けこりん日記

英語教室のレッスン、ネットでの活動、アメリカの思い出、
おすすめの本などつれづれに・・・。
(交流はミクシィでね!)

T大受験日記

2010-03-14 09:54:55 | メルマガバックナンバー
3月10日 昼


息子と私は本郷のT大のキャンパスにいました。


合格発表の掲示板前は、満員ラッシュ並みの人人人。

定刻より30分以上も前にブラスバンドの演奏が始まり、
人のうねりが、じりじりとずらりと並んだ5ケタの数字に
向かって進みはじめました。


ほどなくはじまる歓声、悲鳴、ラグビー部による胴上げとエール

息子の背中を見失いそうになりながら、
めったに高鳴らない私の心臓も、その日ばかりはバクバク

いろんな思いで涙ぐみそうになっていました。



まず見えるのは文1文2文3。ほんのちょっと先の
理1はなかなか届きません。

報道や取材、予備校、もろもろの受験産業と思われる
カメラが反対側に何十台と並んでいます。



やっと理系かな・・・人の頭でまだ見えない・・・



と思ったときに


先を歩いていた息子が振り返り







「ない」





と一言。




その瞬間、たぶん精一杯、普通の顔をしたと思います。


「そっか」



出かかっていた涙はあわてて引っ込めました

余計なことを言わないように、と自戒しながら
「あ~~やっぱり駄目だったかぁ・・・」と心はフリーフォール



後期試験も×


彼が見間違えるわけがないのに、人ごみの隙間から自分の目でも
見ようとする未練たらしい私(笑)


やっと人並みが途絶えるあたりは、十数メートル先の喧騒が
別世界のように、静かでどよよんとした空気が流れていました。


合格者は手続きなどでUターンしているのでしょう。
反対側まで来た子たちは、どの顔もやれやれ・・・といった表情。


合格者の歓喜の胴上げをぼんやり眺めながら、本人は
携帯で学校の先生や祖父母に「ダメでした~」と連絡。


そこへ、同じ学校から受けた女の子と遭遇。

その子も×。涙を流していた感じが見えました


彼女は後期を東工大にしているので、切り替えてがんばって!!と
エールを送り別れました。


「うーーーん
 彼女、理系女子で一番合格に近い子だったんだけど・・・。」


帰り道、新丸ビルの上のうなぎ屋さんで
うな重をごちそうしてやりました。


メニューを見て
「うわ、高っ!!」
と言いつつ、一番高いヤツを遠慮なく頼むヤツ(笑)。




「みんなが受かってても普通におめでとう、って言えそうだから
 学校に行ってくるわ」と。


そこでまた鼻の奥がツン。

彼は学校へ、私は授業へ家路を急ぎました。





塾も予備校も一切いかず、我流をつらぬいての受験でした。


集中力だけはピカイチでしたが、勉強時間は短く、穴も一杯。

特に中途半端にできる英語が中途半端なままだったのが
私としては悔やまれました。が、それも仕方なし。


翌々日に届いた得点をみるとやっぱり惜しい。
(得点開示請求をすればT大は採点結果を教えてくれる)

「不合格判定A」

英検かっ!と突っ込む私(笑)。

惜しいグループ1~300人の間に入っているという意味らしい。


「ケアレスしても受かるくらいでないとね」
と本人のあっさりした弁。(ごもっとも!)


数点を追いかけて、浪人はしない、とのことで
息子の大学受験はあっけなく終わりました~。


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3月11日・12日

翌日、大阪から父方の祖父母が飛んできましたー(笑)

「いや~~~KOに決まってよかったぁ!!
 早慶戦を見たかったんや~~

 浪人すると言ったらどうしようかと思ってたわ~(笑)」

とおじいちゃん。やけに明るい


ホテルのレストランで会食のときに、その祖父が突然意識
朦朧となり、救急車を呼ぶ騒動に。

でもなぜか10分で復活(^^;

病院に行くことを固辞し、抱えるように
部屋に戻る途中でも意識が飛んでいました。


でも翌日は東京に行ったそうな


大阪で必ず病院に行ってくださいね!!としつこく言ったけれど
どうだろうなぁ・・



3月14日 


友だち7人と大阪、青森の旅、9泊10日にさきほど出かけました。

 大阪と青森に友だちがいる、という理由で大移動の旅(笑)





↑で彼が肩からさげている青いバック、アメリカ時代の小3のときから
使っている10年の愛用品

さすがにちょっとほころびが・・・


入学祝いはカバンにするか~(笑)



やっぱり長~~い親ばか日記、失礼しました!![m:206]

高校卒業~心に残る先生

2010-03-07 10:49:50 | メルマガバックナンバー
息子が高校を卒業しました。

中高一貫校だったので入学は6年前。

入学したときと、今とでは同じようでいて実は
かなり変わりました。

これは何名か話したママもそういう方が多かったのですが

小学校時代って順調に育った子は無敵に自信家笑)

どこでも友だちできるし、やろうと思ったらなんだってやれる的な
明るさ、屈託のなさ、強さがあります。

うちの長男もそうでした。


ところが、中高の6年は思春期の試練があることが多い

友だちといざこざし
大人は矛盾だらけだと気付き

思い通りにならないことを経験し
自分の存在がよくわからなくなり

ちょっとずつ心にブレーキをかけることを覚え・・・
無敵の明るさがだんだんしゅーーんと・・・


それが強く出ると
反抗だったり、閉じこもりだったり


そんなときに親の次にそばにいるのは
学校の先生です(たいてい)。


その先生が、目の前の現象だけでなく

子どもの心を見てくれるか

愛のある対応をしてくれる方かどうか、は

時に大きな差を生むはずです。



見えている部分が
反抗的だったり拒絶的だったり
冴えない成績だったりしても

それで「アイツはダメだ」と心で捨ててしまったら
おのずとそれは伝わってしまうものでしょう。


特に好きだった3名の先生のことを
自分のために書いておきます。


学年主任はとーーっても若く見えるけど
私より年上だとわかり驚愕した女性のO先生(笑)。

スリムで超チャーミング。

いつもいつも「あの子たちは大丈夫」と
言い続けてきた先生です。


彼女がゆるぎなく「生徒の味方」だったから
他の先生も生徒の悪口なんて職員室でもいえなかったと
冗談混じりで他の先生が2次会でおっしゃっていました。


早口でピシっと力のあるしゃべり方も大好き。


元担任のA先生は、先生として出会ったのに、
私の人生で一番フランクにおともだちのように
しゃべることができる先生。

その構えのなさ、マメさ、柔軟な対応力は
すごいです。

2次会で
「生徒は自分を超えていく存在だと思いながら、
接している」という意味のことを
おっしゃっていました。


あの年代の子どもなんて
コノヤローなヤツがいっぱいいるはずなんですよ!(笑)

それでも子どもへの信頼とリスペクトを忘れないって
それだけでもすごいこと。



高校3年間の担任K先生の最後の言葉も
よかった。

ご自身の高校時代はサッカーに燃え
勉強のできる兄2人にコンプレックスを感じながら
受験も2浪し大学もそこそこの私大へ(本人談)

それでも今、
小さいころからなりたかった先生という仕事を
やっていることを何より誇りに思う、と。



3名とも
自分の仕事を愛し
生徒を愛し
保護者とも不必要に構えることなく
きちんとホンネでコミュニケーションを
とってくださる

こういう先生って今の学校現場では珍しいのではないかと
思います。改めて深く感謝です。


自分も私塾ではありますが、
先生業につくものとして
心に刻んでおきたいと思ったのでした