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日本書紀ゆかりの地を巡る(吉野郡大淀町)

2019-10-16 06:57:16 | 地域と文化

光り微笑む阿弥陀と観音「日本最古の仏像・世尊寺」

 「日本最古の仏像」の伝承が残る寺が、近鉄吉野線六田駅よりバスで「比曽口」で下車して20分くらい歩いたところにある「世尊寺」です。

 欽明天皇14年(553年)茅淳海(ちぬのうみ)(現在の大阪湾のこと)で光りか輝く樟木の流木が見つかり、天皇は仏像を作らせました。今、吉野寺にあって光りを放つ樟の仏像がこれである、と「日本書紀」に記されています。

 この吉野寺とは、聖徳太子が建立したと伝わる比曽寺(比蘇寺)のこととされ、その流れを引き継ぐのが現在の世尊寺です。本尊の阿弥陀如来坐像は、光り輝く樟の伝承から、別名「放光樟像(ほうこうしょうぞう)」と言われています。優しい微笑みをたたえた姿から「吉野路の微笑仏」とも呼ばれています。

 本堂でその隣に座すのは十一面観音立像です。推古天皇3年(595年)、淡路島に香木・沈水香(じんすいこう)が流れ着き、天皇がその香木で観音像を造らせて、吉野の比曽寺に祀った様子が「聖徳太子伝暦」などに伝わります。そこには、この像もまた「時に光を放つ」と記されています。

 「吉野詣」の古道沿いにあった比曽寺は、平安時代には、現光寺とも呼ばれ、吉野地方を代表する大寺院として栄えました。現在に伝わる現光寺縁起絵巻には、今もたたずむ仏たちや、光り輝く阿弥陀とかぐわしい観音の由来などが豊かな彩色で描かれています。

 その後、戦乱に巻き込まれましたが、その都度復興を重ね、現在は、聖徳太子お手植えの壇上桜をはじめ、四季折々の花薫る深い歴史の古刹として、人々に親しまれています。

             

 

          

 

         

 

        

 

いかだ乗りの神様「増口水分神社」

 近鉄吉野線大和上市駅から歩いて5分くらいのところに、いかだ乗りの神様とされる「増口水分神社(ましぐちすいぶんじんじゃ)」があります。

 この神社の鳥居の脇に井戸があります。この井戸は、旧伊勢街道から増口水分神社の石段の登り口にあり、古来より旅人の喉を潤してきたとされています。そのため、江戸時代の享保年間に刊行された旅行案内書「大和志」にも記載されています。

 この辺りは吉野川沿いですので、湧水が少なく昔は水に困ることがよくあったといわれていました。この井戸は、日照りにも水が枯れることがなく、住民の命を守る水だったようです。

 

        

 

 

        

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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