3月10日 昼
息子と私は本郷のT大のキャンパスにいました。
合格発表の掲示板前は、満員ラッシュ並みの人人人。
定刻より30分以上も前にブラスバンドの演奏が始まり、
人のうねりが、じりじりとずらりと並んだ5ケタの数字に
向かって進みはじめました。
ほどなくはじまる歓声、悲鳴、ラグビー部による胴上げとエール
息子の背中を見失いそうになりながら、
めったに高鳴らない私の心臓も、その日ばかりはバクバク。
いろんな思いで涙ぐみそうになっていました。
まず見えるのは文1文2文3。ほんのちょっと先の
理1はなかなか届きません。
報道や取材、予備校、もろもろの受験産業と思われる
カメラが反対側に何十台と並んでいます。
やっと理系かな・・・人の頭でまだ見えない・・・
と思ったときに
先を歩いていた息子が振り返り
「ない」
と一言。
その瞬間、たぶん精一杯、普通の顔をしたと思います。
「そっか」
出かかっていた涙はあわてて引っ込めました。
余計なことを言わないように、と自戒しながら
「あ~~やっぱり駄目だったかぁ・・・」と心はフリーフォール
後期試験も×。
彼が見間違えるわけがないのに、人ごみの隙間から自分の目でも
見ようとする未練たらしい私(笑)
やっと人並みが途絶えるあたりは、十数メートル先の喧騒が
別世界のように、静かでどよよんとした空気が流れていました。
合格者は手続きなどでUターンしているのでしょう。
反対側まで来た子たちは、どの顔もやれやれ・・・といった表情。
合格者の歓喜の胴上げをぼんやり眺めながら、本人は
携帯で学校の先生や祖父母に「ダメでした~」と連絡。
そこへ、同じ学校から受けた女の子と遭遇。
その子も×。涙を流していた感じが見えました。
彼女は後期を東工大にしているので、切り替えてがんばって!!と
エールを送り別れました。
「うーーーん
彼女、理系女子で一番合格に近い子だったんだけど・・・。」
帰り道、新丸ビルの上のうなぎ屋さんで
うな重をごちそうしてやりました。
メニューを見て
「うわ、高っ!!」
と言いつつ、一番高いヤツを遠慮なく頼むヤツ(笑)。
「みんなが受かってても普通におめでとう、って言えそうだから
学校に行ってくるわ」と。
そこでまた鼻の奥がツン。
彼は学校へ、私は授業へ家路を急ぎました。
塾も予備校も一切いかず、我流をつらぬいての受験でした。
集中力だけはピカイチでしたが、勉強時間は短く、穴も一杯。
特に中途半端にできる英語が中途半端なままだったのが
私としては悔やまれました。が、それも仕方なし。
翌々日に届いた得点をみるとやっぱり惜しい。
(得点開示請求をすればT大は採点結果を教えてくれる)
「不合格判定A」
英検かっ!と突っ込む私(笑)。
惜しいグループ1~300人の間に入っているという意味らしい。
「ケアレスしても受かるくらいでないとね」
と本人のあっさりした弁。(ごもっとも!)
数点を追いかけて、浪人はしない、とのことで
息子の大学受験はあっけなく終わりました~。
--------------------------------------
3月11日・12日
翌日、大阪から父方の祖父母が飛んできましたー(笑)
「いや~~~KOに決まってよかったぁ!!
