国道246号線を越えて、東急世田谷線の三軒茶屋駅を回り込むようにして進んでいくと、高層ビルの立つ賑やかな町から古風で静かな町へと雰囲気が移り変わっていく。世田谷線は玉電の生き残りでもある電車。この三軒茶屋から下高井戸の間を結ぶ路線。その線路に沿った道が参道になっている。
木の柱の間を抜けて右に曲がると目青不動、最勝寺の入り口である。
門前には馬頭観音が並んでいる。大山道の時代に、街道で使われた馬を供養したのか、農村での農耕馬の供養であったのか。
「竹園山最勝寺教学院(天台宗)
本寺は慶長九年(一六〇四)玄応和尚の開基により、江戸城内紅葉山に建てられたという。後、明治四十一年(一九〇八)青山からこの地にうつされた。本尊は阿弥陀如来で恵心僧都の作と伝えられる。また、不動堂の目青不動は東都五色不動(五眼不動)の一つとして有名である。境内には相州小田原城主大久保家歴代の墓、南画家岡本秋暉、その子書家岡本碧厳等名家の墓がある。
昭和五十一年三月 世田谷区教育委員会」
入って行った正面に、不動堂があった。
Wikipediaをみると、来歴など複雑なものがあってユニークなお寺のようだ。創建年代でも、三百年違う異説があるとか。目青不動は別の寺が廃寺になったことで、この寺に移されたものであるとか。
明治末にここに移転してくるまでは、青山南町にあったという。
境内には大きな木が繁るのだが、移転後に植えたのか、それ以前からあったものなのか、考えてしまう。
世田谷の長閑であった時代を思わせる境内の雰囲気。
奥には教学堂がある。
庫裏も雰囲気のある建物。
夜叉塚。寛延二年と銘がある。
獣魂碑。昭和四十三年に建てられたもので、世田谷食肉共同組合によるもの。
境内から振り返ると、キャロットタワーが聳えている。
横手に出られるのだが、こちらが元々の旧参道であったらしい。
木の柱の間を抜けて右に曲がると目青不動、最勝寺の入り口である。
門前には馬頭観音が並んでいる。大山道の時代に、街道で使われた馬を供養したのか、農村での農耕馬の供養であったのか。
「竹園山最勝寺教学院(天台宗)
本寺は慶長九年(一六〇四)玄応和尚の開基により、江戸城内紅葉山に建てられたという。後、明治四十一年(一九〇八)青山からこの地にうつされた。本尊は阿弥陀如来で恵心僧都の作と伝えられる。また、不動堂の目青不動は東都五色不動(五眼不動)の一つとして有名である。境内には相州小田原城主大久保家歴代の墓、南画家岡本秋暉、その子書家岡本碧厳等名家の墓がある。
昭和五十一年三月 世田谷区教育委員会」
入って行った正面に、不動堂があった。
Wikipediaをみると、来歴など複雑なものがあってユニークなお寺のようだ。創建年代でも、三百年違う異説があるとか。目青不動は別の寺が廃寺になったことで、この寺に移されたものであるとか。
明治末にここに移転してくるまでは、青山南町にあったという。
境内には大きな木が繁るのだが、移転後に植えたのか、それ以前からあったものなのか、考えてしまう。
世田谷の長閑であった時代を思わせる境内の雰囲気。
奥には教学堂がある。
庫裏も雰囲気のある建物。
夜叉塚。寛延二年と銘がある。
獣魂碑。昭和四十三年に建てられたもので、世田谷食肉共同組合によるもの。
境内から振り返ると、キャロットタワーが聳えている。
横手に出られるのだが、こちらが元々の旧参道であったらしい。
五色不動といわれるようになったのは、それ程古い話ではないともネットで調べると出て来ますが、由来を見ていると面白いものだなと思います。
三軒茶屋周辺も農村世田谷の面影を残した町から、高層ビルの立つ新しさと古さの同居する繁華街へと変貌して来ているのも面白いと思います。