日々徒然なるままに

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水分峡へ行ってきました

2017-04-16 10:15:40 | お出かけ

こんにちは。
昨日は、晴れていたのに急に曇ったかと思うと、いきなり雨になったり、夜間も雷を伴う激しい雨が降ったりと不安定なお天気でした。
皆さんのところは如何でしたか?

そんな日でしたが、その雨の降る前に、安芸郡府中町にある水分峡(みくまりきょう)へちょっとした散策へ行ってみました。
此処はその昔、神武天皇が東征の折に現在のやはり府中町にある埃宮(多家神社といわれております)へご滞在中、この場所にて水を
お汲み取りになられたとして申し伝えられておるようです。
その場所を水分神社としてお祀りしておられるところですね。
お社は小さいのですが、きちんと整備されておられ気持ちの良い祠という感じでした。
その肝心のお社を写すのを忘れてしまったのですけれど;。
    
             

こういう案内の看板も立てておられますので、お分かりになるかと思います。
そうして、この神社の御祭神は、天水分大神(あめのみくまりのおおかみ)、国水分大神(くにのみくまりのおおかみ)が祀られておられるとの
ことです。
どちらもお水の神様ですね。
天皇自ら、この地にて水を求められたという処ですので、その昔はさぞかし綺麗な清水が流れていたのだと思います。
今でも、目の前には小さな川が流れており、草摺の滝といわれるとても穏やかで女性的な趣のある滝が流れていますが、散策する道すがらにも
岩を伝って細い流れが滴っていたり、と水には事欠かない地のようですし、お水の神様を祀られるというのも頷ける場所です。

              

ところで全国で、この水分神社というのは現在の奈良県に四社、また大阪府に二社あります。
(他にもまだ何社かおありのようですが、詳しくは存じません、申し訳ございません)
その中の一社に、奈良県の吉野水分神社というところがありますが、この神社に以前はよく参拝させて頂いておりました。
生前、主人からは水の神様の大元になる神様として聞いておりましたが、他にもこの水分神社があるところをみると、そうであるかどうか
は定かではありませんけれど、奥深い吉野の山の中、鳥居こそは赤く朱塗りのものですが現在ある社殿は、その昔豊臣秀頼が各慶長10年(1605年)
建造したとされており、年月を感じさせる社殿でもあられます。
その社殿の前で、心落ち着けて神様に参拝させて頂くと、なんともいえぬ荘厳な趣の中にも大神様の暖かいお心が伝わってくるようで
不思議と気持ちの落ち着く場所でもあります。
一番最初に、この吉野水分神社を訪れて拝礼した際、頭の中に、長い白い髭を足元より遥かに長くし、白い着物をきた様な、そんな姿が
思い浮かびました。(顔はわからないのです、なんとなくそんな感じの姿というだけで)
傍らにいた主人に聞くと、自分たちが結婚する前は、主人とその母でよく此処へ参拝していたとかで、その母も同じような姿を感じていたようだと
言っておりました。
それが、此処の大神様であられるのかどうかは、全く存じませんが、神様が人間に事寄せて、そのように思わせて下さったのかもしれませんね。

そしてここはまた、お水の神様と共に、子宝に恵まれる神様としても全国に知られており、子授けの神様、御子神も合わせて祀られております。
(みくまりがみこもりとなまった故といわれているようです)

                
そう考えると水と生命、これはやはり様々な意味で関連があるのでしょうね。
人が生まれてくるときには産湯を使い、また臨終の際にも、その口を水で湿らすともいいますね。
そもそも人に限らず、哺乳類ならばその胎内に居る際には、羊水の中に浮かんでいるわけですし、(純粋に水とはいいがたいでしょうけれど)
切っても切れない縁なのでしょうね。
そんなことをふと感じました。

なんだか今日も、水分峡へ行ったよ、の報告のつもりがこれまた大幅に脱線しまくったまま終わってしまいました、すみません;。
そんななかで、オチをつけるとすれば、晴れていた空が俄かに搔き曇り、じきに雨が降ってきたよということでしょうか。
お水の神様、最後もお水で締めくくらせて頂けたようです。

毎度毎度のこのブログ、今日もお読み頂いた皆様、有難うございました。

                 
コメント
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