日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

宮島へ行ってきました その一

2017-04-25 13:46:17 | お出かけ
こんにちは。
ちょっと間があいてしまいまして、失礼致しました。

23日の日曜日は、仕事にて笠岡まで出張。
昨日の24日は、これまた知人に誘われて、こちらは全くのプライベートですが、しばらくぶりで宮島を訪れて参りました。
この両日とも、快晴といえる上天気!
雲ひとつ無く晴れ渡り、殊に日曜日などはこれまた行き帰りの道中は、仕事とはいえ、絶好のドライブ日和となりました。

この仕事の件については、いずれどのようなことで参らせて頂いたのか、改めて書かせて頂ければと思います(この
パターン、多いですけどね;)


さて、宮島です。
これもまた往復、車ですが今回はお誘い頂いた方の車で参りましたので、自分はラクチン助手席のヒト^^。
普段、自分でステアリング握るばかりで、当然外の景色なんぞ見ることも無いわけですが、昨日は運転することから
開放され、普段見もしない回りの景色を堪能。
たまには助手席、いいものですね。

宮島は、当然島ですので向こうへ渡るにはフェリー等の船となります。
昨日は、ごく普通に対岸の宮島口から所要時間10分のフェリーで行きましたが、そこに乗る人々の顔ぶれが何とも多彩!
1996年に世界遺産に登録されてからは、それこそ世界各国の人々が観光に訪れることとなり、その数も年々増えてきて
いるようです。

実はこの宮島、自分の父方の父、いわば自分の祖父の本家がある処でして、自分自身のルーツともいうべき場所です。
しかし、現在の自分の代では、父の葬儀の折にその本家の大伯母?に当たる方にお会いしたくらいで、あまりご縁が無いというのが
実状ですね。
どこどこの誰の娘(自分がですね)、といってもお互い、よくわからない感じで;。
それでもやはり、その葬儀でお見かけしたその大伯母の顔つきはどことなく自分にも似ているところがあるようで
血筋ってあるんかいな、と感じたのも事実でした。

ともあれ、そんな自分のことはさておき、件のフェリーに話を戻すと。
顔つきは一緒と感じるけど、どこか違うな~と思うと、韓国の方だったり、おや賑やかねぇ、と思うとこちらは
中国の団体さんだったり、或いは欧米の方だったりと様々。
欧米というと、つい英語圏の人と思いますが話す言葉は英語のそれではなく、どことなくロシア語?と感じたり。
色の白いだけでは、自分のような日本のオバサンには区別がつかないのが本当のところでした^^;。

そんな国際色豊かな人々満載のフェリーが桟橋について(そう、月曜日だというのに満杯なお客さんでしたよ)三々五々
皆さんが降りられるのですが、そこでもまたベビーカーを押す若いパパさんがいたり、お年を召して杖をついておぼつかなそうに
歩く奥様を優しく手を引いてゆっくり進まれるご主人とか、キャピキャピ(相当に古いな、この表現;)の日本のオネエサン方が
いたり、と、ここって宮島じゃったよね?と思わず広島弁でつぶやきたくなるような一コマでした。

それらの人々が一斉にこうして島へ渡られるのですから、もうついた途端、そこらじゅう外人さんだらけ。
先にも書いた如く、そこいら辺で色んな各国語が飛び交っておりましたよ。

                     

そうこうして歩いていくと、ちょっとした人だかりが。
写真にあるように、まるでモデルとしてのこのボクと鹿をそこへセットのように配置したかと思われるようなこの光景。
このボクが、またなんともいえぬ良い笑顔を周りの人々にごく自然に振りまいており、本当に絵になる情景でした。
(この時期の鹿はそれほど攻撃的ではありませんが、秋頃になると繁殖期を向かえ、雄は気が荒くなっていますので
 ご注意下さいね)


厳島神社に近づいてくると、ありました、狛犬さんです。
ですが、自分自身、これまでにも散々訪れて、これまた散々目に入っているはずなのに、何故か今まで気づいていませんでした;。
そんなわけで、今回こちらをパチリ。

                       

                     

二枚目のは、まるで啓示を受けたかのような光のシャワーが(笑)
でも、幸先よさそうですよね。

                     

