飛鳥山公園内にある北区飛鳥山博物館で開催されている「ドナルド・キーン展~私の感動した日本」という展覧会を見てきた。

開催期間:2012年5月19日(土)~6月24日(日)
開催時間:午前10時~午後5時
休館日:毎週月曜日
観覧料:無料
主催:東京都北区、東京都北区教育委員会
会場:北区飛鳥山博物館 特別展示室・ホワイエ

ドナルド・キーンさんが、昨年の東日本大震災の後に日本国籍の取得を望まれ、日本に永住される、と言うニュースは、辛い一年だった中では本当に心が暖まるニュースだった。日本文化、そして文学に造詣の深いキーンさんは、金持ちの外人の住む様な場所には住みたくないと思われ、北区の西ヶ原に住まわれている。旧古河庭園を望むマンションに住まれて、既にほぼ40年が経過したという。キーンさんの住まわれている辺りは、霜降橋という辺り。私にとっても小さい頃から祖父母の家に行った帰り、夜に両親とタクシーで帰宅すると必ず通っていたところで、その名が印象深く残っている。今でも、霜降橋なんて、叙情的な良い名前だと思う。そんな辺りである。昔ながらの自動車も入れない狭い通りに個人商店が軒を連ねる商店街がある。
「メッセージ
私の人生は日本と日本文学・日本文化に関わる、長い一筋の道でした。古河庭園の緑に魅せられ北区西ヶ原に住むようになって、ほとんど40年、愛着を持つこの地で様々な執筆活動を続けてきました。永住を決意してのこれからは、ひとりの北区民として、いつまでも私を魅了してやまない日本への理解をいっそう深めて行きたいと思っています。
鬼怒鳴門」
会場で配布されていたパンフレットから、掲載されている内容を紹介していきたい。展示は撮影不可だった。
展示は年代順にキーンさんの人生の歩みを追っていく。1922年にニューヨーク市ブルックリンの生まれ。ということは、正に江戸っ子ならぬちゃきちゃきのニューヨークっ子というわけだ。おもわず「ドジャース、ブルックリンに還る」なんて言う小説を思い出してしまった。今はアメリカ大リーグのドジャースといえば、ロス・アンジェルスをホームタウンしているが、1957年までドジャースはニューヨークを本拠地にして、ブルックリン・ドジャースと名乗るチームだった。キーンさんの少年時代のブルックリンでは、ドジャースは町の主役だったはず。先の小説は、アメリカの野球をテーマにした小説の中でも出色の一編である。
1938年には2年の飛び級で16歳でコロンビア大学へ入学。1940年にアーサー・ウェイリー訳「源氏物語」と出会った事で日本研究の道へ。1942年に米海軍日本語学校に入学して日本語を完全習得し、太平洋戦線の各地で日本語の解読、通訳を務める。
この第二次世界大戦でキーンさんは、始めて生身の日本人と接することになる。最初は、ハワイで捕虜と鳴った日本の軍人たちの尋問をしたという。その時に知り合った日本軍の従軍記者とは、それから長い友人としての付き合いが続いた。沖縄戦を経て、1945年の終戦を迎えて、始めて東京と日光を訪れ、復員した。その後はコロンビア大学へ戻り博士号を取得、ハーバード大学を経てケンブリッジ大学へ留学したりと、学究の道を歩まれている。1953年から3年間京都大学大学院へ留学。そして、狂言の指導を受けたり、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫等と知り合い、日本文学を海外へと紹介するようになっていく。

私にとっては、文庫版の「明治天皇」の著者としてのキーンさんが一番身近な例えになるかもしれない。文庫で4冊に及び大作だが、明治という時代を知る上で明治天皇という存在を欠かすことは出来ないし、その人となりまで含めて深い敬愛の情を持って描かれているところも素晴らしいと思う。どこか、長く交友関係のあったサイデンステッカー氏が東京という都市を描く著作を残されたことに通じるような、日本への愛情を感じる。

「西ヶ原の鬼怒鳴門先生
私が古河庭園のマンションを買う意志を嶋中さんや永井さんに告げると強く反対された。寂しがり屋の私の近所に友人もいなければ、旨いレストランも少ない、などが理由だが、私はここなら楽しく生活できるという、強い直感を心の底で感じた。そして、その直感に誤りはなかった・・・庭園の緑も素晴らしい。一日中部屋で仕事をする私には、窓から見える木々の緑はかけがえのない財産である・・・季節を問わず緑の輝きは私を和ませる。そして、この界隈にもふれておきたい。すぐ近くにある霜降銀座の細い道の両側には店が並び、威勢の良い掛け声には、江戸の昔が感じられる・・・またこの付近は庶民的な場所にもかかわらず、おいしい洋菓子の店が二軒もあるし、フランスのチーズやキャビアを扱う店もある。また野菜は東京一安いそうだ。
住めば都とはよく言ったものだ・・・」
ブルックリンは、ニューヨークの下町である。そんなブルックリンに生まれ育ったキーンさんだからこそ、霜降銀座のような人と人の距離の近い、気取らないこの町の良さを感じて住まわれているのではないだろうか。そのキーンさんの業績を改めて俯瞰できるところが今回の展示である。また、会場の前のホールでは昨秋にBS-TBSで放送されたキーンさんのドキュメンタリー番組が流されていて、展示を見てからこれを見ていたら思わず引き込まれてしまった。なによりも、キーンさんの人柄が良く伝わってきて、本当に素晴らしい方だとしみじみ感じられた。実はそれほど大きな期待をして見に行ったわけではなかったのだが、見終えて来て良かったと本当に思える展覧会だった。キーンさんには、是非ともこれからもお元気でいて欲しいと、しみじみ思えた。是非、足を運ばれることをお勧めしたい展覧会である。

