しっぽなのうつうつ

<宇宙(そら)>に魅せられて・・・
お写真、勉強中♪

春・稚魚も旅立ち・・・

2014-03-31 20:13:11 | サケの稚魚を育てる日記

早いもので・・・。明日は、もう4月です。

「旭川サケを守る会」の稚魚の放流式が、去る3月30日(日)に執り行われました。
私の子供たちは、一週間前に旅立ちましたが、放流式に何とか参加することが出来ました。

たくさんの子供たちや親御さんが集まって、まずアイヌの儀式で始まります。



儀式の内容には、様々な意味合いがあるのでしょうが、子供たちを優先して、
後ろの方に居たので、細かい説明は聞こえませんでした。



祭壇らしき場所に刺さっていた木の棒は、シマフクロウをイメージして飾られた守り神なのだそうです。

稚魚の放流の前に、その棒を川に流して、稚魚たちの旅立ちを見守ってもらうのだどか。





学校や幼稚園、各家庭で育てられた稚魚たちが、一度集められてから、皆に配布されて浅瀬の川に流します。
それは、ツインハープ橋の下で行われた放流と同じです。




何千匹と集まった稚魚ですが、大勢で流すとあっという間でした。

「また、会おうね~。」という、子供たちの声が、河原に響いていました。




さて、私はというと、ここニか月ほど肩の凝る作業をしています。

稚魚の写真はたくさん撮りましたが、水の中で光の加減が難しく、育ってくると泳ぎ回るので、良い画像はほとんどありません。
せっかくだからと、カメラの動画機能を使って、動画も撮ったのですが、これも、ピントも水平も画質もめちゃくちゃで、見ずらい。

それでも、子供たちとの思い出を形にしたくて、ビデオクリップの作成に挑戦しました。
半分は、静止画を使ったものですが、音楽を付けたりしちゃって、頑張ってみました。


さて、作ったものをどうするか?

ふふふ、自分と家族で楽しむのです。

何故かと言うと、ビデオクリップに音楽アーティストの曲を使用しているので、公開できないから。

10分を超える「長大作」になってしまったので、音楽なしで見るのは辛い作品です。


ははは・・・、他人に見せられなくても、私は大満足!


母に見せたら、喜んでくれた♪

すみません・・・、自己満足の報告で・・・。










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旅立ちを見送る。

2014-03-25 12:46:55 | サケの稚魚を育てる日記




サケの稚魚を放流する時が近づくと、少し不安になって来ました。サケを守る会の放流式は3月30日(日)。 父の容体がどんどん悪くなり、もしかしたら、葬儀と重なるかもしれない。放流式に参加出来なかったら、私一人で川に行って、私の子供たちは、寂しく旅立つことになるのかな?と、とても心配になりました。3月9日のサケゼミナールでそのことを相談すると、3月23日にも、ツインハープ橋の下で放流会があるとのこと。都合のいい方に、他の稚魚と一緒に流してあげては?と、助言してくれました。

主催は、私も入会している「忠別川の自然を親しむ会」。会員なのに、知らなかった! ははは。 23日は、父の初七日。お坊さんには読経を午後にしていもらい、私は子供たちをビニール袋に移し替え、少し雪を入れたバケツで運んで、橋の下に行きました。

ツインハープ橋の下、浅瀬の河原から続く中洲に放流場所が準備され、子供たちや保護者、テレビや新聞の取材クルーも来ていました。


  



用意された稚魚は、約2000匹プラス私の50匹。私の子供たちも、一度、酸素を入れた水槽に入り、新しい仲間たちとご対面。その後、小さなプラスティックの容器に移し替えて、少しずつ川に流すのです。




約3か月の子育て。流れて行く川を見つめて、感慨にふけりました。 命が旅立っていく。きっと元気に戻ってきて欲しい。そのためにも、川をきれいにして、待っていなくては!稚魚たちは、この後、すぐ近くの下流の溜りで過ごし、仲間が集まるのを待つのだそうです。その間に、この川の匂いをお憶える。 そうして、大群となって、一斉に川を下るのです。外敵に襲われ、危険な場所を通り、命を落とすリスクが数々あるので、集団で切り抜けることで、生き残る確率を高めるのです。それでも、この川に戻ってこられるのは、本当に極一部。





でも、私の子供たちはきっと帰って来る。3年後の秋。ツインハープ橋の下で、私がレンズを向けたら顔を出して、「ただいまー!」って挨拶するの!

