奈良の魅力を発信

奈良のグルメ情報や史跡・名勝・万葉集・古事記・日本書紀・昔話のゆかりの土地を紹介します
ので、よろしくです!!

奈良の昔はなし(百貝岳の大蛇)

2019-12-08 08:53:46 | 地域と文化

奈良の昔はなし~百貝岳の大蛇~

 理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)といえば、平安時代前期の名僧です。十六歳で東大寺に入り、真雅(しんが)を師として出家したのです。真雅は真言宗の祖、空海の実弟なのです。以来、三論(さんろん)、法相(ほうそう)、華厳(けごん)など南都仏教の研究に励んだのです。

その一方で、密教の修行も怠らず、金剛葛城や大峰山で厳しい修行を積み、修験道中興(しゅげんどうちゅうこう)の祖そとしても仰がれました。説話集によれば、豪放な人柄であったらしいです。

寛平(かんぴょう)七年(895年)、大師は、奈良県の中央部、豊かな自然に恵まれた吉野郡黒滝村鳥住に鳳閣寺(ほうかくじ)という真言宗の寺を建てたとされています。吉野山奥千本の山続き、百貝岳の中腹にあります。金剛葛城の連山を望む静かな地です。寺伝では、もとは修験道の祖、役行者が開いたといわれています。

そんな背景の頃のお話しです。

大峰山中の滝に大蛇が棲んでいました。人々に危害を加えるため、山で修行する修験者も少なくなり、霊場は荒れ果てていました。

そこで、大師は、奈良に住む修験者の先導者であった屈強の箱屋勘兵衛(はこやかんべえ)を連れ、山に登ったのです。そして、法螺貝(ほらがい)を吹いて祈祷すると、その音は峰々に響き渡り、まるで百の法螺貝が一度に吹かれたかのような大きな音を立てたのです。その音で、大蛇はゆっくりと姿を現しました。

大師は、大蛇を法力で縛り付けました。そして、勘兵衛が、それを斧で二つに斬り退治しました。それからは、大峰山の道も再開され、山の名も百貝岳と呼ばれるようになったのです。鳳閣寺には、今も大蛇の頭蓋骨が残されていると伝えられています。

ところで、箱屋勘兵衛が奈良から鳳閣寺の大師のもとへ通う時は、いつも大師の好物である餅(もち)や飯(いい)などを持参したのです。大師は勘兵衛のことを戯れに「餅飯殿(もちいいどの)」と呼んでいました。それから、勘兵衛の住んでいた町の名も餅飯殿と呼ばれるようになった言われています。

この珍しい名前の餅飯殿町は、興福寺など有名な神社仏閣が多い猿沢池の近くにあります。今は奈良市内有数の商店街として、多くの観光客でにぎわっています。

~昔はなしゆかりの地「鳳閣寺」~

吉野郡黒滝村の山深くにある、修験道の聖地「鳳閣寺」。役行者が開山し、修験道中興の祖といわれる「聖宝理源大師」によって道場が開かれた地です。また、百貝岳の登山ルートの途中には、聖宝を祀った「理源大師廟塔」(国重文)が存在します。南北朝時代の名石工が作った美しい塔です。

寺伝によると、678年、役行者が天皇の命により創建したとされています。895年、修験道中興の祖といわれ、京都・醍醐寺を開山した「聖宝理源大師」によって修験道が開かれました。

1700年には醍醐寺三宝院に属し、修験道当山派を支配する「諸国総袈裟頭」の寺として栄えましたが、明治維新後の1872年の「修験道廃止令」によって衰退しました。1951年より、真言宗鳳閣寺派の本山として現在にいたります。

              

 

              

 

                 

 

                 

           

 

 

VKK 多機能 電動 洗顔ブラシ フェイスブラシ 洗顔器 超音波振動洗顔 毛穴洗顔器 マッサージ器 1台4役 7段階調節 3モード調節でき 温熱ケア イオン導入 引き締め 毛穴ケア スキンケア スーパー防水(IPX7) USB充電式 軽量 男女兼用 日本語取扱説明書付き
vkk
vkk
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 住まいの情報(3) | トップ | 住まいの情報(4) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

地域と文化」カテゴリの最新記事