東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「品川宿遊里三代」秋谷勝三著を読む

2013-04-06 19:04:57 | 書籍
 「品川宿遊里三代」秋谷勝三著青蛙房刊を読んでみた。面白そうだと思うと青蛙房の本だったと書くと、いかにも持ち上げているかのようだが、読んでみればこの本も大正っ子シリーズに入れたくなるような時代であり、内容であった。東海道第一の宿場であった品川という町の在りし日の姿を、その光景が目に浮かぶように描き出している。私の暮らしている板橋も江戸四宿の一つだが、やはり四宿の中でも品川は別格というべきなのか、賑わいと良い、町の雰囲気と良い、随分違うものなのだとも感じた。本書の著者、秋谷氏は品川にあった貸座敷、山幸楼の三代目である。この貸座敷というもの、引手茶屋であるとか、そういったものについても、当時どういったものであったのかが解説されており、分かりやすい。大正っ子シリーズでは、「大正・吉原私記」波木井皓三著という吉原の遊郭に生まれた著者に依るものがあった。こちらでは、著者が稼業に複雑な思いも持ち、その苦しみをも描いていた。それに対しては、本書では著者は過ぎ去った時代について肯定的で、その辺りも対照的であり、興味深い。


 著者は、明治40年生まれで、明治末から大正期に品川で育っている。その時代の町がどんな有様でどんな空気であったのか、町に並んでいた店を想い起こしながら、それぞれについての思い出が語られていく。八つ山橋を越えたところから始まる品川宿が、往時の雰囲気を色濃く残していたことなど、非常に興味深い。江戸四宿では遊女が許されていたが、その中では品川は非常にそちらでも栄えたところで、落語の「居残り佐平次」の舞台にもなっている。板橋宿が鉄道の開通と火災で没落し、遊郭に活路を見出そうとしたものの、結局は新吉原や品川といったところには歯が立たたなかったという。この本を読むと、品川宿は鉄道開通後も活気のある町で有り続けたことがよく分かる。その要因として、本書に描かれている貸座敷が盛んであったことが大きかったのだろう。

 興味深い話のところを幾つか紹介しよう。
「しかし当時、貸座敷稼業は世襲となっており、いくら同じ場所であっても、新規の経営者が新規の名で商売することは出来なかった。さらに当時、これ以上見世の数を増やさない、という組合の内規もあった。玉木楼のように女手だけとなる見世も結構あり、祖父のように折りよく営業を肩代わりする者が居なかった見世の場合は、やむなく廃業していった。
 こういう見世を引き継ぐ場合、一つの方法があった。廃業する見世に養子に入るのである。そうすることで形式上世襲の形を取り、廃業する家はその戸籍から出るのである。こうして世襲した者のことを名義人と称し、またその後見となって実際上の経営に当たる者のことを稼業人と称した。
 祖父の場合、幸いなことに某貸座敷の名義を買うことが出来、玉木楼の後を継ぐことが出来た。その結果として生まれてきた新しい貸座敷が「山幸楼」であり、それは私がこの後の章で色々とするお話の中心となる見世、そして、私自身が育つ見世なのである。」
 
 これは、著者の祖父が女手ばかりになってしまい、経営が持続できなくなった玉木楼という貸座敷が、経営の肩代わりを依頼してきた顛末のところで出ている話である。著者の家は、江戸時代以来の駕籠屋から明治になって人力車の俥宿を稼業にしてきた三河屋籐兵衛、三藤であった。そこに貸座敷の営業肩代わりの話が祖父の代に舞い込んで、という経緯が語られている。
 明治時代の話だが、既に貸座敷は商業規模が拡大しないように制限されていたことが分かる。その上、世襲で新規の認可は下りないという辺り、都内でのいわゆるラブホテルの認可の話と重なるようで面白い。行政というのは、時代が変わっても同じ様なことをしているものだと感心する。

著者の見世、山幸楼の在りし日の姿。昭和16年に著者の弟が出征した際の記念写真とのこと。


「中島の一軒先の豆腐屋の「大黒屋」は、幕末からあるという古い店だった。店先には台が置いてあり、その上にネギと醤油がそれぞれちょっとした盆に入れて置かれていた。豆腐の立ち食い用であった。頼むと一丁まるごと、木の皿に入れて持ってくる。夏ならば冷たい井戸水で冷やしてあるし、冬ならば温めてあるという具合である。豆腐は道中食としてもなかなか食べられたもので、江戸時代は飛脚や駕籠屋をはじめ、旅の人がよく食べたものであった。」

