こんにちは。
立ち上げた日の翌日に風邪を引き、つかいものにならない自分でした><。
元気が戻ってきましたので、今日から書きはじめたいと思います。
ところで皆さん、トイレを使う時、何か考えていますか?
普通は何にも考えずにそのまま使用して、出てきますよね。
かく言う自分もそうでした。
ごく普通に使い、当たり前に出てくる。
でも、ふとある日、毎日此処は、自分の不浄のものを文句も言わずに受け止めて、ただそのまま流してくれている。
そう思うと、これはものすごく有難いことだと感じたんです。
何年か前に、『トイレの神様』の歌が流行りましたね。
あの時は、そうだねぇ、としみじみしながら聞いておりましたけれど。
ですがそれとは別に、このトイレという場所は、やはり神様がおわします場所なのではないか、と今更ながらに気づいたんですね。(遅いけど;)
確かに神道では、このトイレという場所は波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ 土の神様)、水波能売神(ミズハノメノカミ 水の神様)という神様がおられるといわれております。(他にも別の書き方で記されていたりします)
この二柱の大神様は、その成り立ちがそれぞれに伊邪那美命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を産み落とした際にご自分の陰部を焼かれてしまい、その時に苦しみながら大便をしたのが波邇夜須毘古神となり、小便をしたのが波邇夜須毘古神になられたといわれております。
と詳しい説明をすると、まだまだ続きますが、このことは今回このくらいにさせて頂いて。
自分自身がトイレという場所で、自分の不浄なるものを文句一つ言わずに引き受けてくれている、その事自体に、かなり感銘を受けたんです。
あぁ、なんて有難いことなんだろう、と。
そう感じると、トイレ掃除をするのも、なんだかとても嬉しく楽しくなり、自分で勝手に作詞作曲して「あ~りがとう~、トイレの神様~♪」などと下手な歌を歌いながらさせて頂くようになりました。
実際にそうして掃除していると、此処をもっと綺麗にしてやるぞ、とか思えてきますし、だんだん汚れは許しまへんで、とか思えてきて、より綺麗に、としている自分がいたりします。
そうして、掃除し終わると、トイレに向かい手を合わせて、
「いつもありがとうございます」
と自然と頭を下げていたりします。
誰かによくやった、とかいわれたいわけではもちろん無く、あくまでも自分自身の自己満足でしかありません。
けれど、トイレ自体に、本当にいつもいつもありがとうね、使わせて下さってありがとう、不浄を全て文句言わずに引き受けてくれてありがとう。
そう思えること自体が、嬉しく有難い、そう感じております。
んで、最終的にこの不浄なるもの、今は下水管を通じてどこへ行くのか。
下水処理場へ汚水として運ばれて、そこで適切な処理を施され、最終的には海に還るのでは、とあるとき思いました。
母なる海とかいいますが、最後はそこへ辿り着くということ?
ということは、自分が住むこの地球で引き受けてくれているということ?
その昔は、肥溜めとかがあり、そこで畑にまかれたりもしていましたよね。
やはり、最後は大地、しいては地球がその引き受け役ということなのかな、とも。
そんな風に考えていくと、トイレを通じて、自分の住む地球そのものにありがとうといっているのかしら?と思えてきました。
確かにこの星、地球からは出られないわけですから当然ではあるのですけれど。
そう思うと、どんなものにせよ、何がどのような経路を辿ろうと、最後は自分のところへ還ってくるということにも通じるのかな、とも思えたりします。
トイレの神様から始まって、最後は発想の大いなる(大い過ぎ?)飛躍となってしましましたが、ありがとうと思える気持ちをもつことは色んなことにも繋がっていく最初の一歩かな、とも感じました。
長い文面になりましたが、お読みいただいた皆様、有難うございました。
立ち上げた日の翌日に風邪を引き、つかいものにならない自分でした><。
元気が戻ってきましたので、今日から書きはじめたいと思います。
ところで皆さん、トイレを使う時、何か考えていますか?
普通は何にも考えずにそのまま使用して、出てきますよね。
かく言う自分もそうでした。
ごく普通に使い、当たり前に出てくる。
でも、ふとある日、毎日此処は、自分の不浄のものを文句も言わずに受け止めて、ただそのまま流してくれている。
そう思うと、これはものすごく有難いことだと感じたんです。
何年か前に、『トイレの神様』の歌が流行りましたね。
あの時は、そうだねぇ、としみじみしながら聞いておりましたけれど。
ですがそれとは別に、このトイレという場所は、やはり神様がおわします場所なのではないか、と今更ながらに気づいたんですね。(遅いけど;)
確かに神道では、このトイレという場所は波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ 土の神様)、水波能売神(ミズハノメノカミ 水の神様)という神様がおられるといわれております。(他にも別の書き方で記されていたりします)
この二柱の大神様は、その成り立ちがそれぞれに伊邪那美命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を産み落とした際にご自分の陰部を焼かれてしまい、その時に苦しみながら大便をしたのが波邇夜須毘古神となり、小便をしたのが波邇夜須毘古神になられたといわれております。
と詳しい説明をすると、まだまだ続きますが、このことは今回このくらいにさせて頂いて。
自分自身がトイレという場所で、自分の不浄なるものを文句一つ言わずに引き受けてくれている、その事自体に、かなり感銘を受けたんです。
あぁ、なんて有難いことなんだろう、と。
そう感じると、トイレ掃除をするのも、なんだかとても嬉しく楽しくなり、自分で勝手に作詞作曲して「あ~りがとう~、トイレの神様~♪」などと下手な歌を歌いながらさせて頂くようになりました。
実際にそうして掃除していると、此処をもっと綺麗にしてやるぞ、とか思えてきますし、だんだん汚れは許しまへんで、とか思えてきて、より綺麗に、としている自分がいたりします。
そうして、掃除し終わると、トイレに向かい手を合わせて、
「いつもありがとうございます」
と自然と頭を下げていたりします。
誰かによくやった、とかいわれたいわけではもちろん無く、あくまでも自分自身の自己満足でしかありません。
けれど、トイレ自体に、本当にいつもいつもありがとうね、使わせて下さってありがとう、不浄を全て文句言わずに引き受けてくれてありがとう。
そう思えること自体が、嬉しく有難い、そう感じております。
んで、最終的にこの不浄なるもの、今は下水管を通じてどこへ行くのか。
下水処理場へ汚水として運ばれて、そこで適切な処理を施され、最終的には海に還るのでは、とあるとき思いました。
母なる海とかいいますが、最後はそこへ辿り着くということ?
ということは、自分が住むこの地球で引き受けてくれているということ?
その昔は、肥溜めとかがあり、そこで畑にまかれたりもしていましたよね。
やはり、最後は大地、しいては地球がその引き受け役ということなのかな、とも。
そんな風に考えていくと、トイレを通じて、自分の住む地球そのものにありがとうといっているのかしら?と思えてきました。
確かにこの星、地球からは出られないわけですから当然ではあるのですけれど。
そう思うと、どんなものにせよ、何がどのような経路を辿ろうと、最後は自分のところへ還ってくるということにも通じるのかな、とも思えたりします。
トイレの神様から始まって、最後は発想の大いなる(大い過ぎ?)飛躍となってしましましたが、ありがとうと思える気持ちをもつことは色んなことにも繋がっていく最初の一歩かな、とも感じました。
長い文面になりましたが、お読みいただいた皆様、有難うございました。