今日、キタキツネの死骸を見ました。
通勤途中、もうすぐ職場・・・の道路の前方。
路肩に何かの塊が見えて、カラスが1羽舞い降りた。
車にひかれた動物の死体だ、きっと、キツネ!すぐ、そう思った。
だんだん近づくと、それは確信となって、胸が締め付けられる。
通り過ぎる時、目にした姿・・・、綺麗な顔だった。
運転しながら、必死で涙を堪えた。
それでも、込み上げるものを抑えきれずに、「うっ、うっ。」と小さく嗚咽を漏らした。
泣きはらした目で、出勤するわけにはいかない。
にじむ涙がこれ以上溢れないように、つばを飲み込み、唇を噛んだ。
上の写真は、旭山動物園の北海道産動物舎にいたキタキツネです。
私がこの写真に付けたタイトルは「悲しみのキタキツネ」
旭山動物園は、とても、楽しかった。
けれど、このキツネを見た時、何故か胸が苦しくなった。
この子は、どうして、ここに居なければならないのだろう?
私が出会ったキツネは、雪野原を疾走していたのに!
以前、ブログにアップしたキタキツネの写真。
あの子と出合った時のことを思い出しました。
動物園のキツネは、餌の心配も無く、吹雪にまみれることもない。
けれど、広い雪原を走り回ることも、餌を追って遊ぶことも出来ない。
吹雪に耐えた後の、晴れた新雪の上を歩く快感を得ることも無い。
囚われのキツネ・・・
今日見た死骸は、雪原のキツネ。
餌を求めて人に近づき、傷つき果てた。
自然の過酷と、人の作った危険をくぐりぬけて、動物たちは生きて行かなければならない。
それでも、私は、安全な檻のなかより、過酷な雪原を走りたい。
日の出前、走り去るキツネが一瞬立ち止まり振り向いた。
「私も連れて行って!」そう呟いたけど、あの子はすぐに背を向けてしまった。
危険にさらされても、自然が厳しくても・・・・それでも、それでも・・・
動物園のキツネより、今日見た、道路に横たわるキツネに・・・私はなりたい。
動物園の意義を否定するつもりはないのです。
旭山動物園は、本当に楽しいところです。
皆さん、ぜひ来て欲しい。
私は、思い入れが強くなると、自分の感情をコントロールすることが難しくなるのです。
特に最近は・・・。
今、強い思い入れがあるのは・・・
月とうさぎとキタキツネ。
何も無い雪原を走り回るキツネに、偶然出会う幸運を願っていたのに、
綺麗な鼻先まで見える距離に居たキツネは、
走ることなどもう出来ない、動かぬ寝姿だった。
なぜだろう。悲しすぎたのかも知れません。僕の職場の移転前の建物の裏にはたくさんの外猫が出入りしていました。彼らの中には桜耳の外猫もいれば、純粋の野良猫も居ました。その多くは、長く生きても8年から10年。家で飼ってもらえば最長30年は生きられると言う。その代わり自由はほとんど無い。大半が去勢され、避妊されて我が子を見る事も無い。
動物記で有名なシートンが「野生の動物の最後はみんな悲惨である」と言う言葉を残していますが、野山を駆けて短命で終わるのと、檻の中で保護されながら長生きするのと、どちらが良いのか僕には分かりません。