東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

要町から新井薬師へ(3):豊島区長崎その一

2015-07-19 18:24:01 | 豊島区
地図を眺めていると、要町から長崎に掛けての町割というのも、山手通りを無いものとしてみてみると、その成り立ちが分かりやすかったりする。山手通りが通ったのは、それ程古い時代の事ではないのだろう。今は、大きな通りになり、市街を分断しているわけだが。その山手通りの外側を入って行くと、宝光寺という浄土真宗のお寺があった。モダンなコンクリート建築のお寺。


昭和20年に要町に創建され、昭和25年にここに移ったという。(猫のあしあとサイトより)


さらにそこから奥へと進んでいく。かつては農村であったとはいえ、今では完全な住宅街で家並みが遙かに続いていく。ずっと行った角を曲がったところに長崎八幡神社があった。ここもそれ程大きな神社ではないが、近年綺麗に整備された様子。前回掲載した羽黒神社に江戸時代初期の創建という記念碑があった。


「由来書
 当長崎八幡神社は、鎌倉の鶴岡八幡宮より御霊を受けた分社です。御祭神は、應仁天皇・比売神神功皇后です。天皇陛下御即位十年を記念して、当八幡宮の社殿境内地の平成大改新を行いました。家内安全・開運・厄除・諸願成就・等大神様の御加護をいただける様、日々を感謝してお詣り下さい。
 平成十一年七月 宗教法人 八幡神社」


境内にあった木。


外から見ると、こんな感じの神社だった。


そこから山手通りへ戻ってくる途中、五叉路の交差点があり、そこを曲がると直ぐに御嶽神社があった。これも、先の羽黒神社の記念碑に記されていた神社の一つ。


ここも綺麗に整備されたばかりといった感じになっていた。


この辺りは道路の具合など見ても、農村時代の面影を残しているようだが、何しろ住宅地として家が建ち並んでいて、その面影から農村を思い起こすことは難しい。


小さな神社だが、庭も綺麗に整備されている。


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