こんばんは。
朝空を見ると、真っ赤になっていました。
結局その後はいきなり寒くなり、この辺りでは霙が降り出しました。
本格的な冬の到来のようです。
今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日はこの寒さを感じてか雷神の香りをつけて奏上させて頂きました。
雷神
〝 風吹くぞ 雪降るぞ 雷鳴るぞ
この冬は違うぞ
どんどんなるぞ
油断すな
雷鳴って また次へぞ
吹くぞ 降るのぞ 鳴るのだぞ 〟
このような言葉でした。
今日のお天気、天候から言われた言葉のようですね。
昨年とは違い、今年は寒くなるのが早いようで尚の事このように警告ではありませんが注意喚起のようにして言われたのかと思います。
現に先にも書いたようになんとなく昨日辺りから寒くはなっておりましたが、今日はこれまでとは違う寒さでした。
この辺りはまだ雨から霙という感じですが我が家から見える北の奥辺りは山が白く覆われ、ともすれば吹雪くように降っている
のではと感じました。
これまでが暖かった分、余計寒さが身に沁みる思いですが本来の冬のあり様を思い知った気がします。
(空撮ると、こんなのが撮れました 綺麗な彩雲? レンズのせいかな?)
昨日書き終えなかった部分を続けたいと思います。
申すように全く大したことはなく、ただただ自分が書きたいので書くだけです;。(笑)
墓参りを終えてもまだ時間は11時頃、どうするかなと思いながら子供の頃住んでいた近くまで車を走らせました。
と言っても車であれば10分も掛かるかどうかの距離です。
その昔小学校の校門の真ん前に住んでいたのですが、その学校自体がかなり以前に少子化の為廃校となり、その跡地にスーパーが
出来ております。
小学校の話をすれば校門の真ん前だけあり、キンコーンの鐘がなる数分前に教室に滑り込めばセーフな訳ですから(笑)結構遅刻
寸前で登校していたように思います、多分;。
けれど小三になる前に母が病で逝きましたので幼い弟二人の面倒は周りの大人のおだてに乗せられ?結構その気になってみていた
こともあり、自分がしっかりしなければと思い直して(ホンマか?)お姉ちゃんとして頑張っていたように感じます。
その頃は学校も校門は開放していたでしょうし、春には何本も植わっている桜が咲き、秋には校庭の隅にある銀杏の木が多くの
実をつけ、臭いねといいながらもその実を取ってきては中の実を皆して食べていたように記憶します。
はたまた桜の木の下にずらりと並んだ鉄棒につかまり、手の皮が擦り剝けるまで足を掛けてグルグル回る事をしていたり、かと
思えば大きな鉄棒に手を掛けて一、二のさーん!で大きく跳んで砂場に着地する遊びを凝りもせず続けていました。
こう書くと相当にお転婆であったのは紛れもない事実、改めて自分で認識した次第です;。(今さら;)
そんな幼い頃の思い出がありますが今は跡形も無くなっており、その代わりにスーパーが出来て近隣の方の買い物に役立っている
ようです。
そこで自分はお弁当を買いどうするかなと思いながら一度車へ戻ってそれを置き、改めてスーパーの外へ出ました。
自分の住まっていた雨漏りのする古い借家は別の方の家が建ち、他にも古い家々は多くが新しく建て替わっていたようでした。
近くには幼馴染としょっちゅう遊びに行っていた小さな公園がありましたが、その当時の物とは違うでしょうけれど変わらず
ブランコがありました。
けれどその頃多くあった桜の木は全く無くなり、少し上の広場は今は市の弓道場となっているようでした。
その脇には昔から見覚えのある小さな小道がついており、なんとはなしにその道を登って行ってみました。
いい加減足がしんどいよなと感じながらも何故かしら止めようとは思えず、何か突き動かされるようにしてそこを登って行きます。