お馴染みの宮島の大鳥居です。
昨日は、これから潮が引いていくようで、結構な人数の人達が、その鳥居のそばまでお越しになっていました。

肝心の厳島神社の境内は、今回自分自身、写真を撮っておりません。
拝礼させて頂くことに気持ちが行っておりましたし、撮った写真はありましたが、大勢の方がかなり写っておりましたので
今回は載せるのを止めさせて頂きました。 
美しい朱塗りの回廊や、台風や高波に備えて床板は敢えて隙間を取ってただ置かれていることなど、説明をしだすといくらでも
出てくるのですが、またの機会にさせて頂きたいと思います。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと) 
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
この三女神が主祭神とされております。

そうして、これはあまりご存知のない方がおられると思いますので、これだけ書かせて頂きますと
回廊を巡り、拝殿で参拝された後は、皆さん普通はそのまま社殿を後にされるのですが、その前に
回廊の少し奥へ進まれますとこちらに「大国神社」(だいこくじんじゃ)として大国主命と保食神(うけもちのかみ)を
合わせ祀(まつ)られておる社が御座います。
こちらは厳島神社のHPでも述べられておりますが、
「房顕覚書」の天平六年(1537年)に大黒と記述があるのが初見で
現在の大国神社と考えられる。かつてはお供え物を此処に仮に安置し御本社に運んでいた。
との記述があります。
ここまで足を運ばれる方はあまりいらっしゃいませんが、訪れることがありましたら、どうぞこちらの
神様にもお手を合わせてみられては如何でしょうか。

厳島神社を参拝したあとは、散策しながらもお腹もすいてきます。
水族館のある辺りまで歩いていきつつ、その辺りのお店に入りお昼とすることにしました。
ここでも、また外人さんの姿が。
商店街とはずいぶん離れている場所にある、いわば食堂のようなお店でしたので、メニューはこれまでそうであったように?
日本語でしか書かれておられません。
それにもかかわらず、皆さんどのように注文なさったのか、自分達日本人が食す、ごく普通の丼物とか麺類を頼まれて
中には不器用ながらも橋を使い、或いは自分よりも器用に箸を使いながら、食事を楽しんでおられました。

そういえば和食もユネスコの無形文化遺産に登録されたんでしたよね。
そんな影響もあるんでしょうか、お客さんは半数以上が外国の方という中で食事をしたのでした。

その後は、また少し歩きつつ

                       

あまり人気のない浜辺から、此方へ来るフェリーを眺めたり

                        

いまが盛りの八重桜を見たりして歩いていました。
そういえば、その桜の木のしたに数人の若者の姿が。
てっきり日本の大学生かと思いきや、これまた英語でペラペラぺラ。
どこまで行っても、外人さんとは縁が切れません。

                        

紅葉谷といわれる辺りまで歩き、今日はこの辺りでやめとこうかと引き返し

                        

豊臣秀吉が作ったとされる千畳閣という処から眼下に臨む厳島神社を眺めたりしていました。


と、少し長くなりましたので、ここで続きとしますね。                         
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見えているのに見えてない?

2017-04-22 19:05:47 | ちょこっとスピリチュアル
こんにちは。
今日は結構、良いお天気でしたね。
でも晴れてはいても風が冷たい、この季節にしてはどことなくチグハグな感じの気候に感じております。

そんな晴れた空を見上げるのが好きなんですが、その見上げた空に、何かが見える。
何?といわれても、それはチリチリとした光るものが、うねうねというのか、かなりのスピードで
動き回っているものが見えます。

                       

最初、これは当然自分の錯覚だと思い、見えても明るすぎて、また目がおかしいんだねとしか思っていませんでした。
しかし、ある日、友人にそれはプラーナというものだよ、と教わりました。
プラーナ?なんじゃ、それ?と思ったのですけど。

その時にその友人に説明してもらい、へぇそうなんだ、と納得したのですが、今は忘れてます;。
で、もう一回、ググって調べてみました。

プラーナ  う~む、どうやら気とか光のエネルギーのようなものらしいです。
これは、もうそこいらへん、どこにでもあるんだと思いますよ。
ただ、普段は見えていても意識していないので、自分でも見えているとは思わず、むしろ見えていないように
感じているのでは、と思います。
そうして、このプラーナを自分のチャクラの中に取り込むことにより、元気になれるのだともいわれておるようです。


それをいえば、自分の周りにいつもある、この空気。
全く意識しておりませんが、常に自分自身の周りにありますよね。
息をして、吐いて としていると、自分の中へその空気を取り込んでいるというのは意識できますが
普段はそんなこと、考えもせずに無意識で生きております。