きっと、写真に撮るからね! 大きくなって、戻っておいで! 石狩鍋には、しないから! (爆)




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読まずにスルーで、お願いします。

2014-03-24 16:54:01 | 介護な日々





いろいろな意味で、このブログは、私の心の拠り所で、吐き出すことで救われてきました。3年前は、ブログを始めるなんて、思ってもみなかったのに。




父の様子が怪しくなって、母が病気で入院して、私は仕事を休職して、それがきっかけで韓国ドラマの二次小説を妄想するようになった。貯め込んだものを吐き出したくて、おっかなびっくりブログを開設して、二次小説をアップして、時々、吐き出しの乱文をアップして、それでストレスを解消していた。情けない文章にコメントも頂いて、励まされたなぁ。苦しさを紛らすために、gooのフォトチャンネルを眺めていたら、気になる写真があって、そのブログに心惹かれてコメントしたら、管理人さんが応えてくれて、いろいろな励ましを頂いた。その方の言葉は、今も私を勇気付けたり励ましたりしてくれている。その出会いは、私にとって、本当に救いだった。ネットの世界に救いを見出すなんて、私の価値観の中には無いことだったはずなのに・・・。


父の様子が劇的に変化して、対応に追われ、私は半年前に仕事を放棄した。もともと、辞めたくなっていた職場。父のことを言い訳に、退職願いを出したようなものだった。

昨年の9月。父は、精神科専門病院の 認知症病棟に入院した。車椅子でもベッドでも拘束される状態なのに、明るく大きなホールで他の患者さんと顔を合わせて、たくさんのスタッフに声をかけられて、自宅に居た時よりもずっと人間らしい生活だと思えた。  けれど、食事を拒否するようになって、呑み込みも悪くなり、必然のように誤嚥性肺炎になり、医療処置の病棟に移ると、一気に寝たきり状態となり、食事をしていないのに自分の唾液を誤嚥してまた肺炎になり、それを繰り返すと、どんどん体力を失っていった。 聴力低下の上に、認知力の低下で言葉を理解出来ないから、耳元で大声で叫んでも、父はほとんど反応しない。

一人で面会に行くと、父の枕もとで泣いた。 私は父が嫌いだった。 こんな男に尽くす母の気持ちが分からない。 けれど、私は、父に愛されていた。 それは、痛いほど分かっていた。 それが苦しくて泣いた。


3月17日 午後5時47分


父が死んでも、寂しくなんてない。せいせいした。それは、本当の本音。でも、父のことを考えると涙がでる。 私を困らせてこんな気持ちにして、私の心の中に残るために、父はあんな風におかしくなったのだろうか?棺の中のキレイな顔が、私の心をえぐって、涙をこらえることが出来なかった。周りの人には、父親との別れを惜しむ親思いの娘に見えただろう。

「お父さん、ごめんね。」

謝りたくなんてない。私の方が、苦しめられたのだから!でも、冷たい頬を撫でながら、言葉が口をついて出た。

葬儀が終わって、狭い畳の部屋に小さな祭壇が組まれた。そこにテーブルを置いて、ひしめき合うように子供たちが座って夕食を食べた。父が生きている時は、こんな風に家族が一挙に集まることは珍しかった。長兄は遠方に暮らしているし、次兄は父を避けていたから。死んだらみんなが集まって、皮肉だな、と思った。父と険悪だった次兄は、死んだ父をチラリと見るだけで言葉はかけなかったけれど、通夜式に参列した弔問客は、半分以上が次兄の仕事関係者。長兄の仕事は本州で、お花や弔電は送られても、人は来ないから。 これから、数々の手続きが待っている。人が死ぬと、社会構成員としての「存在」を抹消する必要がある。 戸籍、年金、光熱費の引き落とし口座の変更。

