こんばんは。
今日はかなり気温が上がったようで日中、そのほとんどを車に乗っていた事もあってかどうかすると暑いくらいに感じました。
申しておりましたように、おじの墓参りへ急遽息子と二人、行って参りました。
本人自身、休みが土日ではなく火、水曜が公休日で、また祝日も休みという仕事では無い為、このような日程で戻ってきたというのもあります。
そんなわけで車を借りてドライブがてら(にしては高速をこれまたぶっ飛ばして;;)行って参った次第です。
朝は気持ちよく太陽が昇って来ておりました。
実はこの朝日の昇る光景をこれまでも幾度か動画にて撮っておるのですけれど、どうも自分のアップの仕方が悪いのか上手く出来ません;。
大した動画ではありませんけれど、朝鳴いている鳥の声、今ですと鶯のそれも入っていたりしてやはり春を思わせるものとなっております。
出来るようでしたら一度上揚げさせて頂こうと思います。
しばしお待ち下さいませ(って、いつになるんだろ;)
息子自身がいつも勤務の始まる時間が遅いため当然のように朝起きるのもそれに連れて、自分からすれば遅い時間です。
その息子の起床を待って出発すると既に10時を回っておりました。
それでも、ある意味そのくらいの時間の方が高速とは言え空いている時間帯のようでしてスムーズに走れました。
ただしウィークデイの中日あたり、折りしも春休み前、行楽に出かける人々の合間を縫うようにしてところどころで整備のためか工事をされており
ました。
矢印が次々と並んで出て来、これを我が家では昔から「よれよれマーク」と呼び習わしておりました。(苦笑)
寄って下さいの矢印なので、寄れ寄れマーク;。
命名者は、自分です、はい。
この季節くらいなら、こうして工事する人も少しは楽かねぇと言いながらも高速道路の上でかなりのスピードを出して走ってくる車を横目に工事を
されるのは、並大抵ではないだろうね、と話しつつ通り過ぎておりました。
冬寒く、夏暑い、過酷な現場です。
この方々のお陰で自分達は安全に走らせて頂けていると思うと有難いものだなぁ、と感じております。
なかにはお金を払ってろんだから当然だろう、といわれる人もおられるかもしれませんけれど、この方々あっての高速道路、そのようにも思います。
陰で支えて下さっている方々のお陰、そう感じております。
そう言いつつ思いつつ、なんにも考えずに飛ばして行くのも、はい、自分で御座います;。(反省;)
途中のPAで休憩した時のものです。
駐車場脇には、まだ雪が残っておりました。
遠くに見える標高の高い山の峰には未だ白く雪が残り、やはり県境辺りの中国山地沿いは今冬はかなり雪が深かったのだろうなと思わせる景色
でした。
向こう、目的地であるおじの墓所にはお昼少し前に着きました。
おじの家の割と近くにお墓がありますので、以前はおじに会いに来ると同時にこのお墓にもお参りしていたものでした。
今は主のいない家は、時折此処から2時間弱位の所へ住む娘さんが風を通しに、2ヶ月に一度位は帰られるようです。
以前はそのおじの家に着くと座敷に上がり、息子などは当たり前のような顔をしてゴロンと横になり何するでもなく、楽しそうにしておりました。
自分達もおじと散々話し疲れた後は、しばらく昼寝をさせてもらい、それじゃ帰ろうかとおいしい空気を胸一杯に、それを土産として戻ったもの
でした。
遠くに三瓶山が見え山々が連なる奥深い地ですけれど、その景色はいつ行っても自分の心落ち着く故郷のように感じていたのかもしれません。
お墓参りを終えると、ちょうど有線放送でお昼を告げるチャイムが流れました。
そう、未だにそんな放送が流れる地域でもあります。
昔はそこそこ若い方や子供らも居たところだったようですけれど、今は住民の方の殆どが高齢者ばかりの地域となっております。
過疎という名前で括れるほどの場所ではありますが、その分おそらくこれもまた天の川が手に取るように見える場所ではとも思います。
夏に泊まりにおいで、と言ってもらいつつ、結局一度も夏場には行く機会もなく終わってしまっていたおじとの交流でした。
申すようにお墓参りを終えたところでちょうどお昼です。
おなかも空いたし、何か食べようということになり、自分はコンビニ弁当みたいなのでもいいよ、と息子に話しますといつもそのコンビニ弁当
だから、たまには美味しいものを食べたいと申しますので、それならばと以前によく行っておりました温泉施設へ車を走らせました。
その途中にもこれまで食事といえば、ほぼそこでしていたお店の前も通ったのですが、いつもと同じ所は飽きたとこれまた申しますので、そこを
通り過ぎました。
目的地へ着くと、なんとなく雰囲気的にやってるのかなぁ;という感じです。