そう考えると、自分自身、普段なんにも考えずにごくごく普通に、生きているとすら思わずに
暮らしているんだなぁ、と感じました。

自分の周りには、こんなにも目に見えなくとも、肌で感じていなくとも多くの恩恵をもたらしてくれている
ものがあるんだと改めて感じております、今もこう書きながら。


世界のどこへいっても、このプラーナも空気も変わらずに此処へあってくれているんですよね。
そう考えると、なんと有難いことか、と、もうそれだけで嬉しくなり感謝したい気持ちです。

ですが汚れた空気や空の下では、それらも淀んでしまうでしょうね。

だとすると、綺麗な空気に保っていくことは、引いては自分達のみならず、この地球にすむ生物全体への恩恵も当然
もたらすのではと思います。

                       
自分達の住む地球、大事にしていきたいものです。

                       
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不ぞろいでいいんじゃない?

2017-04-21 14:35:38 | ものの見方 考え方
こんにちは。
起きた時は、どんより曇り空でしたが、今は晴れてきて気持よくなってきております。

                 

こんな雲とか出てたんですけれど

                 

今はこんな感じ。
風がまだちょっと冷たく感じるので、自分では半袖を着るほどにはない、そんな気候でしょうか。


そんな今日ですが、ご近所の方からお花を頂戴しました。
ご自分の家のハウスで育てて出荷されておられるのですが、そんな花の中で、どうにも曲がっていたり丈が短かったりで、いわば
商品にならないものを持って帰っていいよとおっしゃり、それならばと遠慮なく頂いたものです。

                 

ご覧のように、結構ごっそり頂戴したので、後ほどご近所さんにお裾分け分けさせていただくつもりです。
どこかの歌詞みたいに、♪バケツの中で、それぞれ誇らしげに咲いてますよ^^♪
頂戴した方が言われた如く、伸びすぎていたり、丈が短かったり、或いは曲がっていたりと様々ですが、当然そのどれもが綺麗に同じ花を
咲かせています。
それでも、そのような不揃いのものだと、たとえ出荷しても値がつかないと言われるようですね。
どうしてなんでしょうね。

われわれ日本人は、野菜等もそうですが、なんでも規格に当てはめて、それ以外は除外してしまう傾向にあるようですね。
最近は、ずいぶんそれも緩和されてきているようですけれど、それでもきゅうりとかの曲がってしまったものとかは出荷しても
上記の花のように、市場では見向きもされないようです。

お花にせよ、野菜にせよ、その香り、または味は全く変わらないのに、どうしておんなじように揃っていないと価値が無いと
決めてしまうんでしょうね。

なんでも枠に当てはめて、それから外れるとすぐさま仲間はずれ。
本質的には、全くなんの落ち度もないのに、蚊帳の外。
どこか変だと感じませんか。


そもそも、そのどれもが全て同じというのは、最初から決められた規格の中で作る「物」であるならば、それは揃って
いなければ、不都合も出てくるかと思います。
こっちとあっちの大きさが違っていれば、何かと不便で困りますしね。

しかし、自然の中で出来てきたものは、その全てが同じような大きさ、形で出来上がるとは限りませんよね。
似ているようでも、どこか違う、でも違うからこそ色々あって面白いのでは、と感じます。

全てが同じでいいのなら、なんでも一種類のもの、それだけで事足りるわけでしょうが、それじゃあ、面白みも
何にも無く、ただ単調なだけに思えます。

そう考えていると、ふと「クローン」という言葉が思い浮かびました。
ここでちょっとググってみると(すみません、大々的にカンニングです^^;)
「生物体の細胞から無性生殖的に増殖し、それと全く等しい形質と遺伝子組成を受け継ぐ別の個体」
と出ています。

ふぅ~ん、なるほど、ってちょっと分かったような分からんような自分ですけど;。

つまりは、隣にある個体とこっちに新しく出来た個体は、丸々そっくりそのまま、何一つ変わることなく全部一緒ということ
でしょうか。


先ほど、物ならば、同じものでないと何かと不都合があるのでは、と書きました。
確かに製品ということで見れば、同じものが作られないと色々支障が出てくるかと思います。
同じ部品を用いて、同様のものを作る過程においては。

