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希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車091

2010-01-12 11:49:03 | 日記
人は、それぞれ、生きていると、人生を一瞬(いっしゅん)にして決しなければならない場面に出くわすことがある。その時に、躊躇(ちゅうちょ)するか、決断(けつだん)して前へ進むか、それによって大きく人生が変わってきてしまう場合もあると思う。

また、それほど大きな出来事ではなくても、一瞬にして、決断をするか、しなかいかで、一日や未来が、変わってきてしまう場合も、多いと思う。

また、なにかの災害や災難にぶつかった時に、勇気を持って行動し、人々を助けることができたという場合もあると思う。そしてその時、躊躇(ちゅうちょ)し、行動ができなかったために、後になって、後悔(こうかい)するようなことも、あるかもしれません。

それもこれも、一瞬(いっしゅん)の決断です。このさまざまな一瞬の決断の時に、勝つか?負けるか?が、決まってきてしまうということも、言えるかもしれません。

よく、なにかの災害などの時に、創価学会の人たちの 、勇気あるスピィーディな善意の行動によって、創価学会に対する考え方が、180度、大きく変わったという例が、多々あるようです。
もっとも、創価学会の人たちは、たくさんいますので、いたらない人も、たくさん、いるとは思います。
けれど、一般的に、創価学会の信心と活動を真面目にやっている人たちは、何かあった時、そういう勇気あるスピィーディな善意の行動が、できる場合が多いようです。

なぜ?それができるかというと、日々の生活の中で、創価学会の信仰と活動によって、人々に尽(つ)くすということが、身に付(つ)いているからです。

けれど、それはただ単(たん)に、訓練(くんれん)を受けているという基準(きじゅん)ではなくて、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、自分の生命から、人々のために生きようとするプラスの心、人々を幸福にしていこうというプラスの生命が、自分の中から、自然に、湧(わ)き上がってきている!と、いうことです。

そういうプラスの素晴らしい生命が、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、普段から自分の中から、湧(わ)き上がってきているので、何かあった時でも、自然にそういう善意の良い行動が、できてくる!ということです。

これは、人々のためにプラスになるだけでなく、自分自身を大きく助け、自分の人生を大きく幸せにしていく結果となります。

南無妙法蓮華経を、となえていくということ、そして仏法の実践活動である創価学会の活動をしているということは、その生命のプラスの力(ちから)、勇気、希望、決断力、挑戦する前向きな力、それらを、無限に開花させていくことに、なっていくんです。

それは、最初に言ったように、人生において、一瞬(いっしゅん)で勝負を決しなければならない状況の時にも、大きな力(ちから)となって、その人を助け、幸せの方向へ、大きく動かしていきます。

その瞬間を決する幸福の力(ちから)を、大きく開花させる力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、あるんです!


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希望列車090

2010-01-08 14:08:09 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言ってます。
『最強無敵(さいきょうむてき)の妙法(みょうほう/ 南無妙法蓮華経)の利剣(りけん)を持つ私たちは、不幸を幸福に、宿命(しゅくめい)を使命に変えることができる。』

妙法(みょうよう)の利剣とは、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえて祈る信心のことで、この創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる信心があるかぎり、不幸を幸福に、宿命(しゅくめい)を使命に、変えていけるということです。

(ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自身の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊です。)

創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法は、どんな苦難が来ても、さあ!宿命転換(しゅくめいてんかん)の時だ。大境涯(だいきょうがい)を開くチャンスだ!と、腹(はら)を決めていった時 、一切(いっさい)を幸福への原動力に変えていけるんです!!

池田先生が、言っています。
『信心とは、永久に「蘇生(そせい)」であり、永遠に「復活」の道だからです。』

永久に蘇生(そせい)、永遠の復活!
スゴイ言葉だと思う!!

創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、限界がない!ということだと思う。永遠に希望を持って生きていける!そして、現実に自分の生命を蘇生(そせい)させ、自分の人生を復活させて、生きていくことが、できる!

こんなスゴイことは、他では絶対にないと思う!!!

また、これだけの確信と希望を持って、生きていけることも、他では決してない!と思う。

その最強無敵の、絶対にして永遠の希望が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!


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希望列車089

2010-01-05 22:20:48 | 日記
釈迦(しゃか)といえば、ほとんど知らない人は、いないと思う。お釈迦様(おしゃかさま)とか、いうこともあり、釈尊(しゃくそん)とも仏陀(ぶっだ)とも、呼ばれているようです。

その釈尊(しゃくそん)が、僧侶(そうりょ/坊[ぼう]さん)について、言っています。
『僧侶(そうりょ)は、葬式(そうしき)には、出てはいけない。葬式は、親族や親しい人たちで、やるものであって、僧侶が出るものではない!!そんな暇(ひま)があったら、今、現在、苦しんでいる人、困っている人の元(もと)に、行ってあげなさい!』

本来、仏教に坊主(ぼうず)が、葬式に出るなんてことは、ないんです!

ということは、どういうことかと言うと、現在、葬式とかになると、どこかの坊主が、金をもらってお経(きょう)を、あげにやってきますが、あれは、仏教でもなんでもない!!単なる金儲(かねもう)けのゲテモノ宗教だということです。

あんなものが、仏教だと思われたら、釈尊が、あまりにも、かわいそうです。

ようするに、金もうけのために、釈尊の仏教を、利用しているに、すぎません!!
昔の権力者たちが、庶民を隷属化(れしぞくか)するために、葬式と仏教を利用して、今のような儀式(ぎしき)を、つくってしまったに過(す)ぎません。

まあ、儀式があるから、体裁(ていさい)がつくこともあるかもしれませんが、まだ、それだけなら良いのですが、それらの葬式仏教にしろ、観光仏教にしろ、また、神社信仰にしても、それらは、あきらかに間違った宗教だと、いうことです。

それは、ちょっとまともに考えただけでも、わかりますし、また、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、完全に間違った悪(あ)しき宗教であることが、わかります。

それが、間違った宗教だというだけで、済(す)めば良いのですが、間違った宗教というものは、必ず間違った結果を、生み出すんです。原因と結果の法則から、考えれば、それは当然のことです。

すなわち、間違った宗教に祈ったり、供養(くよう)したりしたら、自分は、かりに良いことだと思ってやっていたとしても、必ず不幸という結果が、返(かえ)ってくると、いうことです。

人は、宗教にたいして、あまりにも無頓着(むとんちゃく)ですが、実は、宗教というのは、人間の幸不幸を決定づける重要な部分を,しめているんです!!

