希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車082

2009-12-13 23:21:25 | 日記
創価学会二代会長の戸田城聖先生が、
『創価の師弟(してい)に一生を賭(か)けてごらん。後悔(こうかい)は絶対にない。勝利の笑顔で、この人生を必ず飾(かざ)っていけるよ。』

と、言っています。

戸田先生を、少しでも知っている人だったら、この言葉が、どれだけ重く、どれだけの真実が、こもっているかが、わかると思う・・・。

創価学会の初代会長は、牧口常三郎先生、二代会長が、戸田城聖先生、そして三代会長が、池田大作先生です。牧口先生と戸田先生、戸田先生と池田先生が、この創価の師弟に一生を賭(か)けてきたから、今の世界が賞賛(しょうさん)してやまない、人材が続々と出てくるような素晴らしい創価学会が、できあがっている。

師弟とは、何だろうか?
一般的に、師弟というと、芸や技術をきわめるような場合でないと、なかなか存在しないように思われる。だから、世間一般的には、師弟を意識して生きているということは、あまり無いように思われる。

たしかに、なにかの道を、きわめようとした場合、師匠(ししょう)と呼べる存在は、大切だと思う。師匠は、道を示(しめ)し、道を開いてくれるような人だと思う。

だから、師匠が大切なのは、わかる。

けれど、世間一般的に、人々は、あまり、この師匠ということを、意識することなく、師弟という関係が、あいまいで、あまり関係ないような世の中になっているのかもしれない・・・。

けれど、世界でも、一流とされている人々は、必ず自分の師匠と呼べる人を、持っている。・・ということは、やはり、師匠は、人間にとって、とても大切で重要なものなんだと思う。

おそらく、師弟というものは、人間性の結晶(けっしょう)のようなものなんだと思う。だから師匠を持ち、師弟を、貫(つらぬ)いていくと、その人の人間性が鍛(きた)えられ、輝(かがや)いていき、その人の人間性が、開花していくんだと思う。

師弟が人間性の結晶(けっしょう)であるならば、その師弟を貫(つらぬ)くことは、自分の人間性そのものを、貫(つらぬ)くことになっていくんだと、思う。すなわち、それは、人間としての最高の勝利、最高の充実(じゅうじつ)、最高の幸せを、つかむことになっていく。

それが、師弟なんだと思う。

では、創価の師弟とは、何だろうか?

創価学会は、『仏法(ぶっぽう)』という世界最高の人間哲学(てつがく)、生命哲学、あるいは最高の勝利の哲学であり幸せの哲学を、実践している団体です。

その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、必ず、人々に勝利と幸せをもたらす、無限にして最大の法則であり力(ちから)だとも言えます。

だから、その『創価の師弟』は、その人々に必ず勝利と幸せを、もたらす、無限にしてい最大の法則であり力(ちから)を、貫(つらぬ)くことになっていきます。

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、世界最高の人間哲学(てつがく)であり生命哲学であり、また、世界最高の勝利と幸せの哲学なんだから、それを、貫(つらぬ)こうとする師弟は、当然、世界最高の勝利と幸せを、つかむことになっていきます。

それが、創価学会の師弟なんだと思う。

前に、創価学会の先輩が、仏法とは何ですか?という質問に対して、「仏法とは、ひとことで言うと、『師弟』だ」と言っていた。

その時は、よくわからなかったけれど、今思うと確かに 、そうなんだと思う。

師弟とは『人間性の結晶(けっしょう)』
そして、その中でも創価学会の師弟は、最高無二(さいこうむに)とも言える、最高最大の勝利と幸せを、もたらす『師弟』なんだと思う。

だから、戸田先生は、言った!

『創価の師弟(してい)に一生を賭(か)けてごらん。後悔(こうかい)は絶対にない。勝利の笑顔で、この人生を必ず飾(かざ)っていけるよ。』

・・・と!!


