、会員の資質向上を目的とした分科会などがおこなわれている。


もちろん僕は、こんな立派な人間じゃない。
逆説的にいうと、ダメ人間だから、JC で修行しているともいえる。
とにかく僕のような若造にでさえ、国際会議にでられる機会を与えてくれるのが、JC のよさである。
今回のウィーン大会には、700名をこえる日本 JC のメンバーが参加しているそうである


discoウィーンでの世界会議は、さすが音楽の都らしく、
ウィーン・フィルハーモニー・オーケストラのコンサートなどが、
エクスカーションとして準備されていた。
また、オーストリアワインのフリードリンク・コーナーなどあり、
ホスピタリティに溢れていた。


ジャパン・ナイトとおなじ会場で、アイルランド・ナイトがおこなわれていたので参加した。
JCI 会頭をアイルランド JC から輩出してるせいもあってか、スゴイ人数と熱気だった。
会場の雰囲気は、ディスコそのものである。


ジャパン・ナイトの夜、ふと入った街角のバーで、大阪 JC の友人とばったり出くわした。
日本でもめったに会うことがないのにウィーンで会えるなど望外のことで、
ふたりとも妙にテンションがあがってしまった。


ウィーン大会について、こまごま述べることはここでは省くが、
JC 卒業の年に世界会議に参加できたことは、本当によかった。
そして長かったこの旅も、いよいよフィナーレがちかづいてきた。


選挙かぁ…

2005-08-09 09:00:00 | 国際・政治
voteきのうは風邪気味だったんで、門司での「JR 九州お客さま懇談会」をドタキャンして、家で安静にしてました。
TV では日がな一日、参院本会議の郵政法案否決の模様とその後の衆院解散にむけてのドタバタ劇のライヴ中継。ボーッとした頭のなかで、「このクソ暑いのに選挙かよ」って、一瞬、たじろぎました。

たしか以前、このブログにも書きましたが、僕は、僕自身の精神は「ボヘミアン」でありたいって妄想してるところがあり、権力みたいなものとできるだけ距離をおくことを心がけているし、政治には一国民(市民)としてコミットしても、ビジネスや権威のために選挙活動することを忌み嫌ってます。

中津 JC (青年会議所)理事長時代の2003年、中津市長選挙の公開討論会を開催した際、紆余曲折があり、多くの人びとにたすけられて、なんとか完遂できました。そのときかいま見た裏のドロドロさに辟易して、「選挙活動はもうよそう」ってこころに決めてたんです。
が、ボヘミアンになりきれないっていうか、世の中のしがらみっていうか、とにかく選挙活動をすることになりそうです。
  


地球市民の日

2005-04-22 09:00:00 | 国際・政治
earth_dayきょう4月22日は、「アースデイ」(地球の日)です。
アースデイについて、僕には正確に紹介する能力がないんで、以下、「アースデイ東京2005」のウェブサイトより、転載させていただきます。

アースデイ(地球の日・4月22日)は、地球のために行動する日です。地球に感謝し、美しい地球を守る意識を共有する日です。1970年から続くアースデイには、大人から子供まで、国境・民族・信条・政党・宗派を越えて多くの市民が参加し、世界184の国と地域、約5,000ヶ所でおこなわれている世界最大の環境フェスティバルです。
私たちは母なる地球の子供です。母を想い行動することに、何の制約もありません。自由に、どこでも、今すぐ、アクションを起こせます。大切なのはやってみること、そして続けること。アースデイは一人ひとり、だれもがリーダーです。

「アースデイ東京2005」のウェブサイトより転載】

1999年ごろだったでしょうか、日本 JC (青年会議所)に「地球市民運動推進特別委員会」ってのがあり、僕はその委員会に出向してました。
で、なにをする委員会かっていうと、8月8日を「地球市民の日」として、全国一斉に地球のためのアクションをおこし、ゆくゆくは国民の祝日にしようっていう壮大な?プロジェクトでした。僕が出向してた1999年度の事業は、東京お台場のビッグサイトで、当時まだめずらしかった光ケーブルで全国10ヶ所をつなぎ、各地イベントの画像やデータをやりとりするというものでした。
今、「地球市民の日」はどうなっちゃたんでしょうね?

