東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

品川区西品川周辺

2015-01-29 19:13:50 | 品川区
さて、三ツ木通りから南側に進む道は、直ぐに上り坂に変わる。三ツ木通りが一番低い所で、ほぼ同じレベルなところの幅があって、通りの左右共に少し進むと上り坂という形。左手の道がのぼっていく道、右手の道がフラットな道になっている。


三ツ木通りの一本南側の通りもほぼ同じレベルで、高架下をこれだけの高低差で潜っていく。かつては、JRの工場や車庫になっている辺りまで、水田の好適地として広がっていたことだろうと思う。


少し坂を上ったところから振り返って見る。ずっと下っていく道が延びていて、遙か彼方に大崎の高層ビルが見えている。


坂を上りきったところに踏切がある。湘南新宿ライナーの電車が通過していく。この辺りは線路が錯綜しているのだが、品鶴線から一旦東寄りに分岐して回り込んで行くように大崎へ入って行くルートで、湘南新宿ライナーのルートになっている。東京駅へ向かう横須賀線は新幹線と平行したまま北上し、大崎駅を掠めるようにして東向きに抜けて行くルートになっている。ここは苗木原踏切というのだが、この辺りを権現台と言うらしい。


踏切を越えずに品鶴線方向に行く道。向こうにチラッと見えるのが新幹線の高架橋。品鶴線の線路とは同じレベルまで上がってきている。道は先のほうで急激に下っている様子。


高架の下を潜ると、築堤になっている脇を暗渠が伸びている。これは品川用水の一部ではとも思う。品川用水は、とにかく幹線だけではなく、そこから網の目のように隅々へと配水していたようだ。


その反対側を見たところ。大崎方向である。築堤脇とその横を入っていく細い道が先の方で段差になっているのが分かる。右手側の柵の中が用水の流れで、水準をキープするために高さを維持する作りになっている。


そこからは、東急大井町線下神明駅に近いところ。その駅に向かう坂道。


この道には、品川用水の遺構が残されている。古戸越橋という橋で、用水に架けられていた小さな橋である。


大分古びてはいるものの、橋の名が残されている親柱。


用水は暗渠化されていて、今は住人のショートカットルートになっている。


それでも、こんな風に残されていることで、かつての風景を偲ぶことができる。


橋跡の下流側もこんな感じで暗渠化されている。


暗渠の道を抜けて、品鶴線の方へ抜けてみた。振り返ると、路地と言うよりは川筋らしさも感じられるだろうか。


品鶴線ガードは、用水の時代からここを通っていた痕跡でもあるのだろう。

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1 コメント

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Unknown (品川暇人)
2018-04-04 19:05:15
西品川一丁目の品鶴線と大崎支線に囲まれた平地の部分は昔から苗木原といわれてました 苗木原踏切へ向かう坂の途中に1丁目11番11号5文字ゾロ目の番地が有ります 最近下神明駅から下る坂の途中に有った古戸越橋のコンクリート欄干は撤去され近所の品川中央公園防災広場脇へ移築されました 橋から下流側の暗渠道は以前は通行止めでしたが再整備され通行出来る様になりました
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