日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

あの日のこと 

2018-03-11 20:47:33 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
陽射しは春のそれに変わってきましたね。
風はやはり冷たいですが季節の移ろいを感じます。
朝は眩しい太陽が昇って来ておりました。




                                    




 
                                    





昨日少し申しておりましたけれど、7年前のあの日のことを書かせて頂こうかと思いましたが自分の中、あるいはどなたかの中の辛いことを敢えて
書くよりも、その頃に撮っていた空の写真が残っておりましたのでそちらを揚げさせて頂くことに致しました。
よくそんなのあるねと言われそうですがあの年から何回か携帯も変わっているのに、その度にメモリもそのまま引き継いだ形となっていたようです。
それ以前の写真もあったりしてそれらを見ると自分でも不思議なくらい、その頃に感じていたことも思い出します。
あの日の前日に偶然写していた空、あるいは当日の午前中に撮っていた空など多数です。
それよりもっと前に撮ったものなどもあり、申すように見る度にあの頃はこうだったと感じる自分です。
遠く離れた広島の地のものですので、全く関係ないような写真といわれれば、確かにそれまでです。
それでもこれらの写真を見ると、自分の中にはあの日の記憶が蘇ってきます。



                    

前日に撮っていた写真。
                                   
                                    





当日の朝、撮った写真。


                                    



 
                                   

                                        





                                     






次の日の夕方。


                                    






3月8日の写真。
これはなんとなく亀の背中に鳥が乗っているように見えたので撮ったと記憶しております。



                                     
              



これらの写真を載せたからといって何があるわけでもありません。
言ってしまえばあの日に自分自身が感じたこと、それだけの話です。

当日のまさにあの時刻、自分はある女性と電話で話をしておりました。
彼女は地震のあった地からそれほど遠くはない場所へおり、受話器を通して聞こえてくる凄まじい程の大音響に、聞くだけしか出来ない自分でも
思わずたじろぐ程のものでした。
電話を切ろうかという自分に、このままにしておいて、もし私に何かあっても聞いてくれていた人が居たと分かるから、と電話の向こうで彼女は
叫んでおりました。
どれほどの時間そうであったのか、かなりの長きに渡り轟くような物音がしておりましたけれど、やがてその音も一段落したようで何とか無事で
いられた彼女は周りの惨状にどこから手をつけてよいのかわからないと呆然としておるようでした。
部屋の中に居たときだったようで、凄まじい物音の正体は周りの家具や大型のテレビがずれ落ちる時のものだったようです。
そのような中でかろうじて無事でいられたことだけでも奇跡的でしたけれど、その後彼女やそのご家族にとっての辛い日々が始まったことは想像に
難くありません。
苦しい部分をそれほど語らない人ですけれど、その分余計に厳しい状況であったろうことは察せられます。
その頃自分は主人がその年の1月に帰幽し、やはりなんとなく落ち着かない日々を送っていた頃でした。
その落ち込む自分を最も支えてくれていたのがこの彼女でもあり、しかしこのような状況に陥った彼女自身を、では自分はどのようにさせてもらえ
るのか、わからぬまま時間だけが過ぎていくようでした。

そんな日々の前後にこれらの写真を他にも数多く撮り、遠く離れたその彼女に思いを馳せるしかない有り様でした。
というよりも、そのような状況になりながらも、それ以降もずっと支えられたのは自分自身の方でした。





                                     






                                     





上の写真、一枚目はまるで葉っぱだか羽のように感じ撮りましたけれど、雲が大き過ぎて画面に入らなかったのを覚えております。
下の写真は大きな雲の下に、まるで天女が舞っているように感じた一枚です。
彼女にこれらの写真を送り、せめてもの慰めにしてもらえればと考えていたのかもしれません。






                                     





いくら時が経とうと心の中の風景は風化することは無いのでは、とも思います。
あまりにも苦しい記憶は自分が気づかないうちに記憶の彼方へ葬り去ることもままあることです。
けれど、消そうとしても消えない記憶、消してはならない記憶、それも厳然としてある、そう思います。
今この時代に生きている自分達だからこそ忘れてはならない記憶、留めておかなければならない記憶、そう感じております。
自分自身、己自身が出来ることなど、取るに足らないちっぽけなものです。
それでも心の中には忘れ得ない記憶としてその場所を確保しておきたいと感じます。





                                      

                                      




そんな今朝も祝詞奏上させて頂き、その時に感じたことを書かせて頂きますね。


 目を閉じると 未だに報われない御霊の声が聞こえるよう・・・



 〝  闇の中にも光はある それも強烈な光

    光が眩いからこそ 闇も強い

    だからといって 闇が悪いのではない
     
    どのように (闇を)使うか 受け取るかだ

    それにより (物事は)全く反転する    〟
 



                                      





震災の事をそれほど意識していたわけではありませんけれど、御霊というのはそういうことですね。
未だにさ迷っておられる御霊も少なからずおられるのかもしれません。
もし想いを飛ばしてそれらの御霊を慰める事が出来るのならば、自分でよいのならば、いくらでも自分を使わせてほしい、そう感じます。
それが能わないのならば、せめて想いの中だけでもいつかそうしたように彼の地へ光を送りたい、そう思います。
今こうして書いていて、確かにこれなら非力な自分でも出来ることかと思えます。
いつに限らず、これからも変わらずさせて頂こうと思います。

今日のこの言葉は大神であるのか、かなり力強い声で言われたように感じました。
これまでも同じように言われてきた事柄かと思います。
闇であってもまったきの闇ではなくその中にも必ず光を内包しておること、これはどのような中にあっても光は必ず存在するということでしょうか。
決してそのような状況ではないと思われる闇の中にも臨みとしての、希望としての光があってほしい、そう思いも致します。
光が強ければ強いほど、その影も強くなるともどなたかに言われたようにも思います。
ならばこそ、此処で言われておるようにそれを裏返したならば、その暗闇こそが眩いほどの光の只中にいるように反転するのかもしれません。
光と闇、あるいは光と影、それは陰と陽でもあり決して切り離せない関係であるともいえるのでしょう。
それでもなお、尚更その光を追い求めたい、そう感じます。 

復興、そう言われながらもまだ遠いとも言われておる道程かと存じます。
光がどうぞ彼の地へ降り注ぎますよう、そう願ってやみません。





                                      





先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。

  kimikimiblue13@gmail.com

此方までご連絡下さいませ。




                                      



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント
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