開催期間:2012年5月19日(土)~6月24日(日)
開催時間:午前10時~午後5時
休館日:毎週月曜日
観覧料:無料
主催:東京都北区、東京都北区教育委員会
会場:北区飛鳥山博物館 特別展示室・ホワイエ

ドナルド・キーンさんが、昨年の東日本大震災の後に日本国籍の取得を望まれ、日本に永住される、と言うニュースは、辛い一年だった中では本当に心が暖まるニュースだった。日本文化、そして文学に造詣の深いキーンさんは、金持ちの外人の住む様な場所には住みたくないと思われ、北区の西ヶ原に住まわれている。旧古河庭園を望むマンションに住まれて、既にほぼ40年が経過したという。キーンさんの住まわれている辺りは、霜降橋という辺り。私にとっても小さい頃から祖父母の家に行った帰り、夜に両親とタクシーで帰宅すると必ず通っていたところで、その名が印象深く残っている。今でも、霜降橋なんて、叙情的な良い名前だと思う。そんな辺りである。昔ながらの自動車も入れない狭い通りに個人商店が軒を連ねる商店街がある。
「メッセージ
私の人生は日本と日本文学・日本文化に関わる、長い一筋の道でした。古河庭園の緑に魅せられ北区西ヶ原に住むようになって、ほとんど40年、愛着を持つこの地で様々な執筆活動を続けてきました。永住を決意してのこれからは、ひとりの北区民として、いつまでも私を魅了してやまない日本への理解をいっそう深めて行きたいと思っています。
鬼怒鳴門」
会場で配布されていたパンフレットから、掲載されている内容を紹介していきたい。展示は撮影不可だった。
展示は年代順にキーンさんの人生の歩みを追っていく。1922年にニューヨーク市ブルックリンの生まれ。ということは、正に江戸っ子ならぬちゃきちゃきのニューヨークっ子というわけだ。おもわず「ドジャース、ブルックリンに還る」なんて言う小説を思い出してしまった。今はアメリカ大リーグのドジャースといえば、ロス・アンジェルスをホームタウンしているが、1957年までドジャースはニューヨークを本拠地にして、ブルックリン・ドジャースと名乗るチームだった。キーンさんの少年時代のブルックリンでは、ドジャースは町の主役だったはず。先の小説は、アメリカの野球をテーマにした小説の中でも出色の一編である。
1938年には2年の飛び級で16歳でコロンビア大学へ入学。1940年にアーサー・ウェイリー訳「源氏物語」と出会った事で日本研究の道へ。1942年に米海軍日本語学校に入学して日本語を完全習得し、太平洋戦線の各地で日本語の解読、通訳を務める。
この第二次世界大戦でキーンさんは、始めて生身の日本人と接することになる。最初は、ハワイで捕虜と鳴った日本の軍人たちの尋問をしたという。その時に知り合った日本軍の従軍記者とは、それから長い友人としての付き合いが続いた。沖縄戦を経て、1945年の終戦を迎えて、始めて東京と日光を訪れ、復員した。その後はコロンビア大学へ戻り博士号を取得、ハーバード大学を経てケンブリッジ大学へ留学したりと、学究の道を歩まれている。1953年から3年間京都大学大学院へ留学。そして、狂言の指導を受けたり、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫等と知り合い、日本文学を海外へと紹介するようになっていく。

私にとっては、文庫版の「明治天皇」の著者としてのキーンさんが一番身近な例えになるかもしれない。文庫で4冊に及び大作だが、明治という時代を知る上で明治天皇という存在を欠かすことは出来ないし、その人となりまで含めて深い敬愛の情を持って描かれているところも素晴らしいと思う。どこか、長く交友関係のあったサイデンステッカー氏が東京という都市を描く著作を残されたことに通じるような、日本への愛情を感じる。

「西ヶ原の鬼怒鳴門先生
私が古河庭園のマンションを買う意志を嶋中さんや永井さんに告げると強く反対された。寂しがり屋の私の近所に友人もいなければ、旨いレストランも少ない、などが理由だが、私はここなら楽しく生活できるという、強い直感を心の底で感じた。そして、その直感に誤りはなかった・・・庭園の緑も素晴らしい。一日中部屋で仕事をする私には、窓から見える木々の緑はかけがえのない財産である・・・季節を問わず緑の輝きは私を和ませる。そして、この界隈にもふれておきたい。すぐ近くにある霜降銀座の細い道の両側には店が並び、威勢の良い掛け声には、江戸の昔が感じられる・・・またこの付近は庶民的な場所にもかかわらず、おいしい洋菓子の店が二軒もあるし、フランスのチーズやキャビアを扱う店もある。また野菜は東京一安いそうだ。
住めば都とはよく言ったものだ・・・」
ブルックリンは、ニューヨークの下町である。そんなブルックリンに生まれ育ったキーンさんだからこそ、霜降銀座のような人と人の距離の近い、気取らないこの町の良さを感じて住まわれているのではないだろうか。そのキーンさんの業績を改めて俯瞰できるところが今回の展示である。また、会場の前のホールでは昨秋にBS-TBSで放送されたキーンさんのドキュメンタリー番組が流されていて、展示を見てからこれを見ていたら思わず引き込まれてしまった。なによりも、キーンさんの人柄が良く伝わってきて、本当に素晴らしい方だとしみじみ感じられた。実はそれほど大きな期待をして見に行ったわけではなかったのだが、見終えて来て良かったと本当に思える展覧会だった。キーンさんには、是非ともこれからもお元気でいて欲しいと、しみじみ思えた。是非、足を運ばれることをお勧めしたい展覧会である。
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