しかしですね、完成したこの製品がヒトの手にわたり、そのヒト個人の物になったときは、どうでしょうか。
たとえば、車。
最近は車に乗る方は少なくなってきているとはいえ、やはり生活に無くては困るものかと思います。
(地域にもよるかと思いますが)
ご自分の手元に来た車、どんな車にせよ、自分のものであるならば、どのように手を加えても(それが法に触れなければ)
ある意味、その方の個性としての車になるのではと思います。
これが服であったりしても、同じ服を着たとしても、着るヒトが一手間加えるだけで、最初の印象とはかなり変わってくるのでは
と思います。


と、ことほど左様に自分のものになるものに対しては、ヒトって結構個性を求めたりしますが、それが自然が作り出すものになると
途端に同じようなものを求めたがるのはどうしてなんでしょうね。

同じでいいなら、先ほど出てきた「クローン」で構わないんじゃないのか、そう思います。
でも、皆さん、「クローン」てどこか不気味な感じがするのはどうしてでしょうね。
何もかも、全て一緒なのは、どこかやはり違うんじゃない?という無意識な気持ちがどこかにあるのでは、と思います。
同じ親から出てきた子供は、兄弟でもそれぞれ顔や性格も少しずつ違いますよね。
(一卵性双生児というと、また違うのでしょうけど、ここではちょっと置いときますね)


そんな風に、世の中、どれも似ているようで、それぞれ違いがあるのではと思うのです。

自然が作り出すものは、似ているようでどこか違う。

ならば、自分達ヒト、人間もおんなじようで、それぞれどこか違うもの同士の集まりだと思います。
そうやって考えていくと、人種が違えば顔つきも違うし、考え方も違ってくる。
食べるものだって、当然ちがうわけですよね。
みんなちょっとずつ違うから、それが個性になって面白いのだし、違ってなければ、実のところ隣のヒトと
自分ですら見分けがつかなくなるかもしれませんよ。

みんな違って、みんないい

よく聞く言葉ですが、そう思います。

花も、色とりどりあるからこそ、綺麗で美しい。
目を楽しませてくれます。

そうだったらば、自分達も、あれこれあって、デコボコでも不ぞろいでもいいんじゃない?
そう感じます。
不ぞろいの部分を認めていければ、と感じますよ。

むむむ、読み返してみて、ありゃぁ、また脱線しまくりの、どこへいくのこの文章?な感じになっておりますが;
書いていくうちに自分でも思わぬ方向へ進んでいっておりますね。
毎度のことながら、困ったもんだ^^;

ま、それもオバサンの独り言だと思って頂ければと存じます^^。

ではでは今日は、この辺で~。

                 





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これ効きます

2017-04-20 15:03:01 | ケアの方法
こんにちは。
いつもお天気のことから入りますが、今日も相変わらずそこからです^^;。
で、今日はこの辺りは曇っております。
雨が降るほどではありませんが、昨日に比べるとなんとなく肌寒いような。
どうにも安定した気候になりませんね。 


                      

さて、そんなぼんやりとしたお天気の日。
皆さんは、肩凝りとか首の凝りとかありませんか?
かく言う自分は、昔からものすごい肩凝りやら首の凝りがあり、おまけに遠視のせいか、こうしてPCを長時間使っていたりすると
もうそれだけで、眼精疲労もかなりきてます;(最近は遠視ではなく、歳相応の老眼ですけどね;)
それと、これも若い頃から猫背もあります、もうどんだけオバサンならぬオバ「ア」サンに近づいてきておるやら;;。

そんなある日、ある方のブログを拝見していて偶然目にしたもの。
それは、「さとう式リンパケア」というもの。
元々は、そのブログ主の「さとうみつろうさん」が書いておられる「笑えるすぴりちゅある」というブログを見てからです。
(ここの部分、ご本人に書くよ~とか承諾して頂いてないけど、ええんかしら;?)
ブログ主さんは、ご自身の頭髪のことであれこれ書かれておりましたが、自分は、そもそも、その「さとう式」とはなんぞや?と
思い、ググってみました。

すると、佐藤青児さんとおっしゃる歯科医の方が考案された、目からうろこ的なリンパケアというものでした。

ここで、自分があれこれご説明するよりも、既に基本のケアはネットであげられておられますので、そこを見ながらご自身で
体感してみられるのが一番かと思います。

自分自身、つい一昨日くらいにこれを知り、この基本ケアを試しにしてみたところ、本当にうその様に肩凝りが軽減され
辛かった首の張りが和らぎました。
これはええわ~、と一人ニヤつきながら、暇さえあれば、せっせと手や身体を動かしておるところ。
殊に猫背が楽になり、胸を張ることが出来るのは、正直嬉しいですね。
胸が張れるということは、当然姿勢がよくなるわけで、そうするとただ立っているだけでも、すごく楽なんですよね。

