昨日のこと。朝3時、何故か目が覚めました。どうしてなのか、分からないのですが、本当にいきなりパッチリ目が覚めたの。ふと、思い立ち、窓を開けて空を見上げたら、まぁ、星が綺麗な事!寝る前に見た時には、星は全然見えていなかったのに。
堪え切れない!出かけよう!!!
今、母は、私が居候をしている兄の家で寝泊まりしています。父と母は隣に小さな家を建て暮らしていたのですが、父が入院すると、父の面影が辛くて夜1人で寝るのが寂しいからと、私の隣の部屋で寝ているのです。
ほとんど真夜中と言えるような早朝。顔も洗わず、忍び足で外に出て、車を走らせました。何処に行くあてもないので、何度か星景を取りに行った郊外の遊水公園に向かいました。ただ、あそこは水場なので、蒸気でレンズが曇り易い。それでも、他に行くあてが無いので仕方ありません。
公園に到着して、アングル確認の撮影をしてから、まず長時間露光の日収運動撮影に入ります。何故なら、日の出が近づいて、空が白み始めたら困るから。でも、10分も経つと三脚の足がしっとりと濡れ始めた。やっぱりダメか・・・。露光を中止して、懐中電灯を当ててみると、やはりレンズは曇っていた。撮影は失敗。
水辺は諦めて、場所を変えて日の出を撮ろうと帰りかけると、白み始めた空が綺麗だった。再挑戦して、撮影。ブロアーでエアを吹き付けながら、曇りを抑えてなんとか撮った。
中央の三角は、旭岳です。
そのあと、あちこち走り回っては、朝焼けや、朝霧の風景を撮るドライブをして、帰宅しました。
朝から、何処に行ってしまったのかと、母が心配していた。ごめん・・・。
そして、その日、心臓の具合が悪く、母は一日寝ていた。今日になっても治らないから、かかりつけの病院へ行ったら、今までとは違う種類の不整脈が出てしまい、お薬が変更になってしまった。父の事で疲れが出たのかもしれないけれど、朝から心配かけてしまったせいかと思い、罪悪感で胸が締め付けられる。
気ままに風景を追いかけることも、今の私には、重しがかかる。それでも、星景のチャンスは逃したくない。
でも、母には理解できないだろう。睡眠時間を削ってまで写真を取る意味など、彼女にとっては訳の分からない事だ。体を壊すと心配するばかりだし、写真が私の心の健康のために必要だなどと言っても、途方にくれるだけ。だから、「遊んで来た。」と言って、誤魔化した。
風景を追いかける感覚を少し思い出した。でも、以前のように夢中になれない自分が居る。勝手気ままに走り回る事に、何故か罪悪感を抱いてしまい、母を家に残していることが心配で、落ち着いて撮影が出来ない。
親のしがらみが嫌で故郷を飛び出した10代の頃の気持ちを思い出した。解放されたくて、すり鉢の底を這い出たけれど、もう、あの時のように、ここを離れる事など出来はしない。ここは故郷。私が骨をうずめる場所。息苦しさに包まれても、私はここで生きて行かなければならない。
重い心を引きずりながら、それでも風景を追いかけて・・・