中へ入ると、どうやら今日はレストランは団体さん予約の為、一般には営業していないとか;。
あれまぁ、と思いつつ他にどこかないですかと尋ねると今しがた通ってきた場所のお店等を教えて下さいます。
いや、そこではなく、と尚も伺い十数キロ程度離れた別の温泉施設を聞き出し、行ってみることにしました。
田舎道のこととて、交通量も少なく時間にして20分もあれば着きますよ、と言われます。
ならば、と思いそこを出発し行ってみるのですが、なかなか到達しません;。
近くのガソリンスタンドで道を尋ねると、間違えたと思い引き返してきた道のまだ先を行くようでした。
教えて頂いた以上の道のりに感じつつも、やっとでそこへ到達すると、なんのことはない、水曜日は定休日;;。
もうこの時点で息子はお腹が空き過ぎて、かなり立腹しておりました。
まぁまぁ、となだめつつ結局は、最初に今日は此処は行かないと言っていたお店へと逆戻りしたというわけでした;。
ここのお店、息子を連れておじの家を訪ねるようになってからというもの、その殆どをこのお店で食事していたところです。
息子が幼稚園の頃からですので考えてみると、それこそ20数年経っております。
初めの頃は自分よりも若かったと思しき大将も、いつの間にか鬢に白いものが増えておられました。
とはいえ味は変わらずあの頃のまま美味しく、今日は息子と二人海鮮丼を頼み、これまでの経緯も相まって殊の外美味しく頂きました。
食事を終わろうかという頃が既に2時頃;。
本来なら近くの温泉にも立ち寄ろうと考えておりましたけれど、今日中には倉敷へ戻らねばならない息子のことを考えるとこれ以上遅くなっても
と思い、そのまま帰路に着くことと致しました。
週末ともなれば、結構な車の往来のある高速道ですけれど、さすがにウィークデイのこの時間ですと通行する車もほぼありません。
途中、高速教習の車の後をしばらく着いて走った後は、中国道へ接続するまでの対面通行のその高速道、殆ど一台で走り通したようなものでした。
それでも中国道へ入るとさすがに車も増え、またもや例の「よれよれマーク」の指示通りに右へ左へと車を寄せながら広島まで戻って来ました。
その運転の最中、息子は最近寝付けないと言いつつ、揺られる車内で多少は眠気が来たのかシートを倒してしばし目を閉じていたようでした。
そんな時に、いつもの龍が
『わてがずっとついてくさかいに 安心してや』
と話しかけてきます。
本当に?と聞けば
『わての分身が行くんやさかい ほんまですよ
かくいうあんたさんも 息子は あんたさんの 分身みたいなもんやろ
せやから わてもおんなじように 分身が 行きますのんや』
と、どこまで真面目に話しているのかわからないようなことを話しかけてきます。
まぁ、でもこのように言われれば、おそらくこの龍のこと、必ずそのようにしてくれるのだと思っております。
面白い龍ではありますけれど、案外と?責任感の強い頼もしい龍のようです。
恐持てな顔は伊達ではなかったようですね;。(あまりひどいことを申しておりますと、そっぽを向かれそうですので、このくらいとしておきま
しょうかね; 苦笑)
最後におじのお墓参りに行ったのは確か息子がまだ大学生の頃、それから何年経っていたのか、4、5年ほど前かと思います。
先日、目の前に蘇るようにして見えたあの光景、それを思いつつお墓参りをし、しかしお墓参りそのものの時間は正味20分あるかないかという
ところでったでしょう。
それでもおじのお墓まで参らせて頂けたということは、自分にとっても、また息子にとっても何か大きな安心感のようなものを感じられた事柄と
なりました。
今回、どうも一度戻りたいと考え、どうででも帰ってきた息子、もしかすると主人は居なくとも二人して顔を見せに来てほしいとおじが呼び寄せた
のかもしれません。
此方へ戻り少し一息入れると息子は、休み休み帰るよ、と言いながらものものしいいでたちでバイクに跨り戻って行きました。
かく言う自分も息子に続いて車を返却しに行き、その帰り道で近くの三篠神社さんへ手を合わせに参り、息子を宜しくお願い致します、と我が家の
神様共々に祈念させて頂いて参りました。
明日からまた仕事へ向かう本人、気持ちを前向きに持ってやって行ってくれればと思っております。
先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
毎度ながらのオバサンによる小学生レベル;のお出かけ日記で御座いました。(笑)
これからお彼岸も近い頃、気になる方へのお墓参り、なさってみられては如何でしょうか。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日はかなり気温が上がったようで日中、そのほとんどを車に乗っていた事もあってかどうかすると暑いくらいに感じました。