手続きをしたり、片づけをしたり、忙しく動き回っている途中で、ふと手を止めると、自分自身にいろいろな言い訳をしていることに気がつく。そしてまた、苦しくなる。

あ~あ・・・、お父さん、うらやましいな。 私もすべて投げ出して、無くなってしまいたい。 ずるいよ、一人だけで、楽なところに行っちゃって。 本当にずるい。


いつか、私もそちらに行くから、また会いましょう。・・・と、よく言うよね。

でも、私は絶対に会いたくない。私はそちらに行かないよ。もしも、そちらが天国だというのなら、それなら私は、地獄でいい。 もちろん体は無くなって、そして、心も魂も無くなって、本当に、完全にすべて無くなってしまいたいの。だから、私が死んだら、誰にも会わないの。本当に心から、そう願っているの。神様の傍に居るなら、私の願いが叶うようにお願いしてね。太陽のような灼熱の中でシュッと一瞬で消えるように、すべてが無くなったらどんなにいいか・・・。


それでも、きっと、私の体を構成する原子は残って、宇宙の一部になるのでしょう。それは、仕方ない。この宇宙に生まれた以上、この宇宙から出ることは出来ないのだろうから。

この苦しさは、自分の醜さ。それは十分分かっている。すべては自分のせいだから。 もっと強くなりたかったな。 もっと優しくなりたかったな。 けれど、もう一度人生をやり直したいとは思わない。だって、もうごめんだわ。面倒な人生を、もう一度やり直すなんて、絶対に嫌だもん。



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いよいよ、放流の準備。

2014-03-10 09:58:14 | サケの稚魚を育てる日記



3月9日(日)、第三回サケゼミナールに出席して来ました。
サケの生態に関するビデオ鑑賞をして、生育状況の報告会。
ベテランの方に、育てる際の工夫や、今まで体験した苦労話も聞きました。

私の稚魚は順調に成長し、大きなものは4cmを超え太り気味の子も居ます。

個体差が結構あって、まだ3cmくらいの小さな子も居ますが、
元気に泳いでいうるので、成長に支障があるわけではないようです。

チョロチョロと泳ぎ回り、水槽が狭そうです。

元気が良すぎて、水槽から飛び出して、死んじゃうという事故もあるから、
蓋をして注意するよう助言もありました。




飛び出すんだって!
でも、本当にそんな勢いで、泳ぐことがあります。


さて、稚魚の放流は3月30日(日)です。
場所は、神楽岡公園内の忠別川の河原です。
その日は、アイヌの儀式も行われ、祈りを込めて旅立ちを見守ります。

サケゼミナールで聞いたところによると・・・。
サケのメスは、およそ3000個の卵を産んで、川に戻ってくるのは、そのうち2~3匹だそうです。
夫婦に2~3人の子供なら、人間で言えば、理想的ですね。

3/3000と言う確率の中には、卵が孵らなかったり、仔魚のうちに死ぬ子も入っているので、
放流した稚魚が戻る確率は、もう少し高いでしょう。

それでも、稚魚たちにとって、過酷な旅であることには変わりありません。

どうか、一匹でも多く、戻ってきますように・・・。

僅か50匹の私の子供たち。

確率から言えば、一匹戻って来ることも、奇跡に近い。

それでも、旅の途中で脱落していく兄妹達の魂を引き継いで、
サケはあんなに大きくなるのだと信じています。

だから、みんな、戻って来る。

卵のままで消えた子も、稚魚になれずに石の下に沈んだ子も、
川で鳥にくわえられ、海で大きな魚のエサになり、戻る途中で漁船に捕獲されても、
すべての魂が、戻ったサケの卵に入っていて、また川底で命を育むのです。


3年後かな?
4年後かな?

戻って来る時が、楽しみです。

今、毎日水槽を覗き込んで、私の顔を憶えてもらっているところ。
忘れないでね、また、会おうね!





明日は、忘れてはいけないことを、もう一度、記憶に呼び起こす作業の日。

ブログ更新は致しません。

遠くから見ていただけの私には、励ましになるような言葉をかける能力は、何もありません。


けれど、
忘れてはいけないことがたくさんある。
考えなくてはいけないことが、たくさんある。

そのことは、理解しているつもりです。

この国には、もっと、もっと、深い思慮が必要です。



どうか、どうか、一歩でも前に進めていますように・・・。





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