日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

地鎮祭でした

2017-04-14 10:25:45 | 神様等について
こんにちは。

昨日、記事を更新しようと考えていたのですが、かなり久しぶりの地鎮祭をさせて頂き、その後もあれこれしておりますと、自分の
電池切れ><;;
あえなくダウンとなりまして、またもやサボる結果となりました、すみません;。

うちはとても小さいところですので、殊に最近は地鎮祭をおっしゃってこられる方が少なくなっております、悲しいことに;;。
しかし、うちでなさらなくても、それぞれ他所の神様に御依頼なさり、しておられる方も多くいらっしゃると思います。
やはり、ご自分の家を建てるとなると、これから永らくそこへ住まわれるわけですので、その土地の神様や、信仰しておられる
神様にお越し頂き、その土地の永久なる平安また安全や、工事に携わる方達にも怪我など無いように、と祈願なさるのが宜しいの
ではと思います。
つまりは、あの祝詞の中では、おおよそそのような事を申し上げておるわけです。

しかし、最近はそういうこともだんだん少なくなってきているようですね。
ご自身で一から建設される方、つまりは注文建築などですと、やはり地鎮祭は大事なこととしてなさる方も多いかと思いますが
建売などの業者さんによると、あまりこの祭自体に重きを置くことも少なくなってきておられるのかもしれないと感じております。


ここでまた少し、話が脱線^^;
ま、私のいつものクセですので、コイツまたかい、と呆れておられて下さい。

自分自身がこの仕事に就く、はるか以前のこと。
というより、まだ子供の頃とか、あるいはうら若き頃(そう、今はオバサンでも自分にもこんな時代が一応あったんですよ^^;)
たまたまその頃、不動産関係の仕事で事務員をさせて頂いておったことがあります(出来の悪い社員でした、すみません;)
不動産ですので、当然、土地の取引とかが仕事となるのですが、その当時自分が感じていたのは、土地って元々誰のものでもない
のにな、売りました、買いました、これで此処はあなたのもの、という考え方がどうにも腑に落ちない気持ちでおりました。
仕事上、そんなことを考えていたところで当たり前ですがひと様の前で、そのようなことを申したことはありません。
ですけれど、なんだかな~、な思いはしておりました。
ただ、そういう仕事柄、社内には神棚も設けてあり、自分自身、そこの営業所が立ち上がる時のいわば最初の社員でしたので
その最初の神棚の御祓い、並びに開所の折には、お越しになられた神主さんの祝詞を神妙な心持ちで聞いておりました。
(その何年後かに、まさか自分がその側になるとは夢にも思いませんでしたけれど)

社内でそのように神棚はありましたが、特に何をするわけでもなかったようにも記憶しております。
ただ新年初めの神社参拝や、広島ではえべっさんという商売の神様のお祭が秋にありますので、その時には大きな熊手を買い求めたり
しておりました。

その当時の神様とのお付き合い?は、その程度でごくごく普通だったと思います。
そもそも、その頃、神様という存在そのものをあまり深く考えていなかったですしね。
ただ漠然と、先ほどから申すように、元々誰のものでもない土地やらを勝手に自分のものにして売買するのって、何だかなぁ、な気持ちは
ずっと心の奥底にくすぶっていたように思います。

誰のものでもない、けれどそこにはやはり何がしかが姿は見えないけれどおる、居るのではないのかな、と。
それが何か、と問われると自分でもあまりに掴みどころがなく、上手く説明できない気持ちでもありました。
そんな曖昧模糊としたようなおぼろげなものを感じつつも、わけわからぬまま月日も流れていたように思います。

そういう自分が今の仕事をさせて頂きだしたのは、主人と結婚してからのことです。
それまでは前述の如く、ごくごく普通の出来の悪い社員でしかありませんでした;。(あ、出来の悪いのは普通とはいいませんね、失礼;)

神様そのものは目に見えぬ存在ですし、そこにいらっしゃるといわれても、ピンとこないかもしれません。
事実、自分でもそうでしたし。
しかし、主人と一緒になる少し前、普通考えられないような不思議なことに出会ったり、また頭の中に自分の意図せぬ声が響いてきたように
感じたり、でもいやそれ違う、と幾度も否定しても似たようなことがあったりし、否が応でも、なんとなく神様という存在を認めざるをえない
ような状況になってきていました。

もしかして、これが神様かぁ??な疑問を抱きつつも、そこはそれ、人並み以上なあまのじゃくな自分は、それでもいやいやいや違いますって;
と抵抗するのですが、その度に神様から、ええ加減に認めんかい、な事をこれでもか的に示されたように感じ出していました。

それでとうとう、いわば観念するようにして結婚し、神様にお仕えさせて頂くようになったわけです、要するにろくでもないヤツ、なわけなん
ですけれど;。
その時の神様曰く、「このじゃじゃ馬はそなたにしか乗りこなせぬ、しかと手綱引け」と私の口を通して主人に伝えられたという、なんとも
信じられないようなこともありまして(この辺りは、また機会がありましたら、ボチボチ書いて見たいと思います;)今に至る、となるわけですね。

ま、あれからうん十年(早いもんだ;)、今じゃその主人の手綱を私が引いております、というオチにしたかったのですけれど、実はその主人
数年前に既にあちらの世界の住人となっております。
それでも、そんな主人と事あるごとに、心の中で
「父ちゃん」
「なんや」
な会話を致しております^^;(これも自分の妄想のなせる技、かもしれませんけれど)


と、ここまで脱線しまくりましたが、申したいことは、神様はどこにでもおわします、ということですね。
神様がおられるとされる神社は当然のこと、川や山や、より身近なところにも必ずいらっしゃるとされております。
ですので、ご自身が此処が自分の住む場所だ、と定められたのでしたら、どうぞ感謝の気持ちを込めて神様にお越し頂き地鎮祭をなさって
みられて下さい。
その際、神主が警蹕(けいひつ)といい、おーーという声を出して神様をお呼びさせて頂くのですけれど、殊にお力のある神様がお越しに
なられた際などには、一陣の風がどうっと吹いたりするときもあります。
そのような不思議がいつもあるわけでは御座いませんが、もし機会がありましたら神主さんの祝詞に耳傾けながら(意味わからないでしょう
けれど;)感じ取ってみられては、と思います。


ああ、なんとか今日も話が着地出来ました、我ながら何より^^;
自分で書いてても、ありゃ、これ言いたいことと違う方向進んでる、とか思いつつ書いてたりします(何てヤツだ;)
そんなどこへ話が進むかわからないこのブログへのお付き合い、本当にいつも有難うございます。


皆様、どうぞ今日も佳き一日を^^。


              






コメント (2)
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