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奈良の昔はなし(おうてくれ地蔵)

2019-12-29 15:55:59 | 地域と文化
奈良の昔はなし~おうてくれ地蔵~
 奈良盆地のほぼ中央にあるのが、磯城郡三宅町です。地名は、古代の「屯倉(みやけ)」に由来するといいます。
屯倉とは、大和朝廷が直接に支配していた土地のことで、稲作の盛んな穀倉地帯だったのです。三宅町のすぐ東が、田原本町の唐古・鍵遺跡です。弥生時代を代表する集落がありました。昔は、この辺りでは豊かな稲田が一面広がっていたのだと思います。さて、そんなのどかな三宅町に伝わるお話しです。

昔、石見と今里という二つの村の間に、大きな池が二つありました。池のほとりを細い道が通っていたのです。
道は、両側から背の高い竹が天をおおって昼でも薄暗く、風が吹くと、「ザワザワ」と葉擦れの音がするのでした。
そんな寂しい道の傍らに、地蔵さんが立っておられたのです。
ある夜、若者がひとり、この道を提灯を持って歩いていたのです。静かな道に草履の音だけが聞こえていたのです。
竹藪の中ほどまで来た時、後ろから微かな声がしました。「おうてくれ」
若者が振り返り、提灯をかざしてみたが、何も見えないのです。「気のせいかな・狐か狸のいたずらか」と思いました。そして再び歩き出すと、また「おうてくれ」という声が。若者は気味悪くなり、足早に道を急ぎました。
すると、今度は大きな声で「おうてくれ」。怖くなった若者が走り出すと、急に背中が重くなったのです。
あの地蔵さんが、背中にのっかっているではありませんか。あまりの重さに若者は座り込んでしまったのです。提灯の灯は消え、あたりは真っ暗になったのです。
すると地蔵さんが、「これからは、日が暮れるまでに家に帰るか」と言いました。「はい。南無阿弥陀仏」。「親に心配をかけないか」「はい。南無阿弥陀仏」。
若者が必死で答えると、背中がスーッと軽くなりました。
この噂はたちまち村中に広まり、それからは、誰も夜中にこの道を通らなくなったといいます。それから地蔵さんは「おうてくれ地蔵さん」と呼ばれるようになったそうです。
地蔵さんは、今も石見新池のほとりの地蔵堂で地域の人々の篤い信仰に支えられ、大切に守られています。

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