特に何がある訳ではないのですが、歩を進めるうちに、あれ、この景色、以前に夢で見た場所と思い当たりました。
夢の中では狭いながらもようやっとで車がすれ違えるほどの道でしたが現実にはかなり細く、とても車が入れるような場所では
ありません。
けれどそれ以外は夢で見た景色がいきなり蘇ってきたかのように感じました。
しかしだからといって何か劇的なことがあることは全く無く、ただ単に夢で見た場所ということのようでした。
坂を辿ると今は誰も住んでいない空き家が何軒かそのまま建っていたり、もう少し上にはお墓もあるようでしたが落ち葉で足を
とられそうでそれ以上進むのは止めにしました。
お天気が悪いので今一つでしたが、そこから見えるの街並みは多少変わったとはいえ故郷のそれだよねと感じるものでした。
(呼んでも耳すら立てなかったネコ 笑)
(坂の途中から見えた弓道場 時折スパーンと矢を射る音がしていました)
(お天気悪くてよく分かりませんね; 遠くに造船所のクレーンが見えています)
(夢の中で見ていた道)
少しの散歩を終えスーパーまで戻り、車の中で先程買ったお弁当を食べて後、さてこれからどうするかなと考えます。
このまま帰ってもいいけれどまだお昼だしなと思い、懐かしい方に電話をしてみました。
先程幼馴染の事を申しましたが、その彼女のお兄さんでして、彼女は広島へ嫁ぎましたが、お兄さんの方は此方の市内へお住まいです。
電話を掛けたのはそのお兄さん、お兄ちゃんに会うというよりむしろその母親、彼女らのお母さんの方にお会いしたかったからですね。
幼い頃、幼馴染と大抵どちらかの家に遊びに行っており、そこのおばちゃんにいつも可愛がってもらっておりました。
今でも何かあればお伺いしておるわけですが、この度はコロナの事もありお電話したもののお兄ちゃんと共に今は止めとこうか
という話になりました。
また春頃にでも会えればねぇといって互いに電話を切りました。
さてと、ではどうするかなと考えたのはやはりこの近隣にあるうちの檀家寺でした。
さてと、此処まで書いてきて残りあと僅かな事ですが、一度に書くのも結構しんどいものですね。
ま、毎度のことながら脱線してばかりだからですけども;。
ですので、もう一回、残りの部分は書かせて頂ければと思います。
たかが一日の出来事にこうまで引っ張るんかいな;と思いつつ。
真に申し訳ございませんです。
それでも変わらずお付き合い頂きまして、真に有難うございます。
感謝申し上げます。
朝空を見ると、真っ赤になっていました。
結局その後はいきなり寒くなり、この辺りでは霙が降り出しました。
本格的な冬の到来のようです。
今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日はこの寒さを感じてか雷神の香りをつけて奏上させて頂きました。
雷神
〝 風吹くぞ 雪降るぞ 雷鳴るぞ
この冬は違うぞ
どんどんなるぞ
油断すな
雷鳴って また次へぞ
吹くぞ 降るのぞ 鳴るのだぞ 〟
このような言葉でした。
今日のお天気、天候から言われた言葉のようですね。
昨年とは違い、今年は寒くなるのが早いようで尚の事このように警告ではありませんが注意喚起のようにして言われたのかと思います。
現に先にも書いたようになんとなく昨日辺りから寒くはなっておりましたが、今日はこれまでとは違う寒さでした。
この辺りはまだ雨から霙という感じですが我が家から見える北の奥辺りは山が白く覆われ、ともすれば吹雪くように降っている
のではと感じました。
これまでが暖かった分、余計寒さが身に沁みる思いですが本来の冬のあり様を思い知った気がします。
(空撮ると、こんなのが撮れました 綺麗な彩雲? レンズのせいかな?)