申しておりましたように、おじの墓参りへ急遽息子と二人、行って参りました。
本人自身、休みが土日ではなく火、水曜が公休日で、また祝日も休みという仕事では無い為、このような日程で戻ってきたというのもあります。
そんなわけで車を借りてドライブがてら(にしては高速をこれまたぶっ飛ばして;;)行って参った次第です。
朝は気持ちよく太陽が昇って来ておりました。
実はこの朝日の昇る光景をこれまでも幾度か動画にて撮っておるのですけれど、どうも自分のアップの仕方が悪いのか上手く出来ません;。
大した動画ではありませんけれど、朝鳴いている鳥の声、今ですと鶯のそれも入っていたりしてやはり春を思わせるものとなっております。
出来るようでしたら一度上揚げさせて頂こうと思います。
しばしお待ち下さいませ(って、いつになるんだろ;)
息子自身がいつも勤務の始まる時間が遅いため当然のように朝起きるのもそれに連れて、自分からすれば遅い時間です。
その息子の起床を待って出発すると既に10時を回っておりました。
それでも、ある意味そのくらいの時間の方が高速とは言え空いている時間帯のようでしてスムーズに走れました。
ただしウィークデイの中日あたり、折りしも春休み前、行楽に出かける人々の合間を縫うようにしてところどころで整備のためか工事をされており
ました。
矢印が次々と並んで出て来、これを我が家では昔から「よれよれマーク」と呼び習わしておりました。(苦笑)
寄って下さいの矢印なので、寄れ寄れマーク;。
命名者は、自分です、はい。
この季節くらいなら、こうして工事する人も少しは楽かねぇと言いながらも高速道路の上でかなりのスピードを出して走ってくる車を横目に工事を
されるのは、並大抵ではないだろうね、と話しつつ通り過ぎておりました。
冬寒く、夏暑い、過酷な現場です。
この方々のお陰で自分達は安全に走らせて頂けていると思うと有難いものだなぁ、と感じております。
なかにはお金を払ってろんだから当然だろう、といわれる人もおられるかもしれませんけれど、この方々あっての高速道路、そのようにも思います。
陰で支えて下さっている方々のお陰、そう感じております。
そう言いつつ思いつつ、なんにも考えずに飛ばして行くのも、はい、自分で御座います;。(反省;)
途中のPAで休憩した時のものです。
駐車場脇には、まだ雪が残っておりました。
遠くに見える標高の高い山の峰には未だ白く雪が残り、やはり県境辺りの中国山地沿いは今冬はかなり雪が深かったのだろうなと思わせる景色
でした。
向こう、目的地であるおじの墓所にはお昼少し前に着きました。
おじの家の割と近くにお墓がありますので、以前はおじに会いに来ると同時にこのお墓にもお参りしていたものでした。
今は主のいない家は、時折此処から2時間弱位の所へ住む娘さんが風を通しに、2ヶ月に一度位は帰られるようです。
以前はそのおじの家に着くと座敷に上がり、息子などは当たり前のような顔をしてゴロンと横になり何するでもなく、楽しそうにしておりました。
自分達もおじと散々話し疲れた後は、しばらく昼寝をさせてもらい、それじゃ帰ろうかとおいしい空気を胸一杯に、それを土産として戻ったもの
でした。
遠くに三瓶山が見え山々が連なる奥深い地ですけれど、その景色はいつ行っても自分の心落ち着く故郷のように感じていたのかもしれません。
お墓参りを終えると、ちょうど有線放送でお昼を告げるチャイムが流れました。
そう、未だにそんな放送が流れる地域でもあります。
昔はそこそこ若い方や子供らも居たところだったようですけれど、今は住民の方の殆どが高齢者ばかりの地域となっております。
過疎という名前で括れるほどの場所ではありますが、その分おそらくこれもまた天の川が手に取るように見える場所ではとも思います。
夏に泊まりにおいで、と言ってもらいつつ、結局一度も夏場には行く機会もなく終わってしまっていたおじとの交流でした。
申すようにお墓参りを終えたところでちょうどお昼です。
おなかも空いたし、何か食べようということになり、自分はコンビニ弁当みたいなのでもいいよ、と息子に話しますといつもそのコンビニ弁当
だから、たまには美味しいものを食べたいと申しますので、それならばと以前によく行っておりました温泉施設へ車を走らせました。
その途中にもこれまで食事といえば、ほぼそこでしていたお店の前も通ったのですが、いつもと同じ所は飽きたとこれまた申しますので、そこを
通り過ぎました。
目的地へ着くと、なんとなく雰囲気的にやってるのかなぁ;という感じです。