ある意味、宗教というものは、とても恐(こわ)いんです!
そのことを、人は、どうしても、わかろうとしない!!

人に降(ふ)り掛(か)かってくる、さまざまな不幸。その不幸の根源には、かならず間違った宗教があるんです!

宗教というのは、かならず、自分の生命に影響を与え、自分の人生に大きな影響を、与えてしまうんです!!

だから、間違った宗教に祈りをささげたり、供養(くよう)をしては、いけない!!と言っているんです。それは、間違った結果、すなわち、なんらかの不幸が、必ず自分の生命と人生に、返ってきてしまうということです。

その重要性に、人は、早く、早く、気づくべきです・・・!

では、その間違った宗教による悪しき影響を、断(た)ち切るためには、どうしたらいいのか?

それは、正しき、人々を現実に幸せにしきることのできる宗教に、つくしかありません。
それ以外に、間違った悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、断ち切る方法は、ありません!!

その間違った悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、断ち切る真実の宗教が、実は、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです!!

この正しき真実の仏法である、南無妙法蓮華経の仏法は、太陽のようなものなんです!太陽が昇(のぼ)れば、どんな影(かげ)も消え失(う)せてしまう。
すなわち、南無妙法蓮華経の仏法という幸せの太陽が、昇(のぼ)ったならば、どんな不幸の影も、消え失せてしまうということです。

それだけのスゴイ力(ちから)が、創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法には、あるんです!
南無妙法蓮華経の仏法は、幸せを生み出す最大最強の力(ちから)であり、法則なんです。
だから、かりにどんな悩みや苦難があったとしていも、この南無妙法蓮華経の仏法によって、悩みや問題を解決し、努力しだいでは夢や希望も、かなえていけるんです!!

それが、創価学会が実践する、どんな不幸の影も消し去ってしまう、幸せの太陽のような、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・・!


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希望列車088

2010-01-02 17:08:46 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『誰(だれ)かに愚痴(ぐち)をこぼしても、何も生まれない。
題目(南無妙法蓮華経)を唱(とな)えて、ご本尊(ほんぞん)に悩みを訴(うった)えれば、勇気と智慧(ちえ)と力(ちから)が湧(わ)いてくる。智慧(ちえ)が光る。諸天善神(しょてんぜんじん)が、厳然(げんぜん)と、あらわれる。』

ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自身の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊です。

また、諸天善神(しょてんぜんじん)とは、創価学会の南無妙法蓮華経を仏法を、実践していると、自分の夢や希望、祈りを、かなえることを、バックアップし助けてくれるような存在が、自分の人生に、現(あらわ)れてきます。こういう自分の祈りが、かなうためにどうしても必要な存在が、現実にあらわれてきたりする、その存在を諸天善神(しょてんぜんじん)と、いいます。
また、そのような、あらゆる現象(げんしょう)を、諸天善神と、とらえることも、できます。


よく人が言うように、本当の祈りというものは、弱いものが、おすがりするものでは、ない。本当の祈りというものは、強くないと、できないんです!そして、その祈りは、勇気と智慧(ちえ)と、強い強い生命の力(ちから)となって、自分の中から、わき上がってくるんです!そして、それと同時に、自分の夢や希望をかなえるために、どうしても必要な、自分をバックアップし助けてくれるような存在も、自分の人生に、現(あらわ)れてくる。それが、力(ちから)ある、本当の祈りなんです。

だから、その強い祈りによって、内面的にも、外面的にも、自分の夢や希望を、かなえる、あらゆるものが、わき上がってくるのが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、祈りなんです!

だから、よく人が言う、宗教なんて、弱いものがするものだというのは、おかど違(ちが)いで、強いから、祈ることが、できるんです!よく、創価学会を、バカにする人のような言い方を、させてもらえれば、『弱いから、祈れないんです!』自分の生命の中にある、『信じることのできない弱さ』、『祈ることのできない弱さ』が、その人に大きな悩みや不幸として、のしかかっている!と言うことが、できます。(だからと言って、間違ったものに祈ってはいけない。間違ったものに祈れは、どんなに強く祈っても、間違ったものに祈っているので、どんどん、不幸になっていくからです。だから、正しい対象に祈るというこが、とても大切になってゆき、創価学会の存在が、とても重要になっていきます。)

創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法は、その信じることのできない弱さ、祈ることのできない弱さを、打ち破り、ご本尊に、真剣に、南無妙法蓮華経を、となえて祈ることによって、自分の弱さを打ち破り、勇気や智慧(ちえ)、挑戦しゆく強い強い生命力を、わきあがらせて、人生を勝利し、幸せになっていけるんです。

そして、その強い祈りは、自分の周りや環境、世界をも動かし、自分の希望や祈りをかなえるために必要な諸天善神とも言える存在も、あらわれてくるんです。

祈ることほど、強いことはないんです。祈ることほど価値があり、あらゆるものを、生み出していけるものは、ないんです!

それが、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経を、となえて祈る』ということなんです。


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