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希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車335

2016-07-19 21:29:36 | 日記
幸せについて考える時、いろいろな基準(きじゅん)や考え方は違(ちが)うと思うけれど、ぼくが思うに、意識する、しないは別にして、幸せになる人というのは、基本的に、本気で幸せになろうとしているのではないか?・・と思う。

幸せになる人というのは、本気で幸せになろうとしているから、幸せになる・・・。

そういう考え方にも、一理(いちり)あるのではないか・・と思う。

ところが、幸せにならない人というのは、確かに幸せにはなりたいけれど、「自分なんか幸せにはなれないのではないか・・」とか、ああだ、こうだ、と余計(よけい)なことを考えて、実は、ほんとうに幸せになろうとは思っていない場合もあるのではないだろうか・・。

ほんとうに幸せになろうと思っていないのだから、結果として、本当に幸せになるはずがない・・・。

そう、言えると思います。

だれでも幸せになりたいけれど、環境(かんきょう)や周りの人々、世間(せけん)のことばかり気にかけて、自分の境遇(きょうぐう)や世の中のせいにして、幸せにならない理由を並(なら)べ立てる。

そこに盲点(もうてん)があるのかもしれない。

幸せになる、ならないは、実は、自分の外にあるものによって決まるのではなく、自分の中にあるものによって決まる。
幸せになるか、ならないかという責任(せきにん)は、自分の外にあるのではなく、『自分の中』にある。

そう言えるかもしれない。


問題は、自分の中にあり、自分の中にある「なにか」を、幸せにしていかなかったら、幸せになるはずがない・・。


自分は本当に幸せになろうとしているのだろうか?
実は、幸せになろうとしていないのではないか?


そこに問題があるのかもしれない。


では、『本当に幸せになろうとする』とは、どういうことだろうか・・?
『本当に幸せになろうとする』といったって、漠然(ばくぜん)としていて、よくわからない。
意味がわからない・・・。

だから、漫然(まんぜん)と生きるしかなくなっていくのかもしれない。

その、『本当に幸せになろうとする』ということ。
自分の生命自体を、『本当に幸せにしよう!とする』ということが、実(じつ)は、創価学会(そうかがっかい)の人たちが実践している、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえる!』と、いうことなんです。

『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしようとする!ということなんです。
また、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経』だとも言えます。

南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまうことなんだから、その結果として、幸せにならないわけがないんです。だから、幸せになっていける。現実に、悩みや問題を解決して、夢や希望を、かなえていける。

自分の生命自体を、そういうふうにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということだと思います。

だから、創価学会の人たちが、幸せにならないわけがなく、現実に悩みを解決し、夢や希望をかなえて、世界中の人々が幸せを勝ち取っています。


南無妙法蓮華経の力と可能性は、計り知れないから、一概(いちがい)には言えないけれど、南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命の中から、本当に幸せになろうとする力を呼び覚(さ)ます。本当に幸せになっていく生命の力を無限に湧(わ)き上がらせ、輝(かがや)かせていく。

その結果として、悩みを解決できたり、生命を蘇生(そせい)させて病気を克服(こくふく)できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく。

それが『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことではないかと思う。


南無妙法蓮華経をとなえることがスゴイと言っても、いまいち、ピンとこないかもしれないけれど、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、詩の中で、こういうことを言っています。


「だれもが、宇宙の無限(むげん)の力を秘(ひ)めた「小宇宙(しょううちゅう)」である。
だから、あの「太陽」も自分の中にある。
自分の中に輝(かがや)く「銀河(ぎんが)」もある。
星々(ほしぼし)をわたりゆく無数の光が、この胸(むね)の中にある。
「内(うち)なる宇宙」も無限である。
だから、私は言っておきたい。
どんな悩みがあっても、
君は負けるな!
どんな障害(しょうがい)があっても、
夢をあきらめるな!
自分の中に「太陽」を輝かせて生き抜(ぬ)こう!」


ぼくが思うに、南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、こういうことだと思う。
南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、自分の中の内なる宇宙を、無限に輝かせ、どんな悩みも、どんな障害も乗り越えて、夢や希望をかなえ、幸せを勝ち取っていくことだと思う。
また、それができる!のが、南無妙法蓮華経をとなえる生き方だと思う。

だから、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう究極(きゅうきょく)の行動であり、それゆえに、必ず幸せになっていける・・!


それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・。

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希望列車334

2016-01-11 23:13:54 | 日記

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『御本尊(ごほんぞん)は、なぜ大切なのか ------ 。

それは、御本尊への「信」によって、私どもの胸中(きょうちゅう)の本尊、仏界(ぶっかい)を開けるからです。

この「御本尊」は、自身の「信心」のなかにこそある、と大聖人(日蓮大聖人)は仰(おお)せです。

妙法(南無妙法蓮華経のこと)の当体(とうたい)である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法を顕(あらわ)すためにこそ、御本尊が、こよなく大切なのです。』

ちなみに「ご本尊」とは、創価学会の人たちが南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえて祈る対象で、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そのご本尊がなぜ、大切かというと、自分たちの胸中(きょうちゅう)の本尊、自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くためだという。

自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くといっても、わからないと思いますが、自分の中にある幸せを開く力、無限の力、計(はか)り知れない無限の可能性を開いていく!ということです。

その幸せを開く無限の力が、『ご本尊』にはある!!ということです。

そして、それは自分の中にあるのだけれど、その無限の力をどうして開花していっていいかわからない。具体性がない。

その具体性がない自分の中にある無限の力を、形として顕現(けんげん)したものが、御本尊だということです。

そして、御本尊を信じ、南無妙法蓮華経をとなえて真剣に祈っていくとき、その自分の中にある、無限の力、幸せになっていける力、智慧(ちえ)や希望、勇気が、まさに自分の中から湧(わ)き上がってくるということです。

だから、創価学会の「ご本尊」は、おすがりするのとは違(ちが)う。
また、棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことを期待するものとも違う。

根本は自分自身なんです。

その根本の自分自身に挑戦するために、「ご本尊」はある。

その根本の自分自身に対して、どんなことがあっても絶対にあきらめず、負けないで、自分の可能性、智慧(ちえ)、希望をどこまでもどこまでも開花していくために、ご本尊はある!!

また、自分では思いもよらない可能性、力、運やチャンス、それらあらゆるものを引き出していけるのが、創価学会が、南無妙法蓮華経をとなえている「ご本尊」だと言えます。



人間には無限の力がある。
だれでも幸せになっていける力がある。
だれでも、困難(こんなん)や悩みを乗り越え、勝利していける力がある。

確かにそれは、あるんだけれど、ややもすると人は、そうは思えなくなっていく。

さまざまな状況(じょうきょう)や悩み、困難に押(お)しつぶされ、自分が幸せになれるとは思えなくなってしまうことが多々(たた)ある。まして、自分の中に、無限の可能性、言い換(か)えれば、「無限の宝(たから)」があるとは、なかなか思えない場合もある。そして、時に流され、人生に流され、一生を終わってしまう。

そういうことも、確かに、多々あると思う。

それを打ち破ることが、どれだけ困難か・・・。
その自分の中の闇(やみ)を打ち破ることが、どけだけ大変なことか・・・。
また、それができないから、多くに人が自分が希望する人生を送れず、不幸に沈(しず)んでいってしまう・・・。

その闇(やみ)、絶望、苦しみ、悩みや困難を、根底から打ち破るために、『ご本尊』はある!
また、それができるのが、創価学会が信じ、祈っている「ご本尊」です。


ご本尊は、自分の中にある、「幸せになる力」を現実に引き出す!!
絶望を消し去り、希望を生み出す!!
本来、人間は幸せになるために生きている。
そして、その幸せになるために無限の力を引き出し、困難を乗り越え、勝利していける。

その本来、人間がもっている、幸せになる力を無限に引き出し、悩みを乗り越え、夢や希望をかなえて勝利していけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、創価学会が信じ祈っている『ご本尊』だと、いうことです・・!