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希望列車081

2009-12-10 13:48:50 | 日記
うちの会社で、忙しくて人が足りなくなったので、社員を募集することになった。それで一週間、応募の方が、何人も来て、面接だけでも、会社が、ごったがえしていました。

そんな中、応募の後半になって、ある入社希望の方から電話があった。その方が言うには、「応募の方は、たくさん来ているでしょうか?あんまり、競争率が高いと、行っても無駄(むだ)だと思うので・・・」という話しだった。当然、こちら側(がわ)としては、応募の方は、たくさん来ているのでと、お断(ことわ)りしました。

だれでも、わかると思いますが、このような姿勢(しせい)で、今の大変な時期、たくさんの応募の中から、入社を勝ち取ることは、難(むずか)しいと思う。

なぜなら、最初から、心が負けているのだから。

不思議だけれど、人というのは、「希望がある!」と思えば、希望が出てくるし、「希望がない!」と思えば、希望は、なくなっていく。

希望がゼロだったら、そこから希望が生まれることは、ない!未来は、真っ暗闇(まっくらやみ)、けれど、たとえ、ほんのわずかでも、希望があるのだったら、その希望の方向に、突(つ)き進んでいけば、希望は、無限に大きくなっていく可能性を、秘(ひ)めている。

それが、人間の心と希望のシステムだと思う。

希望は、自分の心の中からしか、生まれない。
だから、自分の心で、希望を生み出し、その希望に向かって、行動し、生きていかないかぎり、希望は、大きくはならないし、かなってはいかない。

だから、心が、何よりも、大切になってくる。

実は、その自分の心の中から、希望を、泉(いずみ)のように、無限に湧(わ)き上がらせていける方法が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

どんな時でも、希望を、見いだしていける!決して、行き詰(づ)まりがないのが、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)なんです。

心に希望は、大切だ!。心の持ち方が大切だ!と、いくら口で言ってみても、現実の荒波(あらなみ)のなか、さまざまな障害(しょうがい)によって、自分自身が,傷(きず)ついてしまったりして、なかなか、希望を見いだせない場合もあるかもしれない。また、あまりの人生の過酷(かこく)さに、自暴自棄(じぼうじき)になってしまう場合も、あるかもしれない。

けれど、たとえ、どんな状況(じょうきょう)の人であろうとも、ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊です)・・・そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の中から、希望が、ふつふつと、湧(わ)き上がってくるんです!そして、自分の中に生命力が、みなぎってきて、どんな困難な状況にあろうとも、それを乗り越え、打ち勝っていけるようになっていくんです!

南無妙法蓮華経は、希望の法なんです!

昔は、創価学会は、貧乏人と病人の集まりと、言われてきました。
ようすにも、みんな、普通だったら、とても希望など見つからない困難な状況にあったはずです。その人たちが、この創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、希望を燃やし、輝(かがや)いて、ことごとく、貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、病人は、病気を克服(こくふく)していき、健康になっていった。

そして、現在の、人材が続々と出てくるような、世界が認める素晴らしい創価学会に発展していった。

この結果を見れば、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どけだけ素晴らしい法則であり哲学(てつがく)であり、大きな力(ちから)ある宗教であるかが、一目瞭然(いちもくりょうぜん)です。

だから、たとえ、どんな状況の人であっても、かならず、無限の希望を、湧(わ)き上がらせていける、希望の源泉(げんせん)と言えるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!!


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希望列車080

2009-12-07 16:15:07 | 日記
イギリスの桂冠詩人(けいかんしじん)のワーズワースが、言っています。
『われわれは、今日を新しく、年の初めと定(さだ)めよう!』

新年になると、なぜだか、年が、改(あらた)まるので、新鮮(しんせん)な気持ちになる。「今年こそ!」とか「今年は!」とか、新しい決意を立てたり、抱負(ほうふ)を、持つことも多いと思う。

新しいということは、新鮮(しんせん)なものだし、気持ちが良いものだと思う。なぜだか新年になると、清々(すがすが)しいような気持ちになることも、ある。また、新(あら)たに、がんばろう!という気持ちになることも、ある。

それは、良いことであり、素晴らしいことであり、確かに気持ちを新(あら)たにしたほうが、自分にとっても、自分の人生にとっても、良いことだし、プラスになる。

では、毎日、新年のような清々(すがすが)しい前向きな希望に満(み)ちた姿勢と心で、生きることができたら、どうだろうか?