それはともかく、最近は一時にくらべて、環境にたいする取り組みがトーンダウンしてる印象があります。
ブームじゃなくて、当たり前の生活規範として取り組んでいきたいですね。
  


もったいない運動

2005-04-06 09:00:00 | 国際・政治
mottainai最近、「もったいない」(MOTTAINAI)ってキーワードが、脚光をあびてるみたいです。
僕の私的サイト『 M's Factory 』に、「もったいない運動」についてのページがあるんですが、ここ2ヶ月くらい、ヒット数がかなりのびてます。

その原因は、ノーベル平和賞を受賞したケニアの副環境相、ワンガリ・マータイさんを迎えたシンポジウム「マータイさんと語る環境と平和」が、2月に新高輪プリンスホテルで開かれたことに起因してるみたいです。このシンポについて小泉首相もコメントしてたみたいですから、かなり注目度がかたかったようです。

僕と「もったいない運動」との出会いは、1993年~94年の2年間、日本 JC (青年会議所)の「もったいない運動」系の委員会に出向したことが、そのきっかけです。
日本 JC が提唱した「もったいない運動」は単なるケチケチ運動にならないように、「もったいない」という単語がもってる意味を以下のように定義づけました。

  1.「ありがたい」という感謝の心
  2.「畏れ多い」という謙虚な心
  3.ひとやものを大切にする優しい心


この「もったいない」という言葉をキーワードに、環境問題・青少年開発・社会開発(まちづくり)・国際交流・エネルギー問題を推進していこうという運動で、1994年には、日本を含めた世界5カ国(マダガスカル・シンガポール・アメリカ・オランダ)でセミナーを開催しました。

前述のシンポで、マータイさんが、「訪日で、勤勉さ、忍耐力、『もったいない』という3つの美徳を学んだ。ケニアの運動に生かしたい。ありがとうジャパン」と、こうスピーチを結ぶと、会場は拍手に包まれたそうです。
10年前の僕らの運動が実を結んだかどうかはわかりませんが、これからも「もったいない運動」を地道につづけていきます。
  


ジョイントボード

2005-03-06 08:00:00 | 国際・政治
joint_boardきょうまで、中国(河南省)に出張してるわけですが、どういった仕事かというと、「ジョイントボード」っていう桐板の輸入です。

桐板は、1枚の板をつかってるように見えますが、じつはスライスしたものをジョイントしてるんです。
以前は原木を仕入れてたんですが、ひとつずつ工程を中国に移管していきまして、今では「ジョイントボード(通称:ピン板)」といわれる桐板の製造まで、やっとこぎつけました。

輸入当初は、ジョイント部分の接着がはがれてたり、厚みムラがあったりと、問題がけっこうあったんですが、今では「3.65㎜ 」なんていう1/100㎜ 単位まで製造可能になりました。
輸入業者をとおして仕入れてもいいんですが、クオリティを保つために、こちらが指定した工場だけからの製品がほしいんで、直接輸入してるわけです。

3年前から、桐箱もその工場で作製して仕入れてます。
でも、初年度は仕入れた4,000個全部パアにしちゃいましたけど…。
  


中国出張

2005-03-04 08:00:00 | 国際・政治
henanきょうから、中国に出張します。
中国のどこにいくかというと、河南省の鄭州(ていしゅう)。
 
といっても、マイナーな都市だから、どのへんだかピンとこないでしょう。
教科書ふうに解説すると…
  
河南省は中華人民共和国東部の黄河中・下流域にある省で、
省域の大部分が黄河の南にあることから、「河南」と名づけられた。
古来、世界の中央にあたると信じられていたため、中州、中原ともよばれている。
中国文明の発祥の地のひとつで、かつては中国古代の政治・経済・文化の中心地だったため、
考古学的遺跡が豊富で、殷墟がとくに有名である。
五大古都にかぞえられる洛陽・開封、三大石窟のひとつ竜門石窟、
五大名山(五岳)のひとつソン(嵩)山、古刹少林寺、杜甫の生家など、
数多くの名勝史跡がある。
 
もっと四捨五入して、いいきってしまうと、中国の田舎かな。
ということで、きょうからしばらくは中国(河南省)ネタでいこうと思う。