しっぽなのうつうつ

<宇宙(そら)>に魅せられて・・・
お写真、勉強中♪

雪降る前に・・・

2014-11-30 10:42:23 | つぶやき


明日は、もう12月・・・

雪もそろそろ降りるだろう。
今年は、積り始めるのが遅い気がするけれど、こういう時は、ドカ雪が来たりするから、身構えちゃうわ。

雪が降れば、写真の撮影場所を探しづらくなるから、少しでもロケハンをしておこうと、昨日の午後、出かけてみた。


晴れてはいるけれど、遠い風景は霞んでいる。


細い道へと入り込み、畑の中を走って、ついに行き止まりになったりして・・・
雪が降った時の景色を想像すると、そのほとんどは冬期通行止めになりそうだ。






美瑛の丘には、有名な撮影スポットがたくさんある。
天気の良い日は、カメラマンが並んでいたりする。

でも、そういう時は、お仲間に入れてもらうのが恥ずかしくって、つい、通り過ぎちゃうの。

その有名な景色を、どうしても撮りたいか?と問われれば、そうでもないし・・・。


そして、一体これはどこなんだ?何なんだ?
と言うような風景ばかりを撮っている。




霞んだ風景に、夕日が当たるとどうなるか?と思って待ってみたけど、
別にどうにもならなかった。(爆)

枯れ野原に佇んで、夕日を見ていると、孤独な旅人になった気分。


でも、昨日は妹夫婦が泊りに来た。
帰宅すると、姪っ子の賑やかな声が、響いていた。

孤独とは縁の遠い、暖かい家族がここにある。


孤独に憧れるのは、自分が孤独じゃないからだ。
孤独に憧れていられるのは、幸せなこと。


さあ、雪よ降れ!
私を、束の間の孤独の世界に、導いておくれ・・・





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自然のままに、自然と共に

2014-11-28 14:55:16 | つぶやき



写真整理をしていたら、思い出したのです。

上の写真の風景を見て、がっかりした時の事を。

これは、神楽岡公園と言うところ。
幹に巻かれた紐は、おそらく、樹木の管理のために付けたものではないかと思われます。

倒れる危険とか、手入れの必要性とか、調べて印を付けたのかな?なんて、勝手に想像しております。

分かりますよ・・・、そう言う管理が必要なこと。
私だって、大人です。
自然豊かな森と言っても、ここは公園なのです。
沢山の人がジョギングやウォーキング、お散歩に訪れる癒しの場。
小さなお子さんも、足り回ったりします。
だから、危険な木があれば、事前に切り倒す必要もあるのでしょう。



でもね・・・。
これは無いんじゃないかな?
景観が台無しよ!
紐が、派手すぎる!センスなさすぎ!!!


きっとね、これはね。写真を撮りたい人間の我儘なの。
そうは思っても、樹齢何十年の趣ある大木に、あのカラフルな腰紐は無いんじゃないかと、悲しくなるのです。

紅葉の写真を撮る気が失せて、カメラを胸にぶら下げたまま、トボトボ歩いたことを、今、思い出し、再び心がもやもやした。


気になることは、まだある。

そろそろ危険だな・・・、と人間が勝手に決めて、ばっさばっさと木を切って行く。
その気配を感じて、悲しくなるの。
旭川市の緑を守る尺度は、守るより管理に向いている気がするから。

だって、旭川市の中心部にある、常磐公園がそうなんだもの。
みんな綺麗に切っちゃって、見通しの良いすっきりとした公園になっている。

街の中心部に、うっそうとした森があったら素敵なのにな。



自然に倒れると、誰かが巻き込まれるかも知れないけれど、
それでも、自然に任せて欲しい、と思ってしまう。

洞(うろ)ができるほどの見事な大木になるには、
倒れるかもしれないという状況を乗り越えてなくてはいけないと思うのです。

もちろん、きちんと管理して、倒れそうな木には近づかないように、広報したり、囲いを作る必要もあります。

そうやって、大木を見守りたいと思うのです。
木はずっと、生き物たちを育んで来たのだから・・・。

森は、命の源で、そして、命を育み、命を見守る。

人の都合のいいように調整しては、自然は保てない。

この公園は、元々原生林だったのだから・・・。

いやいや、旭川の街だって、元々原生林だった!!!


あるきっかけで、こんなボランティア団体を知りました。

「札幌ウッディーズ」http://sapporo-woodies.org/

森を守り、森を生かす活動をされているようです。
頑張って欲しい。


「自然に任せる」と「放置する」は、意味が違う。

この方たちの活動を見て、再度、思ったのでした。



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冬を待つ考(爆)

2014-11-24 10:51:24 | つぶやき


今年の2月末・・・


大した症状ではないけれど、風邪っぴきになって、ボーっと家に居ると、自分がどんどんダメな人間になって行くような気がする。
まあ、元々、ダメな人間ではあるのだけれど、そのダメさ加減が増して行くということ。

この歳になって初めて、ツイッターなんて始めたものだから、今まで知らなかった情報がわんさか届くようになった。
おそらく、あのようなアイテムは、『自分を発信』したり『新しい世界とつなっがる』ために使用するものなのだろうけれど、
私は、積極的に発信するものを持ち合わせていないし、繋がる願望も無いから、傍観者のように次から次へと届くつぶやきを眺めている。