早慶戦を見たかったんや~~
浪人すると言ったらどうしようかと思ってたわ~(笑)」
とおじいちゃん。やけに明るい。
ホテルのレストランで会食のときに、その祖父が突然意識
朦朧となり、救急車を呼ぶ騒動に。
でもなぜか10分で復活(^^;
病院に行くことを固辞し、抱えるように
部屋に戻る途中でも意識が飛んでいました。
でも翌日は東京に行ったそうな
大阪で必ず病院に行ってくださいね!!としつこく言ったけれど
どうだろうなぁ・・
3月14日
友だち7人と大阪、青森の旅、9泊10日にさきほど出かけました。
大阪と青森に友だちがいる、という理由で大移動の旅(笑)
↑で彼が肩からさげている青いバック、アメリカ時代の小3のときから
使っている10年の愛用品
さすがにちょっとほころびが・・・
入学祝いはカバンにするか~(笑)
やっぱり長~~い親ばか日記、失礼しました!![m:206]
息子と私は本郷のT大のキャンパスにいました。
合格発表の掲示板前は、満員ラッシュ並みの人人人。
定刻より30分以上も前にブラスバンドの演奏が始まり、
人のうねりが、じりじりとずらりと並んだ5ケタの数字に
向かって進みはじめました。
ほどなくはじまる歓声、悲鳴、ラグビー部による胴上げとエール
息子の背中を見失いそうになりながら、
めったに高鳴らない私の心臓も、その日ばかりはバクバク。
いろんな思いで涙ぐみそうになっていました。
まず見えるのは文1文2文3。ほんのちょっと先の
理1はなかなか届きません。
報道や取材、予備校、もろもろの受験産業と思われる
カメラが反対側に何十台と並んでいます。
やっと理系かな・・・人の頭でまだ見えない・・・
と思ったときに
先を歩いていた息子が振り返り
「ない」
と一言。
その瞬間、たぶん精一杯、普通の顔をしたと思います。
「そっか」
出かかっていた涙はあわてて引っ込めました。
余計なことを言わないように、と自戒しながら
「あ~~やっぱり駄目だったかぁ・・・」と心はフリーフォール
後期試験も×。
彼が見間違えるわけがないのに、人ごみの隙間から自分の目でも
見ようとする未練たらしい私(笑)
やっと人並みが途絶えるあたりは、十数メートル先の喧騒が
別世界のように、静かでどよよんとした空気が流れていました。
合格者は手続きなどでUターンしているのでしょう。
反対側まで来た子たちは、どの顔もやれやれ・・・といった表情。
合格者の歓喜の胴上げをぼんやり眺めながら、本人は
携帯で学校の先生や祖父母に「ダメでした~」と連絡。
そこへ、同じ学校から受けた女の子と遭遇。
その子も×。涙を流していた感じが見えました。
彼女は後期を東工大にしているので、切り替えてがんばって!!と
エールを送り別れました。
「うーーーん
彼女、理系女子で一番合格に近い子だったんだけど・・・。」
帰り道、新丸ビルの上のうなぎ屋さんで
うな重をごちそうしてやりました。
メニューを見て
「うわ、高っ!!」
と言いつつ、一番高いヤツを遠慮なく頼むヤツ(笑)。
「みんなが受かってても普通におめでとう、って言えそうだから
学校に行ってくるわ」と。
そこでまた鼻の奥がツン。
彼は学校へ、私は授業へ家路を急ぎました。
塾も予備校も一切いかず、我流をつらぬいての受験でした。
集中力だけはピカイチでしたが、勉強時間は短く、穴も一杯。
特に中途半端にできる英語が中途半端なままだったのが
私としては悔やまれました。が、それも仕方なし。
翌々日に届いた得点をみるとやっぱり惜しい。
(得点開示請求をすればT大は採点結果を教えてくれる)
「不合格判定A」
英検かっ!と突っ込む私(笑)。
惜しいグループ1~300人の間に入っているという意味らしい。
「ケアレスしても受かるくらいでないとね」
と本人のあっさりした弁。(ごもっとも!)
数点を追いかけて、浪人はしない、とのことで
息子の大学受験はあっけなく終わりました~。
--------------------------------------
3月11日・12日
翌日、大阪から父方の祖父母が飛んできましたー(笑)
「いや~~~KOに決まってよかったぁ!!
早慶戦を見たかったんや~~
浪人すると言ったらどうしようかと思ってたわ~(笑)」
とおじいちゃん。やけに明るい。
ホテルのレストランで会食のときに、その祖父が突然意識
朦朧となり、救急車を呼ぶ騒動に。
でもなぜか10分で復活(^^;
病院に行くことを固辞し、抱えるように
部屋に戻る途中でも意識が飛んでいました。
でも翌日は東京に行ったそうな
大阪で必ず病院に行ってくださいね!!としつこく言ったけれど
どうだろうなぁ・・
3月14日
友だち7人と大阪、青森の旅、9泊10日にさきほど出かけました。
大阪と青森に友だちがいる、という理由で大移動の旅(笑)
↑で彼が肩からさげている青いバック、アメリカ時代の小3のときから
使っている10年の愛用品
さすがにちょっとほころびが・・・
入学祝いはカバンにするか~(笑)
やっぱり長~~い親ばか日記、失礼しました!![m:206]