 


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希望列車333

2015-09-27 21:33:22 | 日記
以前、聖教(せいきょう)新聞に池田先生(創価学会インターナショナル会長)が掲載(けいさい)てしてくれている「新・人間革命」に、兄が若くして他界(たかい)したある女性の話しが、のっていました。

彼女の兄は、母に語っていた。

「人生って、なんて不公平(ふこうへい)なんだろう。若くして死ぬなら、生まれてこない方がよかった。でも、そこにも、何か深い意味があるのかもしれない。それを教えてくれる、人生をよりよく生きるための、正しい宗教があるように思う。それを探してほしい・・。」

そして、彼女は、創価学会の会合に参加する機会(きかい)にめぐまれ、そこで、兄のことを語り、質問している。

「兄の言うように、正しい宗教が本当にあるのでしょうか。私には、人生も社会も不公平(ふこうへい)だし、正直者が損(そん)をするのが、この世であるとしか思えません。」

それに対して、池田先生は、答えている。

「そうですか。お兄さんは、最後まで、この日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の正法(しょうほう)を探し求めていたんですよ。ご冥福(めいふく)を祈ってあげてください。南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とお題目(だいもく)をとなえれば、全宇宙に、その力は波動(はど う)していきます。」

「あなたも、ご苦労されたんですね。しかし、人間は、幸福になるために生まれてきたんですよ。仏法(ぶっぽう)によって、必ず幸せになれるんです。あきらめてはいけません。」

「一緒に信心なさいませんか。人生には、幸福になるための軌道(きどう)があるんです。それが大聖人の仏法です。正しい人生の軌道に乗ったうえでの苦労は、すべて実(み)を結(むす)びます。しかし、根本の軌道が誤(あやま)っていれば、苦労も実(みの)りません。穴(あな)が開いた容器(ようき)で水を汲(く)もうと思って奮闘(ふんとう)しても、水が汲めないのと同じです。」


人生には、幸福になるための軌道(きどう)がある・・。
そして、その正しい軌道に乗ったうえでの苦労は、すべて実を結ぶ・・!

その幸福になるための軌道が、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

自分の人生が、うまくいかない・・。
また、悩みや苦しみだらけである。
また、どうせ俺の人生なんか・・と、あきらめてしまう場合もあるかもしれない。

それらは、すべて、自分の人生が、幸福の軌道に乗っていないことの証明(しょうめい)だとも言えると思います。

では、なぜ?、自分の人生は幸福の軌道に乗っていないのか・・?

それは、その人が、間違った思想、間違(まちが)った宗教の上に、生きているからだと表現できます。
そしてその、間違った宗教が、日本にはびこっている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などです。

その間違った宗教の影響(えいきょう)のもとで、生きているとすると、その間違った当然(とうぜん)の結果として、自分の人生も、間違ったものになっていく。

自分の人生が間違ったものになっていったなら、悩みが解決しない。苦悩が絶(た)えない。不幸だらけの人生になっていく。

その根底(こんてい)の原因(げんいん)が、葬式仏教や観光宗教、神社信仰などの間違った宗教だと言えます。また、自分は、そんな宗教などにかかわってはいないと言うのならば、自分の過去世(過去に生きていた時代)に、間違った宗教にかかわってきたために、さまざなな悩み、苦しみをもって生まれてきてしまったと、とらえることもできます。

ともかく、悩みが絶えない。
苦しみだらけだ。
自分の人生は、幸せではない!と思っているとしたら、それは自分が、幸福になるための軌道に乗っていないと、考えるべきです。

では、どうしたらいいか・・?

