しっぽなのうつうつ

<宇宙(そら)>に魅せられて・・・
お写真、勉強中♪

介護・・・のような日々

2013-09-09 17:26:42 | 介護な日々

写真を撮れずにいるので、春に撮ったツインハープ橋を載せたりして・・・
今、この橋は、ケーブル補修の工事中。
普段片側2車線が、時々1車線になってます。



父の事を記事にアップすれば、介護で大変な思いをしている・・・と、心配をしてくださる方もたくさんいるだろうと、とても、申し訳なくなってしまいます。

しかしですよ。あれは、介護とはいえなかったと思うのです。母は、確かに父を介護していました。でも私は、母の手助けで「介助」はしたけど、介護はしていない。

通院や煩雑な手続きは私が担当していたけれど、日常の世話は母に任せていたし、入院するまでの最後のあの激しい日々は、介護と呼べるものではなかった。まさに、格闘、戦い。そして、そのさ中に、不思議なふれあい。

高齢化社会の世の中。
家族の介護で悩みを抱えている人は、たくさん居るでしょう。そして、その悩みは千差万別で、他の家の事が参考になるとは限りません。

例えば、私の父と同じ症状の人がいたとして、その家族構成や経済状況、住宅環境が違えば、その対応は全く違ったと思うのです。仮に、母が病弱だったり、すでに死んでいたりしたら、父は認知症が進む前に、有料老人ホームやグループホームに入っていたことでしょう。三年前なら、トイレは失敗なく自分で行っていたし、食事も自分で食べていた。着替えも、髭剃りも自分で出来たし、テレビやパズルを楽しんだり、文字も結構、綺麗に書けていた。父は施設に入ることを嫌がるでしょうが、母が居なければ食事を作る人も居ないのだから、諦めたと思うのです。帰宅願望が強くて、施設の人は苦労をしたと思うけれど、そのうち慣れて、自宅の事を忘れてしまったかもしれないし。

そう・・・、母が一生懸命世話をしたから、あんな極限まで家で過ごすことになった、とも言えるのです。父の事を周りに話すと「よくそこまで、家で見ていたね!」と半分呆れて、感心されます。それでも、母は、最後まで家でみたかったのです。2か月前まで、排泄のことであんなひどい目に合うなんて、思ってもみなかったのですから。
しかし、父にとって何が良かったのか?それは、もう、分かりません。限界まで妻と一緒に居られたことが、彼にとっての幸せかもしれないし、もっと早く、明るい施設で大勢の人と係わっていたら、認知低下はもう少し抑えられたかもしれない。
今、入院していますが、日中はほとんどホールに出ていて、病室に居るのは寝る時だけ。いつも、看護婦さんや他の患者さんが周りに居て、天井の高い明るい場所で刺激を受けながら過ごしていると、表情も穏やかになったように見えます。相変わらずお風呂を拒否しているようですが、そこは精神科のプロたち、上手に入浴させてくれたようです。
家に居る時は、母の作る食事を母の介助で食べていて、母が疲れてしまえば、水分摂取もままならない状態だった。けれど今はきちんと管理された栄養で、水分摂取も確保され、健康そのものの生活です。

それを見て、母はやっと、納得したようです。家で見てあげることが愛情と思っていて、病院に入れて可哀想な事をしたと落ち込んでいましたが、入院した方がお父さんのためになるのだと、罪悪感から解放されて、寂しさも軽減し、安心したようです。

入浴拒否が激しくて、なかなか体を洗えない上、失禁処理も抵抗されるので、いつも体が臭っていた。けれど、入院してからは、お風呂にも入れてもらい、オムツも上手に変えてもらい、臭いはしませんでした。家に居る時はシャツに股引という、情けない姿で居ましたが、今日、面会に行ったら、きちんとポロシャツを着てジャージを穿いていた。小汚いオヤジが、小奇麗なじいさんに変身です。

父にとって、私は、娘ではなく「知っている人」です。母は、たぶん「わがままを言える人」。妻とか子とか、結婚とか家族とか、そう言う概念を理解することが出来ていません。「親に自分の事を忘れられるって、どんな気持ち?」と聞かれることがありますが、私の場合、特にショックではないのです。普通の人は、悲しいのでしょうね。でも、私は、全然悲しくありませんでした。「あら、忘れたのね。」と思っただけ。ショックだったのは、父が母の事を忘れた時。それが、ひどく悲しかった。こういう気持ちも人それぞれでしょう。親が子供の事を忘れてしまい悲しくなったり、認知症になったことを受け入れられない人もいると思います。

ただ、私は思うのです。
親であろうと、夫や妻であろうと、そして、自分であろうと・・・。認知症になる可能性は誰にでもあるし、そうなっても、それは悲劇ではない。悲劇は、受け入れられない事で始まるのです。父がそうでした。彼は自分の変化に気づいていた。けれど、それを認めようとせず、何か言訳を探して逃げているうちに、恐怖や不安だけが自分を包んでしまったのです。彼はいつも何かから逃げていた。だから救済の手にさえ、恐れを抱くようになったのです。

諦め、ではありません。受け入れるのです。それが、穏やかな心を保ち、自分も周りも幸せになれる術だと思います。



これは、私の価値観です。
いろいろな考え方があると思いますので、どうぞ、聞き流してください。



コメント
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