東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

世田谷区立郷土資料館

2012-04-01 23:52:21 | 世田谷区
世田谷文学館を見に行ったついでに、世田谷区立郷土資料館にも足を伸ばしてみた。といっても、バイクで動いていたから気楽に足を伸ばしてと言えるけど、電車だと移動が少々面倒だったかもしれない。


開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 「せたがやホタル祭りとサギ草市」と「世田谷ボロ市」(12月15日・16日)(1月15日・16日)
 開催日は、事業終了時刻まで開館します。
休館日:毎週月曜日、祝日(月曜日が祝日の場合はその翌日も)、年末年始
入館料:無料

交通アクセスは下記の通り。


この施設の特色は、まず第一に代官屋敷が保存されいている敷地内にあるということ。まずは代官屋敷を見てからということになる。まず外から見えるのは巨大な門構え。写真は中からだけど。


樹齢200年という説明版の付いた巨木など、敷地内の植物を眺めるのも楽しい。代官屋敷。


裏手に回ってみると、こんな感じ。


座敷には上がれないけど、土間までは入れる。


裏には大きな蔵もある。


式台もある。こういったものの大きさやら、つくりなど、事細かに江戸時代には決められていた。位によって、どれだけのものが許されるというよりは、その通りに作らないといけないという方が正しい。


そして、お白洲。時代劇のようなお裁きもあったのだろうか?とか想像してしまう。


屋敷全景。


と一渡り見物したところで、郷土資料館へ。


入ると、区内各地の古い写真が引き伸ばされて展示されている。これだけでもなかなか面白い。昭和36年西太子堂駅停車中の玉電200形。


こちらは昭和25年の豪徳寺駅前。


展示は二階。古代から現代まで順を追って、世田谷地域の歩みを見せてくれる。余所者目線で大ざっぱにいってしまうと、古代には国分寺崖線に沿って古墳が数多く造られるような環境で、台地のへりという立地条件は、古代の生活環境としては好適なものだったようだ。その後は格別に何というわけでもない感じで、農村部として発展してきたところ。農民が青山の梅窓院(今もある大きなお寺)の前で農産物を売る取り決めをした書き付けなどが残されている。幕末に世田谷縁といえば、彦根藩の井伊直弼が桜田門外で暗殺された事件も起きる。豪徳寺は井伊家の菩提寺であり、招き猫伝承もあったりする。彦根のゆるキャラ、ひこにゃんというのもこの話を元に出来たものだろう。


その後の現代へ向けての発展については、昨日紹介した世田谷文学館の展示が分かりやすくて、ボリュームもあって、楽しく理解しやすいものだと思う。このある種、農村として発展してきて、何もないといえば何もないところであったからこそ、私鉄が開通して行くに連れて宅地開発が盛んになっていき、住宅地としての価値を高めて行きやすかったとも言える。古くからの歴史を持つ町があって、水運に便利な川が流れ、交通の要衝であったりということになると、工業地としての要請があったり、ターミナルとしての発展が激しくなったりと、住宅地と市手の適正を保ち続けるのは難しい面が出てくる。そんな世田谷の歴史を代官屋敷と共に振り返ってみるのも面白い。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