祝詞を奏上するときは、これまではそれでも不思議と背筋が延びていたのですが、このケアをして後は、自然と姿勢が
良くなっているので、声を出すのも無理をせずに楽に発声出来ているように感じます。

こうして姿勢もよくなると、物事も前向きに考えられるようになりますし、第一気持ちいい^^。
骨折した箇所はまだまだ痛みはありますが、随分と楽になってきておりますよ。

いや~、これええわ、ほんま^^。
そう感じ、少しでも皆さんも楽になっていただければと、こんな拙いブログの中で僭越ながらもご紹介させて頂きました。
(一応、この主催されておられる方のところへ書かせて頂いて宜しいですか、の旨を伺いましたが返信頂けておりません;
 それダメじゃん、なことかもしれないのですけれど)


胸というのは、此処にアナーハタ・チャクラとかハート・チャクラがあるといわれている部分ですね。
ですので、よくこのハートチャクラを開いて、とかいわれておりますが、正直、自分のような猫背の者には、その姿勢からして
開きにくかったんかいな;?とか今にして感じておるようなわけです。
やはり何事においても、その姿勢は大事というのを改めて認識した次第です。


顔のしわやたるみも、自分では多少はのびてるぞ^^とか思いつつ、オバサンながらも、いやいやオバサンだからこそ、こんな
久々の心地よさと出会いつつ気持ちよく過ごしておる今日なのでした。

                    
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ちょっとずれてる?

2017-04-19 15:53:50 | ちょこっとスピリチュアル
こんにちは。
今日は、この時期らしい爽やかな青空が広がっていますよ。
         
                     

雲もないので、青一色。
快晴ですね。
これからだんだんと初夏に向かっていくんでしょうね。
皆さんの辺りでは、如何でしょうか。


タイトルのずれてる、は言わずとしれた自分自身のことです、はい^^;。
どこか人とずれてるのはわかっている話なんですけれどね。

最近、あれ、と感じることが何回かありまして。
話のネタにするほど、大したことでは全くないのですけれど。

今、自分がパッとある物を見ると、一瞬あれ、これ違うけど?と思い、次の瞬間には元々自分が見ていたものがそこにあるような
そんな感じです。

一体なに言ってんだ?な感じですけど;。

またこれは別の例ですが、昨日のこと、ある方が写真や文章を時系列に沿ってブログに上げておられました。
で、その写真やらを拝見した時に、あれ、これもう見てるし、読んでるし?と感じたのですね、その時に。
ですが、その方の上げた時刻とかを見ると、自分が既に見ていたと感じた時間には、まだ何も書かれていなかったんです。
つまりは半日程の時間というのか、そこの部分だけ、自分ひとりが先に知っていたような、そんな思いに捉われたわけです。

よくデジャブとかいいますけれど、それともちょっと違うみたいで。

なんだか、ごくごく一部分だけがちょっとずれてるというのか、大袈裟にいうと、そこだけ時空が少し捻れてるような感じ
です。

だからどうした、といわれると、いえそれだけの話です、というような正にどっちに転んでもいいような事なんですけれど。

ここ二週間ほど、あれ?とか感じることがこんな感じで、ちょこちょこありまして、何なのだろう、これって、と
自分で自分に疑問文な感じがしているところです。

だからといって、よく言うように大勢には全く、もうなんの影響もない、そんな自分だけの不思議な感覚です。
誰かの邪魔にもなってないし、これから先、またどんなあれ?が起こるのか、自分でも少しだけ楽しみでもあります。

いっそ、一夜明けたら、住んでる場所も大きな家になってたりとかしたら、それこそ面白いでしょうにね^^;。


と、そんな妄想がますます広がっている今日でした。

               

ここはご近所の八幡さま。
うちではありません、あしからず;
枝垂れ桜も葉桜に変わり、だんだんと初夏の装いになっていくのでしょうね。

              

近くの田んぼではレンゲが綺麗に咲いていたりします。

               

畑では、こんな豆の花も咲いていたり。

この季節らしい、そんな一日でした。




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