そうなったら、自分の人生が、大きく開けていく!と思わないだろうか?そうなったら、自分の人生が、どれだけ、輝(かがや)かしく、素晴らしいものになる!と思わないだろうか?

それを、現実の上で、確実に可能にするのが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです!

南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命は、瞬間瞬間(しゅんかんしゅんかん)、一新(いっしん)されていくんです!南無妙法蓮華経は、今と未来を創(つく)る、大きな力(ちから)であり、無限の力なんです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえると、その今を出発点として、未来を創(つく)る、希望と勇気と、強い強い生命力が、湧(わ)き上がってくるんです!

瞬間瞬間、新しい心(こころ)で、未来を創(つく)っていける!それが、『南無妙法蓮華経』なんです!

だから、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経を、となえることによって、毎日毎日を、年の初めのように、清々(すがすが)しく、生き生きした気持ちで、挑戦していける!

そして、やがて、それは、自分の悩みを解決したり、夢や希望を、かなえる結果となっていき、人生に、勝利と幸せを、つかむことになっていきます。


それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです!!


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希望列車079

2009-12-03 14:16:01 | 日記
人から聞いた話しですが、人は、「はあーーーっ」と 、ため息をつくたびに、細胞(さいぼう)が、何万個も死滅(しめつ)するそうです・・・。

ちょっとしたマイナスの仕草(しぐさ)が、人間の細胞(さいぼう)にまで、影響(えいきょう)してしまう。

人間という生き物が、いかに『こころ』と密接(みっせつ)に、かかわっているかが、よくわかると思う。

人間の生命というのは、『こころ』に大きく左右されるということだと思う。

“アメリカの良心”と言われたノーマン・カズンズ博士が、笑いや希望は、病気を回復する大きな力(ちから)になると言っていました。『希望』『喜び』『生きる意欲』などの前向きな感情が、人体の『治(なお)す力』を高めていくということです。

人間の生命というものは、やはり、『こころ』と直結(ちょっけつ)していて、心が自分の生命に与える力(ちから)は、大きく、心の重要性が、どれだけ大きいか!ということだと思う。

創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法では、『南無妙法蓮華経は、歓喜(かんき)の中の大歓喜』だと言います。
また、『南無妙法蓮華経は、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』とも言い、南無妙法蓮華経を、となえることによって、生命が蘇生(そせい)していく!と言います。

実際、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の生命が、歓喜してきます。そして、実際に自分の生命が、なぜだか元気になってきます。それは、やっぱり、『生命が蘇生(そせい)している』ということなんだと思います。

これは、ノーマン・カズンズ博士の言っていることと、一致(いっち)します。
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、生命が歓喜してくる。そして、自分の中から、希望が、わきあがってきて、勇気がでてきて、楽しく朗(ほが)らかになってきます。
そして、それは、ノーマン・カズンズ博士が言うように、自分の人体、生命の『治(なお)す力』となって、その人の生命を蘇生させていく。

だから、病気などの時、真剣に南無妙法蓮華経を、となえ続けた結果として、病気が治(なお)ったり、病気の治療(ちりょう)が、スムーズに短時間で、すんだり、大変な手術が、大成功したりということも、多々あります。

南無妙法蓮華経の力は、無限大だし、それだけではないけれど、やはり、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命を歓喜させ、元気にし、そして希望や勇気を、わきあがらせ、人生を前向きに挑戦していけるということは、南無妙法蓮華経の力(ちから)の大きな一つだと思う。