昨日書き終えなかった部分を続けたいと思います。
申すように全く大したことはなく、ただただ自分が書きたいので書くだけです;。(笑)
墓参りを終えてもまだ時間は11時頃、どうするかなと思いながら子供の頃住んでいた近くまで車を走らせました。
と言っても車であれば10分も掛かるかどうかの距離です。
その昔小学校の校門の真ん前に住んでいたのですが、その学校自体がかなり以前に少子化の為廃校となり、その跡地にスーパーが
出来ております。
小学校の話をすれば校門の真ん前だけあり、キンコーンの鐘がなる数分前に教室に滑り込めばセーフな訳ですから(笑)結構遅刻
寸前で登校していたように思います、多分;。
けれど小三になる前に母が病で逝きましたので幼い弟二人の面倒は周りの大人のおだてに乗せられ?結構その気になってみていた
こともあり、自分がしっかりしなければと思い直して(ホンマか?)お姉ちゃんとして頑張っていたように感じます。
その頃は学校も校門は開放していたでしょうし、春には何本も植わっている桜が咲き、秋には校庭の隅にある銀杏の木が多くの
実をつけ、臭いねといいながらもその実を取ってきては中の実を皆して食べていたように記憶します。
はたまた桜の木の下にずらりと並んだ鉄棒につかまり、手の皮が擦り剝けるまで足を掛けてグルグル回る事をしていたり、かと
思えば大きな鉄棒に手を掛けて一、二のさーん!で大きく跳んで砂場に着地する遊びを凝りもせず続けていました。
こう書くと相当にお転婆であったのは紛れもない事実、改めて自分で認識した次第です;。(今さら;)
そんな幼い頃の思い出がありますが今は跡形も無くなっており、その代わりにスーパーが出来て近隣の方の買い物に役立っている
ようです。
そこで自分はお弁当を買いどうするかなと思いながら一度車へ戻ってそれを置き、改めてスーパーの外へ出ました。
自分の住まっていた雨漏りのする古い借家は別の方の家が建ち、他にも古い家々は多くが新しく建て替わっていたようでした。
近くには幼馴染としょっちゅう遊びに行っていた小さな公園がありましたが、その当時の物とは違うでしょうけれど変わらず
ブランコがありました。
けれどその頃多くあった桜の木は全く無くなり、少し上の広場は今は市の弓道場となっているようでした。
その脇には昔から見覚えのある小さな小道がついており、なんとはなしにその道を登って行ってみました。
いい加減足がしんどいよなと感じながらも何故かしら止めようとは思えず、何か突き動かされるようにしてそこを登って行きます。
特に何がある訳ではないのですが、歩を進めるうちに、あれ、この景色、以前に夢で見た場所と思い当たりました。
夢の中では狭いながらもようやっとで車がすれ違えるほどの道でしたが現実にはかなり細く、とても車が入れるような場所では
ありません。
けれどそれ以外は夢で見た景色がいきなり蘇ってきたかのように感じました。
しかしだからといって何か劇的なことがあることは全く無く、ただ単に夢で見た場所ということのようでした。
坂を辿ると今は誰も住んでいない空き家が何軒かそのまま建っていたり、もう少し上にはお墓もあるようでしたが落ち葉で足を
とられそうでそれ以上進むのは止めにしました。
お天気が悪いので今一つでしたが、そこから見えるの街並みは多少変わったとはいえ故郷のそれだよねと感じるものでした。
(呼んでも耳すら立てなかったネコ 笑)
(坂の途中から見えた弓道場 時折スパーンと矢を射る音がしていました)
(お天気悪くてよく分かりませんね; 遠くに造船所のクレーンが見えています)
(夢の中で見ていた道)
少しの散歩を終えスーパーまで戻り、車の中で先程買ったお弁当を食べて後、さてこれからどうするかなと考えます。
このまま帰ってもいいけれどまだお昼だしなと思い、懐かしい方に電話をしてみました。
先程幼馴染の事を申しましたが、その彼女のお兄さんでして、彼女は広島へ嫁ぎましたが、お兄さんの方は此方の市内へお住まいです。
電話を掛けたのはそのお兄さん、お兄ちゃんに会うというよりむしろその母親、彼女らのお母さんの方にお会いしたかったからですね。
幼い頃、幼馴染と大抵どちらかの家に遊びに行っており、そこのおばちゃんにいつも可愛がってもらっておりました。
今でも何かあればお伺いしておるわけですが、この度はコロナの事もありお電話したもののお兄ちゃんと共に今は止めとこうか
という話になりました。
また春頃にでも会えればねぇといって互いに電話を切りました。
さてと、ではどうするかなと考えたのはやはりこの近隣にあるうちの檀家寺でした。
さてと、此処まで書いてきて残りあと僅かな事ですが、一度に書くのも結構しんどいものですね。
ま、毎度のことながら脱線してばかりだからですけども;。
ですので、もう一回、残りの部分は書かせて頂ければと思います。
たかが一日の出来事にこうまで引っ張るんかいな;と思いつつ。
真に申し訳ございませんです。
それでも変わらずお付き合い頂きまして、真に有難うございます。
感謝申し上げます。