コメント欄などで白人嫌いと思われる方の発言がでてきている。
ぼくにも漠然と白人の人というイメージはある。
見かけ上、それは、日本人や中国人のような人ではなく、ベトナム人やカンボジア人のような人でもなく、また、インド人のような感じでもなく、また、またアフリカ人のような人でもない人といった程度の漠然としたイメージだ。
で、2点だけ。
1) 「白人」と言ったときそれは概念的に明確な概念かというと、そうでもない。
参考
白人(Caucasian)とは・・・スラブ系・ラテン系について
Caucasian race
2)仮に「白人」というあるグループが括れても、その人たちがそれ以外の有意義な共通な特徴をもつとは限らず、仮に、ある特徴があったとしても、そのグループのある一個人がその特徴をもっているとは限らない。
また、このグループに属する人たちの中にある特性をもった人がいたとしても、そのグループに属するすべての人がそうだとは限らない。
仮にあるクラスの女子児童の数学のテストの平均点が低ければ、そのクラスの女子児童は数学が苦手だ、と言えるにせよ、そのクラスの例えば、鈴木幸子さんが数学が苦手かどうかはわからないし、山田太郎、田中健一君の数学の成績が飛び抜けてよくても、そのクラスのすべての男子児童が数学が得意だとはかぎらない。
従って、「白人」は○○だ、と一概に断定してしまうことは、アジア人は××だ、と一概に断定してしまうのと同様な誤りを犯しやすく、また、彼・彼女はアジア人だから××だ、と一概に言えないように、彼・彼女は白人だから○○だ、ということもできない。
日本人であっても親切な人もいれば、意地悪な人もいれば、平等主義者もいれば、差別主義者もいるのと、同様、いわゆる白人であっても親切な人もいれば、意地悪な人もいれば、平等主義者もいれば、差別主義者もいる。
私は欧米人の一部に欧米優越主義を感じることがあるが、だからといってすべての欧米人が欧米優越主義者でもなく、また、欧米人に差別主義を感じることもあるが、欧米に差別主義があるからこそ、差別主義を超越しようとする運動も強い、と考える。
私が敵対するのはこの種の欧米優越主義、欧米優越主義者、あるいはそのダブルスタンダードであって、欧米人でも、白人でもない。
むしろ、いわゆる西洋思想から多くを学ばせてもらったし、また、これからもフェアーで、また、親日的な多くの欧米の人々たちーーー欧米の人だけとは限らないがーーーとの輪を拡げていくことこそ、日本の将来を考えていく上で必須だと思っている。
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見かけ上、それは、日本人や中国人のような人ではなく、ベトナム人やカンボジア人のような人でもなく、また、インド人のような感じでもなく、また、またアフリカ人のような人でもない人といった程度の漠然としたイメージだ。
で、2点だけ。
1) 「白人」と言ったときそれは概念的に明確な概念かというと、そうでもない。
参考
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2)仮に「白人」というあるグループが括れても、その人たちがそれ以外の有意義な共通な特徴をもつとは限らず、仮に、ある特徴があったとしても、そのグループのある一個人がその特徴をもっているとは限らない。
また、このグループに属する人たちの中にある特性をもった人がいたとしても、そのグループに属するすべての人がそうだとは限らない。
仮にあるクラスの女子児童の数学のテストの平均点が低ければ、そのクラスの女子児童は数学が苦手だ、と言えるにせよ、そのクラスの例えば、鈴木幸子さんが数学が苦手かどうかはわからないし、山田太郎、田中健一君の数学の成績が飛び抜けてよくても、そのクラスのすべての男子児童が数学が得意だとはかぎらない。
従って、「白人」は○○だ、と一概に断定してしまうことは、アジア人は××だ、と一概に断定してしまうのと同様な誤りを犯しやすく、また、彼・彼女はアジア人だから××だ、と一概に言えないように、彼・彼女は白人だから○○だ、ということもできない。
日本人であっても親切な人もいれば、意地悪な人もいれば、平等主義者もいれば、差別主義者もいるのと、同様、いわゆる白人であっても親切な人もいれば、意地悪な人もいれば、平等主義者もいれば、差別主義者もいる。
私は欧米人の一部に欧米優越主義を感じることがあるが、だからといってすべての欧米人が欧米優越主義者でもなく、また、欧米人に差別主義を感じることもあるが、欧米に差別主義があるからこそ、差別主義を超越しようとする運動も強い、と考える。
私が敵対するのはこの種の欧米優越主義、欧米優越主義者、あるいはそのダブルスタンダードであって、欧米人でも、白人でもない。
むしろ、いわゆる西洋思想から多くを学ばせてもらったし、また、これからもフェアーで、また、親日的な多くの欧米の人々たちーーー欧米の人だけとは限らないがーーーとの輪を拡げていくことこそ、日本の将来を考えていく上で必須だと思っている。
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