人間の生命は、『こころ』と密接(みっせつ)な関係を、もっている。だから、その『こころ』を、希望の方向へ、喜びの方向へ、勇気の方向へ、そして勝利と幸せの方向へ、大きく変えていければ、自分の身体や生命も、蘇生(そせい)し、元気になっていくわけです。

その、『こころ』を、あらゆる面において、希望の方向へ、喜びの方向へ、勇気の方向へ、幸せの方向へ、大きく変えていく力が、南無妙法蓮華経には、あるんです。
だから、生命が、蘇生(そせい)していくんです!!

それが、創価学会が実践している、生命を歓喜させ、蘇生させる、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・!


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希望列車078

2009-12-01 00:10:03 | 日記
池田先生が、創価学会が信じ、祈っている『ご本尊』について、『ご本尊は、自分自身の生命そのものである。だから、ご本尊を信じることは、自分の生命の力を信じることと、同じ!』と、言っています。

『ご本尊』は、自分の生命そのもの・・・。いったい、それのどこが?いいんだ?と思うかもしれませんが、メチャクチャ良いです!!!。

また、『ご本尊を信じることは、自分の生命の力(ちから)を信じるのと同じ』というのなら、べつに、ご本尊を信じなくても、自分の生命の力を信じていれば、いいではないか?と言うかもしれない。

けれど、はたして、それほど自分の生命の力を、信じられるだろうか?生命の力は、計り知れない。どんな大きな力が秘(ひ)められているかもわからない。その自分の中にある無限大の生命の力を、ほんとうに、ただ、「自分を信じればいいじゃないか」と言って、信じることができるだろうか?

ぼくが思うに、おそらくは、そこまでは、信じられないと思う。また、困難(こんなん)に、ぶつかったり、障害(しょうがい)があるたびに、あきらめたり、自信を失(うしな)うことも、あるかもしれない。

そんな時、ほんとうに?自分の中にある無限大の生命の力を、信じられるだろうか?また、そんな時、ただ単(たん)に、「自分を信じる」と言って、自分の中にある生命の力を、引き出していくことが、できるだろうか?

それが、できるかどうかには、大きな疑問が残る。さまざまな困難や障害によって、自信を失っている時である。・・・そんな時、本当に自分の中にある無限大の生命の力を、信じられるだろうか??

けれど、『ご本尊』という信じる対象があると、話しは、大きく変わってくる!

ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわした本尊ですが、・・このご本尊があると、考え方は、飛躍的(ひやくてき)に変わってくる。

ご本尊は、池田先生が言うように、『自分自身の生命そのもの』を、あらわしたものです。
しかも、その自分自身というのは、無限の可能性を秘めた、また、あらゆる困難を乗り越(こ)え、夢や希望を、かなえていける、また最高の人間性を秘めた、『無限の希望としての自分自身』を、あらわしています。

だから、その『ご本尊』を信じるということは、『自分自信の無限の希望と可能性』を信じることになっていきます。

人間の可能性は、計り知れないし、わからない。
その、わからない、はかり知れない、未知(みち)の部分まで、ふくめた無限の可能性を秘めた自分自身。その宇宙大の可能性を秘めた自分自身を、信じることが、『ご本尊を、信じる』ことになってくるんです。

これだけの可能性を信じるということは、ただ単に口で、「自分を信じる」と言っているだけでは、とうてい、できることではありません。

だから、ご本尊が、必要なんです。だから、ご本尊を信じると、大きな希望、大きな可能性、大きな人間性を、開花させていくことが、できるんです!

これは、ただ単なる理屈ではなくて、『ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていく』ことによって、自分の中の無限の希望と可能性が、自分の人生の中で、現実に、結果として、必ず、花開いていくと、いうことなんです。

だから、世界中の創価学会の人々が、悩みや問題を解決でき、夢や希望を、かなえ、勝利と幸せを、つかむこてが、できているんです・・・!


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