日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

みくじを下ろすということは  新顔の龍は

2018-03-05 21:20:42 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
夜半というのでしょうか、それよりもっと後くらいかもしれません、雷鳴と稲光で目が覚めてしまいました。
就寝する際は当然遮光カーテンをしておりますが、その隙間からピカッと光る稲光が幾度も感じ取れるほどでした。
雷鳴もかなりのもので、それと共に激しい雨も降っており、このところ潤っていなかったのも合わせてそのように降りしきった感じでした。
とはいえ、日中もやはり降り止むことはなく夕方になるとそれまでかなり気温も高かったものが徐々に下がってきたようで、まだまだ暖房のお世話
になるみたいですね。
そんな日ですので、当然朝もはっきりしないお天気の幕開けとなりました。




                                   






                                   
                                





仕事で神様からお言葉を頂戴するということを『みくじを下ろす』と以前ご紹介したかもしれませんけれど、このみくじを下ろすこと、つまり言葉を
自分の頭の中へ入れるということは、たやすいようでそうでない部分もあります。
自分がこの言葉は神様からのものだと感じて下ろしていたとしても、全く違うということは場合によるとあるということです。
けれどそれは余程の時でなければ、そのようなことにはなりません。
ではどのような時にそのようになるかといえば、まだ自分が不慣れな時、このような時がその神様なりに似せて非なるものがその姿に事寄せて
言い寄ってくる場合があります。

自分もこの仕事、神主として神事(かみごと)に携わり乞われるままにみくじを下ろした際、その相手によれば善からぬものがあたかも神のように
装い、出てくることがありました。
下ろしている本人は、言ってしまえばラジオと同様、言葉をそのまま伝えているようなものですから下ろしたその言葉が本当のものなのかどうかは
判断出来ませんでした。
ただし、いわゆる場数を踏んでくれば自分で下ろした言葉を声に出している最中に、あ、これは違うと直感的に感じ取っておりました。
そのような時は、少し間を置いて心落ち着けて、もう一度神様にお伺いをし新たに言葉を頂戴しておりました。
神様と、そうでない存在、どこが違うのかと言われれば、そのものの言い様、内容、とても似通っておるのですがなにかしらニュアンス的にしっくり
こない、そんな風に感じるのです。
とても上手く巧妙に言い回してはいるものの、どこかに胡散臭さというのか、その時点では良いようなことでも時間の経過と共にそれ自体が悪い方へ
向くように仕向けられているような、そんな感覚です。
それこそ言葉で表現するのが難しいことなのですけれど。

最近は神様と言われる存在とはニュアンスの違うところからの言葉を頂戴させて頂いておりますけれど、これとて果たしてそうであるのかどうか
自分では判断がつきかねる部分も大いにあります。
ではそう感じている自分がどうしてこのように大っぴらにこのブログ内で書かせて頂いておるのか。
この部分につきましては、それこそ言葉が入ってきた後に感じる直感のようのもの、というしかないですね。
ただし、此方へあげさせて頂く遥か以前からやはり言葉や感じは受けておりましたけれど、今一つ自分でも確信は持てておりませんでした。
このようなあやふやなことを、本当にこうして公にしてよいものなのかどうか、まるで何にもないかのように今は書いておりますけれど、一応;
自分も悩んだ時期が確かにありました。
最初にこのような存在と言われる方々の言葉が頭に浮かんで来た時は、自分で自分のことをおかしくなったんじゃない;?と疑っておりました。
幾度も申すように仕事では神主として神様や亡くなられた方の言葉を受け取ることは出来ても、まさか仏陀であるとかキリストであるとかのおよそ
自分とはご縁のない存在から声を掛けられるなどとは思ってもみなかったからでした。
誰かに相談しようにも、その頃にはどうすればよいかすらわからず、一時期は悶々とした頃もありました。
そんな折にそういえば以前ほんの少しだけれどもヒーリングを受けさせて頂いた方がおられたなぁ、あの方は様々な方の言葉をチャネリング、
いわば下ろしておられるよなぁと感じ、こんな事を果たしてご相談に乗って頂けるだろうかと不安になりつつも、駄目もとで連絡を差し上げてみ
たのでした。
そうすると懸念していた事ははなから杞憂のように本当に気さくにお答えして頂き、何かわからないことがあればいつでもおっしゃって下さいと
優しくお声がけ頂いたのでした。
こんなことから此方でよくご紹介させて頂きますTomokatsuさんとはお知り合いにさせて頂いたというのが実のところです。
厚かましいにも程がある、という感じですけれどね;。(苦笑)
Tomokatsuさんの素晴らしいところは自分などが申すより遥かに皆様の方がよくご存知かと思いますけれど、何がすごいってこの方、決して否定は
なさらない方なんですね。
これはそうではない、と決め付けることはまずありません。
そうなんですね、と受け止めてそこから話を進展させていらっしゃる懐の深い方です。
自分のように、すぐなんでもそれはこうなんじゃない?と知ったかぶりをひけらかすようなことは間違ってもなさらない方です。
もう、爪の垢を煎じて飲ませて頂いても追いつかないかもしれません;。(再び苦笑;;)
そんな感じの大らかな方です。

そのようなTomokatsuさんに自分の感じる或いは聴こえたと思う、先ほどの存在方の事をご相談すると、全く否定することなどなく、それは確かに
そうですね、と柔軟に受け止めて下さいました。
そこでようやく自分の感じていた事柄等は確かなものだったのだ、と安心させて頂けたということになったわけです。

以上のような経緯を経て、此方で書かせて頂いておる存在はちゃんとした方々であると、いわば認めて頂いておると考えております。
此処までかなり長い説明になっておりますけれど、何故かしら今日はそこの部分を申し上げたくだらだらと書かせて頂きました。
ご理解頂ければ、幸いに存じます。