中へ入ると、どうやら今日はレストランは団体さん予約の為、一般には営業していないとか;。
あれまぁ、と思いつつ他にどこかないですかと尋ねると今しがた通ってきた場所のお店等を教えて下さいます。
いや、そこではなく、と尚も伺い十数キロ程度離れた別の温泉施設を聞き出し、行ってみることにしました。
田舎道のこととて、交通量も少なく時間にして20分もあれば着きますよ、と言われます。
ならば、と思いそこを出発し行ってみるのですが、なかなか到達しません;。
近くのガソリンスタンドで道を尋ねると、間違えたと思い引き返してきた道のまだ先を行くようでした。
教えて頂いた以上の道のりに感じつつも、やっとでそこへ到達すると、なんのことはない、水曜日は定休日;;。
もうこの時点で息子はお腹が空き過ぎて、かなり立腹しておりました。
まぁまぁ、となだめつつ結局は、最初に今日は此処は行かないと言っていたお店へと逆戻りしたというわけでした;。
ここのお店、息子を連れておじの家を訪ねるようになってからというもの、その殆どをこのお店で食事していたところです。
息子が幼稚園の頃からですので考えてみると、それこそ20数年経っております。
初めの頃は自分よりも若かったと思しき大将も、いつの間にか鬢に白いものが増えておられました。
とはいえ味は変わらずあの頃のまま美味しく、今日は息子と二人海鮮丼を頼み、これまでの経緯も相まって殊の外美味しく頂きました。
食事を終わろうかという頃が既に2時頃;。
本来なら近くの温泉にも立ち寄ろうと考えておりましたけれど、今日中には倉敷へ戻らねばならない息子のことを考えるとこれ以上遅くなっても
と思い、そのまま帰路に着くことと致しました。
週末ともなれば、結構な車の往来のある高速道ですけれど、さすがにウィークデイのこの時間ですと通行する車もほぼありません。
途中、高速教習の車の後をしばらく着いて走った後は、中国道へ接続するまでの対面通行のその高速道、殆ど一台で走り通したようなものでした。
それでも中国道へ入るとさすがに車も増え、またもや例の「よれよれマーク」の指示通りに右へ左へと車を寄せながら広島まで戻って来ました。
その運転の最中、息子は最近寝付けないと言いつつ、揺られる車内で多少は眠気が来たのかシートを倒してしばし目を閉じていたようでした。
そんな時に、いつもの龍が
『わてがずっとついてくさかいに 安心してや』
と話しかけてきます。
本当に?と聞けば
『わての分身が行くんやさかい ほんまですよ
かくいうあんたさんも 息子は あんたさんの 分身みたいなもんやろ
せやから わてもおんなじように 分身が 行きますのんや』
と、どこまで真面目に話しているのかわからないようなことを話しかけてきます。
まぁ、でもこのように言われれば、おそらくこの龍のこと、必ずそのようにしてくれるのだと思っております。
面白い龍ではありますけれど、案外と?責任感の強い頼もしい龍のようです。
恐持てな顔は伊達ではなかったようですね;。(あまりひどいことを申しておりますと、そっぽを向かれそうですので、このくらいとしておきま
しょうかね; 苦笑)
最後におじのお墓参りに行ったのは確か息子がまだ大学生の頃、それから何年経っていたのか、4、5年ほど前かと思います。
先日、目の前に蘇るようにして見えたあの光景、それを思いつつお墓参りをし、しかしお墓参りそのものの時間は正味20分あるかないかという
ところでったでしょう。
それでもおじのお墓まで参らせて頂けたということは、自分にとっても、また息子にとっても何か大きな安心感のようなものを感じられた事柄と
なりました。
今回、どうも一度戻りたいと考え、どうででも帰ってきた息子、もしかすると主人は居なくとも二人して顔を見せに来てほしいとおじが呼び寄せた
のかもしれません。
此方へ戻り少し一息入れると息子は、休み休み帰るよ、と言いながらものものしいいでたちでバイクに跨り戻って行きました。
かく言う自分も息子に続いて車を返却しに行き、その帰り道で近くの三篠神社さんへ手を合わせに参り、息子を宜しくお願い致します、と我が家の
神様共々に祈念させて頂いて参りました。
明日からまた仕事へ向かう本人、気持ちを前向きに持ってやって行ってくれればと思っております。
先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
毎度ながらのオバサンによる小学生レベル;のお出かけ日記で御座いました。(笑)
これからお彼岸も近い頃、気になる方へのお墓参り、なさってみられては如何でしょうか。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。