しっぽなのうつうつ

<宇宙(そら)>に魅せられて・・・
お写真、勉強中♪

読まずにスルーで、お願いします。

2014-03-24 16:54:01 | 介護な日々





いろいろな意味で、このブログは、私の心の拠り所で、吐き出すことで救われてきました。3年前は、ブログを始めるなんて、思ってもみなかったのに。




父の様子が怪しくなって、母が病気で入院して、私は仕事を休職して、それがきっかけで韓国ドラマの二次小説を妄想するようになった。貯め込んだものを吐き出したくて、おっかなびっくりブログを開設して、二次小説をアップして、時々、吐き出しの乱文をアップして、それでストレスを解消していた。情けない文章にコメントも頂いて、励まされたなぁ。苦しさを紛らすために、gooのフォトチャンネルを眺めていたら、気になる写真があって、そのブログに心惹かれてコメントしたら、管理人さんが応えてくれて、いろいろな励ましを頂いた。その方の言葉は、今も私を勇気付けたり励ましたりしてくれている。その出会いは、私にとって、本当に救いだった。ネットの世界に救いを見出すなんて、私の価値観の中には無いことだったはずなのに・・・。


父の様子が劇的に変化して、対応に追われ、私は半年前に仕事を放棄した。もともと、辞めたくなっていた職場。父のことを言い訳に、退職願いを出したようなものだった。

昨年の9月。父は、精神科専門病院の 認知症病棟に入院した。車椅子でもベッドでも拘束される状態なのに、明るく大きなホールで他の患者さんと顔を合わせて、たくさんのスタッフに声をかけられて、自宅に居た時よりもずっと人間らしい生活だと思えた。  けれど、食事を拒否するようになって、呑み込みも悪くなり、必然のように誤嚥性肺炎になり、医療処置の病棟に移ると、一気に寝たきり状態となり、食事をしていないのに自分の唾液を誤嚥してまた肺炎になり、それを繰り返すと、どんどん体力を失っていった。 聴力低下の上に、認知力の低下で言葉を理解出来ないから、耳元で大声で叫んでも、父はほとんど反応しない。

一人で面会に行くと、父の枕もとで泣いた。 私は父が嫌いだった。 こんな男に尽くす母の気持ちが分からない。 けれど、私は、父に愛されていた。 それは、痛いほど分かっていた。 それが苦しくて泣いた。


3月17日 午後5時47分


父が死んでも、寂しくなんてない。せいせいした。それは、本当の本音。でも、父のことを考えると涙がでる。 私を困らせてこんな気持ちにして、私の心の中に残るために、父はあんな風におかしくなったのだろうか?棺の中のキレイな顔が、私の心をえぐって、涙をこらえることが出来なかった。周りの人には、父親との別れを惜しむ親思いの娘に見えただろう。

「お父さん、ごめんね。」

謝りたくなんてない。私の方が、苦しめられたのだから!でも、冷たい頬を撫でながら、言葉が口をついて出た。

葬儀が終わって、狭い畳の部屋に小さな祭壇が組まれた。そこにテーブルを置いて、ひしめき合うように子供たちが座って夕食を食べた。父が生きている時は、こんな風に家族が一挙に集まることは珍しかった。長兄は遠方に暮らしているし、次兄は父を避けていたから。死んだらみんなが集まって、皮肉だな、と思った。父と険悪だった次兄は、死んだ父をチラリと見るだけで言葉はかけなかったけれど、通夜式に参列した弔問客は、半分以上が次兄の仕事関係者。長兄の仕事は本州で、お花や弔電は送られても、人は来ないから。 これから、数々の手続きが待っている。人が死ぬと、社会構成員としての「存在」を抹消する必要がある。 戸籍、年金、光熱費の引き落とし口座の変更。

手続きをしたり、片づけをしたり、忙しく動き回っている途中で、ふと手を止めると、自分自身にいろいろな言い訳をしていることに気がつく。そしてまた、苦しくなる。

あ~あ・・・、お父さん、うらやましいな。 私もすべて投げ出して、無くなってしまいたい。 ずるいよ、一人だけで、楽なところに行っちゃって。 本当にずるい。


いつか、私もそちらに行くから、また会いましょう。・・・と、よく言うよね。

でも、私は絶対に会いたくない。私はそちらに行かないよ。もしも、そちらが天国だというのなら、それなら私は、地獄でいい。 もちろん体は無くなって、そして、心も魂も無くなって、本当に、完全にすべて無くなってしまいたいの。だから、私が死んだら、誰にも会わないの。本当に心から、そう願っているの。神様の傍に居るなら、私の願いが叶うようにお願いしてね。太陽のような灼熱の中でシュッと一瞬で消えるように、すべてが無くなったらどんなにいいか・・・。


それでも、きっと、私の体を構成する原子は残って、宇宙の一部になるのでしょう。それは、仕方ない。この宇宙に生まれた以上、この宇宙から出ることは出来ないのだろうから。

この苦しさは、自分の醜さ。それは十分分かっている。すべては自分のせいだから。 もっと強くなりたかったな。 もっと優しくなりたかったな。 けれど、もう一度人生をやり直したいとは思わない。だって、もうごめんだわ。面倒な人生を、もう一度やり直すなんて、絶対に嫌だもん。