もちろん、参考になったり、目からうろこの情報もあったり、有名人の呟きを見て身近に感じる事も出来たりして、なかなか面白い。


ブログもそうだけど、ツイッターでも、いかにして自分らしく生きるか、どうしたら生き生きとした生活ができるか、ということを追及している人がたくさんいる。

色々な提言があって、それらを参考にして、自分に合ったものを選ぶ、と言う余裕のある人にとっては、情報と言うのは便利だろうけれど、
もっともらしい意見に流されてしまう人も居るかもしれないな?と、危険を感じる事もある。


情報は、単なる『参考』なのだということを、忘れないように見なければ!と、改めて思った。
一瞬、『そうか・・・そうだよな。』と感心した文章。でも、よく考えると『いや、待てよ。それって、どうなの?』と疑問が湧いた。

危ない、危ない・・・、引きずられるところだった。


自分らしさを見つけて、生き生きと輝いている人が居る。それを見れば、その人の生き方が正しく思える。
でも、その生き方が自分に合っているか、それが自分らしさなのかは、別な話。

事情があって天涯孤独で生きて居る人が、自分の道を見つけて幸せになっているとする。
でも、その人の生き方は、私には参考にならない。親兄弟の無い環境は、私にとって、それこそ別な世界だから・・・。

もちろん、環境が違っても、考え方や物事の捉え方で、気付かせてもらえることも、たくさんあるけれど・・・。




『自分を好きにならないで、他人を好きになれるわけない』・・・どこかで聞いたことのあるセリフ。

私これ、辛い。

私、自分は好きじゃないけど、好きな他人はたくさん居る。

自分は好きじゃないけど、だからこそ、何とか自分を褒めることは出来ないものかと、四苦八苦。
自分の事、せめて褒めるくらいはしてあげたい。


そのためにはどうしたらいいのか?最近、やっと知った。

一生懸命になること。

極寒の早朝に、マイナス20℃の雪野原に立ち、三脚を立てている自分は褒めてあげたくなる。

だから、真冬を待つ。
寒ければ寒いほど、私は私を褒められる。


寒い冬は、人々にとって迷惑なこと。
暖房費もかかるしね。


ほら、価値観って、人によってこんなに違う・・・



褒めても、褒めても、嫌いな物は、やっぱり嫌い・・・
そして、これは、やはり、言い訳。

ちゃんとできない、自分に言い訳。


(-.-)






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久し振りの、風邪?

2014-11-23 15:32:25 | つぶやき

これは、いつ撮ったんだ?


お天気が悪くても、とにかく出かければ、何か一つくらい収穫はあるものだ。

そう心に言い聞かせ、出かける予定で居たのに・・・。

どうも、体調がよろしくない。


水曜日、母の受診のついでに、インフルエンザの予防接種をした、その翌日から、
喉の痛みが始まった。

これが、なかなか治らない。

ずーっと痛くて、のど飴が手放せない。
飴の甘さだけで、お腹いっぱいになりそうなほど、常に飴が必要なの。

今は、鼻水も止まらない。

時々、ゾクって寒気がするけど、おそらく熱はない。
あっても、微熱。

でも、頭痛がする。


これで出かけて悪化したら、母に何を言われるか分からないので、
大人しくしていることにした。


もしかして、予防接種のせいで、軽~いインフルにかかってる?
と、疑いたくなるようなタイミングだ。

本当のところ、どうなのか?


病院に行く気など毛頭なく、ただ、だらだらと過ごして、お茶をすするのでありました。


ああ・・・、暖かいものを口にすると、鼻水、大量だ!








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慌ただしい気分

2014-11-21 14:02:34 | つぶやき



最近は、「写真って、どうやって撮るんだっけ?」
というような、情けない状況になっている。

才能ないんだな・・・、と落ち込むばかり。

誰に見せなくても、誰に褒められなくても、

「今日は、いい写真が撮れた!よかった、よかった!」

と、意気揚々と帰って来たいのに、車から降りる時、

「早起きしたのに・・・。」

と肩を落とすことが多い。


亡くなった健さんの遺作映画の中。
北野たけしが、こんな内容のセリフを言っていた。

目的があるのが旅で、無いのが放浪。

そうか、私は、放浪している。

何となく車を走らせて、車を停められるところを見つけて、ただカメラをセット。
良いロケーションは無いか、雲の流れはどうか、霧は出そうか、と
ただ、ただ、焦っていた。


何で写真を撮るの?
どうしてここで、カメラを構えようと思ったの?
これが、切り取りたい風景なの?

そうだよね。
チャンと、落ち着いて、風景に向き合おう。

「心の旅」の写真を撮ろう。
放浪ではなくて・・・。


真摯に、一生懸命、物事に向き合っているか?

難しいけど、ちゃんと考えながら、生きていたい。





世間では、忙しい雰囲気が漂っているようで・・・

いろいろ、大変ですなぁ・・・

みなさん、頑張ってください。


何でもいいけど、優しい人がいつも平和でありますように・・・



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