 品川宿の街道沿いの店を想い起こしている中にあった話で、豆腐の立ち食いというのは始めて聞いた。夏は冷たく、冬は暖かくして、ネギと醤油で店先で食べるというのも、なかなか粋なものと思う。ファーストフードとしては健康的で、栄養価も高いし、理想的なのではないだろうか。こんな様子は、時代劇の場面でも見たことがない。

見返しには、著者の記憶から甦らせた大正期の品川宿の店の並びが再現されている。


「そういえば、「九助」というビスケットがあった。ビスケットといっても、割れたり欠けたりしているものを、新聞紙半分くらいの大きさの袋に入れて売っていたものである。御殿山の向こう側にあった東洋製菓の工場が、近所の人にだけ売っていたのだが、中には高級品も含まれていて、町の人はよく買いに行っていた。なぜ九助というのかは知らないが、あの一袋が五十銭だったことを覚えている。昭和の初めに森永で「五助」というのを売ったことがあるが、その流れのみなもとなのだろうか。
 森永といえば、あのキャラメルが出た当初は、なんともミルク臭いものだった。こんなものは食べられないと思ったものである。しかしそれも一時で、遠足には必ず森永のキャラメルを持って行った。ただ、あの当時の森永のキャラメルは、噛んでいるとどうにも口が荒れて仕様がなかった。
 そんなこともあって、私たちが食べていたのはアメリカ製のネッスルのキャラメルである。この舶来ものは、歩行新宿の成木屋という菓子屋だけで売っていた。」

 この部分については、私の永年興味を持って追い掛けている分野についてなので、反応してしまう。「九助」というのは、半端物の詰め合わせのお買い得品に付ける名であるらしい。というのも、今でも近所のスーパーなどでは、九助の名で煎餅の壊れたものの詰め合わせを売っている。この御殿山の東洋製菓というのは、わが国の西洋菓子業界で最初の会社組織によるメーカーであった。明治後期に東京と横浜の菓子屋の旦那衆が集まって作った会社で、日露戦争でビスケット(乾パン)の軍需があって、経営が軌道に乗ったものだ。大正期には、横浜の名物であった伊勢佐木町の亀楽煎餅の社長、長谷川亀楽氏が社長を務めていた。
 そして、森永のキャラメルというのも、明治末から大正期に掛けての時代に登場してきた名物と言えるだろう。アメリカで菓子の製法を身につけてきた森永太一郎氏が森永商店を創業し、当初は赤坂田町の茶畑の中にあった小さな小屋から始まって、瞬く間に企業へと成長していったのは、正にこの時代のことだった。その中でも、キャラメルは、森永の飛躍を支えた菓子である。最初は高温多湿な日本の夏に合わずに溶けてしまったりしたというが、材料製法を工夫し、一つずつを紙で包んで、高温多湿に堪えられる製品にしたことで全国津々浦々へと普及していくことになった。ネッスルのキャラメルの方が美味しかったというのは、ある意味ではむべなるかなとも思う。
 歩行新宿というのは、本書の中では詳しく説明されているのだが、品川の宿場町の中で、日本橋よりの北側のエリアを指した名称である。目黒川を挟んで、南品川宿、北品川宿とあって、北品川宿は本宿ともいわれていた。その北側に後に出来たエリアなので、新宿と言われたわけである。

品川宿随一の貸座敷であった島崎楼の昭和初期の姿。


 と、ほんの一部を紹介してみた。品川という町、戦災も免れている。江戸四宿の中では、一番町の雰囲気は残されているところかもしれない。いずれ行ってみようと思っていながら、まだ詳細に歩いていないところなので、歩く時にはこの本を参考にしていこうと思う。また、最初に書いた様に、遊郭などについて、具体的にどんなところだったのかを知る上でも面白い本になっている。「大正・吉原私記」と併せて読んでみると、スタンスの違いも含めて遊郭の置かれていた社会状況ということも理解しやすいように思える。


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2 コメント

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2013-04-07 16:34:13
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#突然このような形でご連絡いたしました失礼をお許しください。
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Unknown (kenmatsu)
2013-04-07 22:24:38
「GO近所」ポータルサイト運営事務局様
お誘い頂き、また拙サイトを御覧頂き、どうもありがとうございます。
折角のお誘いですが、いささか荷が重く感じられますので、ご遠慮させて頂きたく思います。
ここでのお返事で失礼させて頂きます。
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