                                    




それはさておき、朝はいつに変わらず祝詞奏上させて頂きました。
奏上し終わり、ふと背後にあのゴッツイ感じ;の龍の存在を覚えました。
あ~、おるわ~;な感じです。
と、ふいに



  “  ちゃんとするんやで   ”


と関西弁で話しかけられました。
えっ;?と思うとその関西弁で続けざまにまた何かを言われました。
またもやええ~っ;と感じましたけれど、向こうはそんなことにはお構いなしにどんどんと話掛けてきます。
これまで恐持てのちょいと見てくれヤ○ザっぽい(あ、ごめんして;)感じの龍が、何とも気さくに物申すものですから、そのギャップと相まって
可笑しくなり、奉幣を振りつつ顔がニヤケて来るは面白いはで、最後に神語(しんご)というものを唱えるのですけれど、終いには笑ってしまい
ました。
それほどこの龍自身、気取ったところの全くない見掛け倒し;ともいえるような楽しい性格?のようです。
なんだかかつての主人のようで、そう思うと関西弁のこの龍、これから先仲良くやっていけそうですね。
いやぁ、ゴッツイ感じのままだとどうしょうと少し心配しておりましたけれど、気さくな相手のようで何よりでした。(笑)





                                       



午後からは先に少し離れた役所へ赴き、その後に所用を済ますために街中へと出掛けました。
この最初の役所まではこれまでですと車でものの二十分もあれば行ける場所なのですが、今はその車も無いためバスとJRを乗り継いで行くように
なります。
バスは日頃乗りなれておりますけれど、JRはよほど用事がなければ乗ることもなく、たまに乗ると車窓からの景色が違って見え、いつも見慣れた
場所も新鮮に感じられます。
学生時代はそれこそ朝晩に呉から広島まで通う為に乗っていた電車ですけれど、このようにごく時たま乗るのは気分転換になって面白いものだと
感じられます。
その学生時代に乗っていた電車、また今日乗った可部線の電車共に二年ほど前に新型車両へと衣替えしシルバーの地肌に赤い線が入ってなかなかに
おしゃれと感じております。
先頭車両を眺めるとどことなくウルトラマンを彷彿とさせる面持ちで、見る分においても結構いいんじゃないと密かなファンの一員でもあります。
行きはそんなバスとJRでしたが、役所から街中まではアストラムラインという、これまた少し違った電車の類に乗りました。
この通称アトムといわれております電車、遠くから見る分にはまるで芋虫がトコトコと這っているように感じられますが、実際に乗ってみると案外
よく走り、同じ場所から街中へ出向いたとしても車よりも遥かに速く到着するようでした。
此方は幹線道路沿いの十数メートル程上空とでもいいますか、専用の線路が設けられており、その軌道上を走るのでかなり速いのだと思います。
当然この車内から見える景色も自分にしてみれば普段眺める位置より相当高いわけでして、それだけでも心の中では幼い子供のようにワクワクして
おりました。

そんな風にして街中へ着き、地下から地上へと出ると結構な風雨のようでした。(アトムは途中から地下へと降ります)
一日そのようなお天気で、建物の中にいる分にはさして感じもしない雨風も外へ出ると途端に気温もろとも体感する思いでした。

街中へ出たついでに、これまたいつものように買えもしないデパートの画廊へ足を運び;フムフムとひとしきり作品を眺め、後は京都の物産展を
ひやかしてきました。
その一店にいつも求める便箋等を扱うお店も出展しておられました。
此方はデパートの中にあるお店の方ではなく、京都から来られたようでした。
商品の中には筆もあり、そういえば祝詞を書く筆がそろそろ書き難くなっていたなと思い、お店の方に伺いながら一本買い求めさせて頂きました。
見れば墨もおいてあります、それも結構なお値段がついておるものです。
恥ずかしながらいつもは我が家では墨汁で簡単に済ませておるのですけれど、この時とばかりにこの墨についてお店の片にレクチャーして頂き
ました。
高価な値段のものは植物を燃やした煤を練り固めたものが上等なものとされているということ、またその価格だけのことはあり、幾らも擦らない
でもすぐに黒い色が出るということ、でした。
なお墨汁はカーボンを溶かしたものとかで、筆からすると当然あまりお勧めはしませんとも教えて頂きました。
まぁ、このくらい本来なら常識として、知識として知っておらねばならないことなのでしょうけれど、恥かしいかな、改めてこうして教えて頂き
感心したことしきりでした。
小学生で先生について書道を多少は習い、その時にも確かこうして墨を擦ることでざわついていた心も穏やかになってくると言われたことを思い
出しました。
もっともその頃はその書道すら億劫な子供でしたので、何分も無心に墨を擦るという行為そのものに辟易していたように思います;。
字を書かせれば、まるでミミズがのたくったみたいだ;と息子にバカにされるのもむべなるかな、な思いではあります。(苦笑)

帰路に着き、此方へ戻ってバス停へ降り立つと出掛けた時には感じられなかった寒さがまた戻って来たようでした。
明日の朝の最低気温は五度とのこと、暖かさはまた当分お預けのようですね。



                                    





                                    




先だってよりお伝え致しております厳島神社参拝並びに宮島周辺探訪、三月十六日、九時半広島駅を車にて出発です。
お一人一万三千円この中には正式参拝の玉串料を含みます。(フェリー代、飲食代は含まれません)
ご参加お待ち申しております。

  kimikimiblue13@gmail.com

此方までご連絡下さいませ。



                                     




前半は神様や多くの存在についての自分の感じ取り方、また新顔の龍についてのご紹介?後半は毎度おなじみのオバサンのお出かけ日記と相成り
ました。
多少なりともお楽しみ頂けましたなら、と思います。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
 
コメント
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