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介護・・・のような日々

2013-09-09 17:26:42 | 介護な日々

写真を撮れずにいるので、春に撮ったツインハープ橋を載せたりして・・・
今、この橋は、ケーブル補修の工事中。
普段片側2車線が、時々1車線になってます。



父の事を記事にアップすれば、介護で大変な思いをしている・・・と、心配をしてくださる方もたくさんいるだろうと、とても、申し訳なくなってしまいます。

しかしですよ。あれは、介護とはいえなかったと思うのです。母は、確かに父を介護していました。でも私は、母の手助けで「介助」はしたけど、介護はしていない。

通院や煩雑な手続きは私が担当していたけれど、日常の世話は母に任せていたし、入院するまでの最後のあの激しい日々は、介護と呼べるものではなかった。まさに、格闘、戦い。そして、そのさ中に、不思議なふれあい。

高齢化社会の世の中。
家族の介護で悩みを抱えている人は、たくさん居るでしょう。そして、その悩みは千差万別で、他の家の事が参考になるとは限りません。

例えば、私の父と同じ症状の人がいたとして、その家族構成や経済状況、住宅環境が違えば、その対応は全く違ったと思うのです。仮に、母が病弱だったり、すでに死んでいたりしたら、父は認知症が進む前に、有料老人ホームやグループホームに入っていたことでしょう。三年前なら、トイレは失敗なく自分で行っていたし、食事も自分で食べていた。着替えも、髭剃りも自分で出来たし、テレビやパズルを楽しんだり、文字も結構、綺麗に書けていた。父は施設に入ることを嫌がるでしょうが、母が居なければ食事を作る人も居ないのだから、諦めたと思うのです。帰宅願望が強くて、施設の人は苦労をしたと思うけれど、そのうち慣れて、自宅の事を忘れてしまったかもしれないし。

そう・・・、母が一生懸命世話をしたから、あんな極限まで家で過ごすことになった、とも言えるのです。父の事を周りに話すと「よくそこまで、家で見ていたね!」と半分呆れて、感心されます。それでも、母は、最後まで家でみたかったのです。2か月前まで、排泄のことであんなひどい目に合うなんて、思ってもみなかったのですから。
しかし、父にとって何が良かったのか?それは、もう、分かりません。限界まで妻と一緒に居られたことが、彼にとっての幸せかもしれないし、もっと早く、明るい施設で大勢の人と係わっていたら、認知低下はもう少し抑えられたかもしれない。
今、入院していますが、日中はほとんどホールに出ていて、病室に居るのは寝る時だけ。いつも、看護婦さんや他の患者さんが周りに居て、天井の高い明るい場所で刺激を受けながら過ごしていると、表情も穏やかになったように見えます。相変わらずお風呂を拒否しているようですが、そこは精神科のプロたち、上手に入浴させてくれたようです。
家に居る時は、母の作る食事を母の介助で食べていて、母が疲れてしまえば、水分摂取もままならない状態だった。けれど今はきちんと管理された栄養で、水分摂取も確保され、健康そのものの生活です。

それを見て、母はやっと、納得したようです。家で見てあげることが愛情と思っていて、病院に入れて可哀想な事をしたと落ち込んでいましたが、入院した方がお父さんのためになるのだと、罪悪感から解放されて、寂しさも軽減し、安心したようです。

入浴拒否が激しくて、なかなか体を洗えない上、失禁処理も抵抗されるので、いつも体が臭っていた。けれど、入院してからは、お風呂にも入れてもらい、オムツも上手に変えてもらい、臭いはしませんでした。家に居る時はシャツに股引という、情けない姿で居ましたが、今日、面会に行ったら、きちんとポロシャツを着てジャージを穿いていた。小汚いオヤジが、小奇麗なじいさんに変身です。

父にとって、私は、娘ではなく「知っている人」です。母は、たぶん「わがままを言える人」。妻とか子とか、結婚とか家族とか、そう言う概念を理解することが出来ていません。「親に自分の事を忘れられるって、どんな気持ち?」と聞かれることがありますが、私の場合、特にショックではないのです。普通の人は、悲しいのでしょうね。でも、私は、全然悲しくありませんでした。「あら、忘れたのね。」と思っただけ。ショックだったのは、父が母の事を忘れた時。それが、ひどく悲しかった。こういう気持ちも人それぞれでしょう。親が子供の事を忘れてしまい悲しくなったり、認知症になったことを受け入れられない人もいると思います。

ただ、私は思うのです。
親であろうと、夫や妻であろうと、そして、自分であろうと・・・。認知症になる可能性は誰にでもあるし、そうなっても、それは悲劇ではない。悲劇は、受け入れられない事で始まるのです。父がそうでした。彼は自分の変化に気づいていた。けれど、それを認めようとせず、何か言訳を探して逃げているうちに、恐怖や不安だけが自分を包んでしまったのです。彼はいつも何かから逃げていた。だから救済の手にさえ、恐れを抱くようになったのです。

諦め、ではありません。受け入れるのです。それが、穏やかな心を保ち、自分も周りも幸せになれる術だと思います。



これは、私の価値観です。
いろいろな考え方があると思いますので、どうぞ、聞き流してください。



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