当然(とうぜん)、正しい軌道、幸福になるための軌道に乗るしかない。

その決定的で、唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。

これしかありません。

小手先(こてさき)で、ああだ、こうだとやってみたところで、無理です。何かの宣伝文句に誘(さそ)われ、どんなにお金を使ったところで、無理です。

自分の人生を、自分の生命を、本当に、正しい軌道、幸せの軌道に乗せる方法は、この、創価学会の、『南無妙法蓮華経の仏法』しかありません。

これだけは、言えます。

だれでも、始めは半信半疑(はんしんはんぎ)かもしれない。

けれど、それでも、勇気をもって、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰をやってみたとき、確かに、幸せに変わる。確信が生まれる。そして、真剣にやっていくことによって、悩みや問題を解決し、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

だから、世界192カ国に、創価学会は広がり、世界中の人々を現実に幸せにしている。


今日、話しをした女性の、亡くなった兄は、言っていた。

「人生をよりよく生きるための、正しい宗教があるように思う。それを探してほしい・・。」

そして、それは現実に存在する。

そして、それが、人生を勝利していくために、幸福の軌道に乗っていく道です。
幸福の軌道をつかむ道です。

そして、それが、宿命(しゅくめい)も悩みも乗り越(こ)えていける、夢や希望をかなえていける、幸せと勝利をつかんでいける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・!


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希望列車332

2015-09-09 12:41:41 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『ともあれ、これからも、我らの世界広布(せかいこうふ)の前進は、決して止まらない。

なぜか?

それは、幸福を求め、平和を願う友が待(ま)っているからです。
仏法(ぶっぽう)の生命尊厳(そんげん)の哲理(てつり)を、世界の民衆が渇仰(かつごう)してやまないからです。』

ちなみに、世界広布(せかいこうふ)とは、創価学会(そうかがっかい)が実践している、仏法(ぶっぽう)の哲学(てつがく)と思想を基調(きちょう)にして、世界に平和と幸福をもたらしていくことを言います。


創価学会が実践(じっせん)していることは、なにか特別なことではない。一部の人だけに必要となるものでもない。

すべての人が求め、欲(ほ)しているもの・・!!

それが、創価学会の『仏法(ぶっぽう)』です。

池田先生が言うように、世界には、幸福を求め、平和を願う友が待っている。

その、世界の民衆が渇仰(かつごう)してやまない、生命尊厳(そんげん)の哲理(てつり)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法の哲学(てつがく)だということです。

だから、創価学会は広がり続ける。

疑(うたが)いや偏見(へんけん)があったとしても、すべての人は平和と幸せを求めている。

ゆえに、最終的には、疑いや偏見を乗り越(こ)え、この創価学会の仏法の哲理(てつり)にたどり着く・・!

それは、だれでも、幸せを求めているからです。平和を求めているからです。
その明確な哲学(てつがく)、人生を幸せにしていくエネルギー、力(ちから)が、創価学会の仏法(ぶっぽう)には、確実にある!!ということです。


だれでも、夢があり、希望がある。

また、だれでも、さまざまな現実の悩みがある。

その夢や希望、現実の悩みに対して、いったい、どうしたらいいのか?

だれでも、夢や希望の実現や、悩みの解決に向かって、一生懸命(いっしょうけんめい)、努力していくと思う。

けれど、ほんとうに悩みや問題を解決できるのか・・?
ほんとうに、夢や希望をかなえていけるのか・・?
と考えた時、そこには、さまざまな問題があり障壁(しょうへき)がある。
また、どうしても越えられない宿命(しゅくめい)がある場合もある。

いったい、その宿命に対して、それを明確に打ち破(やぶ)り、解決していく方途(ほうと)があるのか・・?

世間は、それを、だれも示(しめ)していない・・。
だれも、明確な答えを出してくれない。

その宿命に泣き、不幸に落ちていった人たちが、どれだけ多いことか・・。

その宿命に対して、明確な解決方法と力(ちから)を持ち、人生を希望へ幸福へと、確実にもっていっていくことのできる哲学であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。

だから、創価学会は、世界に広がり続ける。

それは、当たり前の結果だからです。
必然(ひつぜん)の結果として、創価学会は、また一人、また一人と、広がり続ける。

それは、創価学会が、本当に、世界中の、どんな「ひとり」であろうと、その人の悩みを解決し、夢や希望をかなえる、現実的な、決定的な力であることの、証明(しょうめい)になっていると、心から思う・・・。


