Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

植民地主義的な関係性を再生産

2013年12月17日 09時28分28秒 | Weblog
2013年12月16日 07:30「声」は誰のものか――FGM(女性性器損傷)をめぐる言説


 「声」は誰のものか?----ぼくは、この手のわかったような、わからないようなキザな表題はあまり好きではないが・・・・。





独立時におけるFGMは、欧米諸国による統治への反発と独立への意識という側面に注意する必要があります。植民地政府による統治の時代、FGMは「遅れた慣習」として植民地政府によって法律を通じて禁止され、宣教師たちによってその慣習が制約されてきました。自分たちのアイデンティティとして、FGMが彼ら自身によって「発見」されたのは、植民地からの独立を求めるプロセスにおいてです


ケニアではFGMがケニア人のアイデンティティの証しと見なされ、少女たち自身が自ら選んでFGMを受けます。「私の体は私が決める」、その姿勢は、男性たちにも支持されます。さらに、欧米との差異を強調し、アフリカというその土地への誇りを示すものとして、独立後、多くの国で植民地政府が制定していたFGM禁止法が廃止されることとなりました。





FGM廃絶を巡る議論や廃絶運動が、当初欧米中心に展開された結果、欧米におけるこれらの運動や議論がFGMを女性への人権侵害としてとらえた眼差しそのものが、FGMを「野蛮で遅れた慣習」と、ステレオタイプ化させていることに無自覚であった。この点こそが、当のアフリカ女性からも批判されたのです。




実施地域の多様性や社会的・経済的条件を勘案せずに「女性に対する暴力」として単純に理解する欧米諸国の意識は、自文化中心主義的であることに無自覚であり、遅れた慣習を是正する、植民地主義的な関係性を再生産していたものとも言えます。



現地女性からの批判は、先進国を中心に展開された廃絶アプローチそのものが、植民地主義的、侵略主義的性質な異文化への排他性を持っているのではないか、という問いかけであり、FGMの背景にある人種や階級、植民地主義、グローバルな資本主義といった現象の複雑なつながりへの言及でもあります。



誤解がないように強調したいのですが、FGM廃絶という究極の目標へ向けた取り組みはもちろん必然であり、議論の余地がないと私は考えます。と同時に、先進国の女性たちの眼差しは楽観的にすぎないか、ということを問いかけたいと思います。



単純に人権侵害としてFGMを捉える視点と文化相対主義からFGMを理解し、廃絶運動から距離を置く、二項対立の構図でFGM問題を語ることには注意すべきです。FGMの議論は実施国においては、ジェンダー間や世代間によって複雑な対立軸が存在します。先進国主導のFGM廃絶運動が、途上国の女性の救済であると同時に、介入という名の暴力であることも理解しなければならないのです。


この中でFGMが現在難民認定理由になり得るとしていることについて、どう思うか自由に回答してもらったところ、多くの女性から、先進国でFGMを理由に庇護申請を行う女性は、迫害ではなく貧困から逃れるためにFGMを利用しているに過ぎないと回答が寄せられました。「逃げたくはないわ。大人になったらこの国で、FGMをなくすために頑張りたいの」と語ったのは小学6年生の少女。彼女は祖母と母によってFGMを受けることが決められ、すでに施術が行われていました。



 「欧米諸国の意識は、自文化中心主義的であることに無自覚であり、遅れた慣習を是正する、植民地主義的な関係性を再生産」という指摘は重要。


 ここでの問題は、例えば、A国では、ミニスカートが流行っている、B国ではロングスカートが流行っている、どちらも、それは、それで、いいわけだが、しかし、C国では女性性器切除が流行っている、ということについては、それで、いいとはいえない。つまり、最初の二つは命題は文化や国に相対的でいいのだが、3番目の命題は、文化相対的ではなく、文化を超えて悪である。

 そして、悪いことが行われており、それを知っている人は、何らかの応答する道義的責任があるが、しかし、部外者、とくに、欧米の人が単純に介入してしまうと、植民地主義的な関係が再生産されるだけ、というジレンマに陥る。

 大抵の場合、欧米のジャーナリストはそんなジレンマを自覚もせずに、正義ぶって報道してしまっているが、自覚すべきである。

 非常に難しい問題で、アメリカなんかは、介入が好きで、自分たちが、不正が行われている場所に、軍事的な介入までしてしまうことがある。

 しかし、女性を救うためとはいえ、これは、やはり、やりすぎ。

 少なくとも、脚下照顧、自分たちの実情もよく反省すべきです。

 例えば、本件の場合だったら、アメリカ人男児(や、たしか、ユダヤ人男児)の多くが、科学的根拠なく割礼を強いられている。

 もちろん、女性生殖器の切除の方が、圧倒的に後の人生に影響は大きいわけですが、、判断力が乏しく、同意が無効な未成年者の身体を損傷する”野蛮”な風習であることには違いないわけで、自分たちの中にある、同じ野蛮さを指摘できれば、少なくとも上から目線の位置が少しは下がろう、というもの。

 そのほか、対話やら、励ましなどなど、平和的友好的手段はいくらでもあると思う。

 今までの英語のメディアのように、世界野蛮発見みたいな、雰囲気でやっていたら、植民地主義的な関係性を再生産、というのが繰り返されるだけでしょうね。

 

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