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希望列車331

2015-08-23 22:57:26 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『生きるということは、宿命(しゅくめい)との壮絶(そうぜつ)な格闘(かくとう)といってよい。
それに打ち勝ってこそ、幸せはある。勝つか、負けるか - - - - その避(さ)けがたき現実を直視(ちょくし)する時、信仰という生命の力の源泉(げんせん)をもち、何ものにも揺(ゆ)るがぬ人間の芯(しん)を確立する必要性を、痛感(つうかん)せざるを得(え)ない。』

信仰といっても、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教のようなものとは、まったく違う。

それらの葬式仏教や神社信仰、観光宗教が、なんの足(た)しにもならないことは、わかりきっているし、かりに、どんなに真剣にやったとしても、なんの効力(こうりょく)もないでしょう。かえって、それらの宗教は、デタラメな間違った宗教であるがゆえに、逆に、真剣にやればやるほど、その間違ったデタラメの結果として、その人に害(がい)をもたらし、その人を不幸にしてしまう・・!

それが、本当のことろです。

そうではなくて、生命の力の源泉(げんせん)をとなるもの、何ものにも揺(ゆ)るがぬ人間の芯(しん)を確立できるものが、真実の信仰であり、それが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。



人は、だれでも、おもしろおかしく生きたいと思っている。

楽しく、軽快(けいかい)に、幸せに生きたいと思っている。

また、世間は、その表面上の華(はな)やかさ、軽快さ、スマートなかっこ良さをもてはやし、宣伝(せんでん)しているようにも思う。

けれど、現実は違う。すべての人に宿命(しゅくめい)がある・・。

そして、その宿命との壮絶な戦いがある。

そして、その宿命に勝つか、負けるか。

この避(さ)けがたい現実がある。

実は、幸せとは、見た目の華やかさや、きらびやかさではなく、その宿命に勝っていけるのか?いけないのか?

ここにあるのでは、ないだろうか・・・!

宿命に勝っていけるのか?いけないのか?

ここに、幸せか、そうでないかの境目(さかいめ)があるのでは、ないだろうか!

おそらく、幸せとは、どんな宿命も、悠々(ゆうゆう)と乗り越えていける境涯(きょうがい)、また、そのどんな宿命も乗り越えていける大生命力(だいせいめいりょく)の中にあるのではないだろうか・・。

その大生命力を持ち、生ききっていくところに、本当の幸せはあるのではないだろうか。

では、その大生命力を湧(わ)き上がらせて、悠々(ゆうゆう)と生きていく、その「生命力」は、いかにして湧き上がらせ、つかんでいくことができるだろうか・・・?

その生命力を無限に湧(わ)き上がらせ、苦難を乗り越え、人生を勝っていけるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。

現実問題として、宿命を乗り越え、勝っていける方法は、この創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しかない!!ということです。


南無妙法蓮華経は歓喜(かんき)の中の大歓喜だという。

南無妙法蓮華経をとなえること以上の遊楽(ゆうらく)はない!とも言う。

それは、文字通り、南無妙法蓮華経をとなえることほど楽しいことはない!ということであり、南無妙法蓮華経をとなえることほど有意義(ゆういぎ)なこともない!ということです。

なぜならば、南無妙法蓮華経をとなえることは、宿命を打ち破り勝っていける、唯一(ゆいいつ)の方法だからです。
宿命を打ち破り勝っていける方法がこれしかない!ということは、南無妙法蓮華経をとなえることは、本当の幸せをつかむ、唯一の方法だ!ということです。

だから、これ以上楽しいこともないし、これ以上幸せなこともない。

だから、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が歓喜してくるんだと思う。

それは、自分が幸せをつかんでいる証拠(しょうこ)であり、宿命に打ち勝っている証拠だと思う。

ゆえに、悩みを乗り越え、困難を打ち破り、夢や希望をかなえて、幸せになっていける!


池田先生が言うように、生きるということは、宿命との壮絶な格闘です。
それに打ち勝ってこそ、幸せはある。

そして、その宿命に勝っていける生命の力の源泉(げんせん)、何ものにも負けない、幸せの芯(しん)を確立していけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・!


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